不破政権論について改めて考える

9、共闘一般と連合政権

 タケル同志より、共闘一般と連合政権との違いについて説明せよと要求されています。すでにこの違いについては、『さざ波通信』第1号のインタビューの中で詳しく展開していますが、要望に応じて改めて論じたいと思います。
 すでに安保問題について論じた章で明らかにしたように、一般の運動的共闘においては、現に一致する問題だけでの統一や共同は可能です。たとえば、ある法律の成立を阻止するという共闘なら、他のどんな問題で対立していても、一致する点だけで運動をすればすむことです。他の問題に関して、別の勢力と共同するか、あるいは単独で行動することも可能です。しかし、当面するすべての問題において共同責任が問われる連合政権の場合にはそうはいきません。意見の合わない問題では、連合政権を構成する各党が勝手に対処するというわけにはいきません。全党が合意する統一した対処が求められ、それに参加するかぎりは、当然、その政策を擁護し正当化しなければなりません。後で、本当は反対だったなどという言い訳は許されないし、そのようなことを言えば、2度と連合政権の相手として認められないでしょう。社民党は今でも村山政権の施策を正当化し、あれは正しかったと言っています。それが公党としての責任だと思っているからです。
 さて、共産党が求めているのは、いくつかの部分的政策にもとづく「暫定連合政権」です。つまり、この「部分的政策」以外については、基本的に旧来の政権の立場を継承するということです。連合政権を組んでいる間に、たとえばユーゴスラビア空爆のような事態が生じたとしましょう。旧来の政権の立場を継承するとすれば、当然、この空爆に対して暫定連合政府は支持を表明することになります。すると、国会ではどういう事態になるでしょうか? 当然、野党は共産党の大臣を徹底的に責めるでしょう。共産党大臣もこの空爆に賛成なのか、と追及するでしょう。共産党の大臣はどう答えるでしょうか? もちろん、私は個人的に反対だ、などとは口が裂けても言えません。そんなことを言えば、今度は連合政権内部で徹底的に批判されるでしょうし、反対ならどうして連合政権として賛成することに賛成したのか、と国会でも追及されるでしょう。共産党の大臣は、私は当然賛成ですと言うことになるでしょう。
 その場合、共産党自身はどういう対処をすることになるでしょうか? 共産党組織そのものははたして空爆に反対できるでしょうか? 空爆に反対したとしましょう。すると国会で共産党大臣はこう追及されるでしょう。「あなたは空爆に賛成だというが、あなたの属する共産党は反対だと言っている。するとあなたは自分の党の立場に反対なんだな、共産党は間違っているという判断なんだな」。さてこう言われて共産党大臣はどう答えるでしょうか。苦渋に表情を歪ませながら、「私は党の立場とは意見が異なる」と言うことになるでしょう。あるいは、共産党大臣の立場を慮って、共産党自身が「反対」の旗を降ろすことになるかもしれません。
 党と政権との態度の使い分けがそんなに簡単なことではないということが、以上のような事例でおわかりでしょうか? 以上のような事態は、各党が一致した部分的政策以外の他のすべての問題で生じることでしょう。こうして、共産党は、村山内閣の場合と同じく、次々と「苦渋の選択」を迫られることになるでしょう。
 単なる共闘のためなら、一つでも政策が一致していればよい。しかし、連合政権を組むためには、たとえ綱領が一致していなくても、国政上の主要な諸問題において意見が一致しているか、少なくとも調整可能な程度には接近していなければなりません。共産党のような社会主義政党の場合はなおさらです。
 もちろん、民主党の諸政策の中にも、共産党が同意しうる政策もいくつかあります。たとえば、先に紹介した選挙政策にも「性別や年齢によって差別されることのない公正な労働市場」などといった美辞麗句が書かれています。民主党は、市民主義に親和的な階層の支持をもあてこんでいるので、このような市民主義的な諸要求もうまく選挙政策の中に取りこんでいるわけです。本当に実現する気があるかどうかは疑わしいですが、もし実際に民主党政権が何らかの進歩的内容を持った法案を出してきたなら、共産党はその採決において賛成すればいいだけのことです。すでに述べたように、これまでだって共産党は、自民党政権が出した法案に半分程度は賛成しています。昨年の国会でも、児童ポルノ・買春禁止法をはじめとする一連の重要法案に賛成しています。しかしだからといって、共産党が賛成できる政策を実現するために自民党と政権を組むべきだという話にはなりません。
 共闘一般と連合政権との本質的な違いについては、実は、社会主義政党のイロハでした。インタビューの中でも述べられているように、第2インターナショナルでさえ、このことは理解していました。フランスで社会主義者のミルランが入閣したとき、大々的な批判が第2インターナショナル内で展開されました。しかし、スターリン時代になって、人民戦線政策が採用され、帝国主義ブルジョア政党と共産党との連合政権がいとも簡単に容認されるようになり、社会主義政党としての階級的原則はあっさりと打ち捨てられました。こうして、共闘一般と連合政権との間にある重要な政治的相違が忘れ去られ、運動上の共闘の単純な延長上に連合政権も結成できるかのような幻想が支配的となったのです。
 しかし、一昨年の不破政権論は、以上のようなスターリン主義的誤謬という一般的背景だけでなく、より特殊な要素も含まれています。それは、第1に、共産党の躍進に対する幻想が強まったこと、第2に、日本の帝国主義化の中で、こうした不破路線を支えるムードが確実に党内で醸成されていることです。この点については、次の章で検討したいと思います。

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