不破政権論について改めて考える

8、「暫定」であることの意義

 今回の不破政権論は単なる連合政権論ではなく、「暫定」連合政権論です。なぜ「暫定」なのでしょうか? その主たる理由は、一致する政策の幅が非常に狭く、長期的で本格的な連合政権を構築することは不可能であり、したがって部分的な一致点にもとづく「暫定」連合政権しか可能にならない、ということでしょう。しかし、この論理は一見説得力があるように見えて、実は内的な困難を抱えています。
 いかなる政策を実現する連合政権なのか今なお不明なので具体的に批判しにくい側面がありますが、その政策をたとえば、無駄な公共事業の削減や社会保障改革ぐらいで考えておきましょう。社会保障改革の方向性そのものが、すでに述べたように民主党と共産党とでは正反対ですが、それはとりあえず脇において考えてみます。
 どちらの政策も、単年度の予算では抜本的な改善は不可能なものです。すでに明らかにしたように、公共事業の削減一つとってみても、民主党は10年間で3割減です。2割減を達成するためにでも5年間が必要とされます。社会保障改革にしても、予算上の制約がある以上、赤字国債を大量発行するか消費税増税という手段をとるのでない限り、長期的課題となります。したがって、いずれにしても「暫定」と呼べるような短期の政権で目に見える成果を挙げることはできません。
 そもそも、なぜ現在の自自公政権に代わる政権を作る必要があるのでしょうか。それは、この政権が作り出した状況が危機的なものとなっており、その矛盾がきわめて深刻なものとなっているからでしょう。ということは、その解決は「暫定」でできることではなく、抜本的な解決策が必要になっているということです。
 タケル同志は討論の中で次のように述べています。

そもそも今回の中央の提唱は「暫定」連合政府ですよ。自民党の横暴を暫定的に食い止める政府を作るという提起だと私は理解しています。
小渕政権を見ると「現状を悪化させない」ことは極めて重要だと思われます。現在の日本の政治は、財政と経済が危機的な状況に陥っています。

 つまり、抜本的な解決がなくても、「自民党の横暴を暫定的に食い止める」「現状を悪化させないこと」ことに意義があるということです。しかし、こうした議論は、いくつかの理由で妥当しないと私たちは考えます。
 まず第1に、共産党はこの連合政権に相対的多数党として入るのではなく、少数党として入ります。そしてすでに述べたように、民主党の政策の基本は、自自公政権によって現在推し進められている新自由主義政策をいっそう大胆に展開することにあります。したがって、このような政党がヘゲモニーを握る連合政権に共産党が入っても、自民党の横暴を「食い止める」ことにも、「現状を悪化させない」ことにもならないのは明らかではないでしょうか。
 第2に、この連合政権はいくつかの部分的な政策以外は自民党政治を継承する政権なわけですから、共産党は、それらの面では自民党の悪政の推進者の片棒を担ぐことになります。それによって共産党の政治的権威が失墜し、また革新派の有権者の政治的幻滅をもたらすことで、現状変革の重大なエネルギーが大きく奪われるだけでなく、悪政を「食い止める」力すら根本的に掘り崩されることになるでしょう。社会党が政権に入ったとき、侵略戦争を政府として謝罪したりといった「部分的成果」はたしかにあったわけですが、それ以上に、社会党が革新的世論を裏切ることで生じたマイナスの方がはるかに巨大でした。部分的な前進や「食い止め」さえあればいいという発想こそ、政治のリアリズムをまったく見ない空論です。
 「食い止め」そのものは野党としても可能です。実際、戦後50年以上にわたり、ごく一時期を除けば自民党政権でしたが、社共は自民党の反動的政策の多くを食い止めてきました。むしろ社会党が政権に入ることで「食い止める」力は逆に大きく減殺されたのです。それでもまだ共産党がありました。しかし、その共産党も新自由主義的ブルジョア政党と政権に入ることになれば、最後の歯止めがなくなることになります。
 第3に、現在の危機的状況は暫定的な「食い止め」ということを許さないものだということです。だからこそ「危機的」なのでしょう。抜本的な解決策を講じなくても「食い止め」ることができるなら、状況はそれほど「危機的」ではないということになります。また現状が「危機的」なら、その現状を維持してもやはり「危機的」なままですよね。それは、自民党が介護保険の保険料徴収を半年だけ延期するのとさして変わりません。

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