萩原氏は、第5章の最初の節を「3つの十字架を背負った本」と題して、『朝鮮と私 旅のノート』が、『しんぶん赤旗』で広告と書評を拒否され、共産党系の書店での配本が禁止されたために、予想以上に売れなかった事情についてるる説明している。萩原氏は「これらの措置の理由はわからない」と述べているが、その中身を見れば、だいたい察しがつく。その「あとがき」の中に次のような一節がある。
91年の末に取材でモスクワに行ったとき、赤旗支局を訪ねた私の姿を目にとめたある旅行社の添乗員の老女性党員は、赤旗特派員を物陰に呼んで、「あの人、反党分子じゃないの?」とたずねたそうだ。私に会えばばい菌でもうつるかのような態度である。いま思い返しても不愉快だ。こうした猜疑心と懐の狭さが、日本共産党をいまひとつ国民のあいだに支持を広げさせない理由のひとつであることも実感できた。(188~189頁)
このような記述が、党幹部の神経を逆なでしたことは疑いない。しかしそれにしても、この程度の記述で『赤旗』での広告すら拒否するというのは、まったくもって愚かしい党派的偏狭さである。だが、このような事例は、最近だけに絞っても、しばしば発生しているし、当事者およびその周辺の党員ならよく知っていることだろう。
また、それ以外にも、筆者が「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」に積極的に参加していることや、文春系出版物からしきりに本を出し、文春系の雑誌に論文を書いていることも、今回の広告拒否措置に影響していると思われる。文春との関係については、後で論じたい。
いずれにせよ、この著作は共産党と『赤旗』の側からの一種のボイコットにあい、その売り上げはいまひとつであった。そこで、今回、萩原氏は、この著作を、版権をかもがわに残したまま、文春文庫に新たに入れることにしただけでなく、新たな書下ろしを加えて、過去のボイコットに対する反撃を試みたわけである。