萩原遼元赤旗特派員による共産党批判について

4、代議員選出方法の非民主性

 萩原氏はさらに、党内討論の不十分さのみならず、大会代議員の選出方法についても次のような批判を投げかけている。少し長くなるが、引用したい。

 党大会といえば全党の活動方針をきめる最高の決議機関である。2年ないし3年に1回、およそ1000人ほどの代議員を集めて開かれる。この代議員の選出過程が十分に民主的とはいえないのである。大会議案を支持する代議員しか事実上党大会には出てこれないしくみになっている。
 党大会の代議員は末端組織の党支部をふりだしに、その上の地区党大会、さらにその上の都道府県党大会へと積み上げていって、そこから代議員が選ばれる。
 かりに私が党大会議案に全面的に反対し、大会の場で討論したいといって、代議員に立候補を表明したとする。おそらく支部会議の段階ではねられて、その上の地区党会議の代議員にすら出られない。かりに地区党会議の代議員に選出されたとしても、その上の都道府県党大会の代議員に選ばれるのは、まずありえない。まして都道府県党会議の場で、大会議案に全面的に反対の立場で大会で討論したいから私を代議員に選んでくれといえば、選ばれることはほぼ100パーセントない。こうしたことは党中央や地方機関の幹部たちは誰しもみな知っていることだ。
 結局、大会議案支持の代議員ばかりが大会に出てきて討論するのだから結果は反対意見はひとつも出ない。討論者全員が「私は大会議案を全面的に支持する立場で発言します」と前おきして賛成意見をのべる。採決になると満場一致である。
 真に自由闊達な討論が保障され、党内にそれをゆるす寛容な民主主義的な雰囲気と制度的保障があるならば、満場一致にはたぶんならないだろう。
 反対者が1人もいないことを誇示することがそれほど重要なことだろうか。反対者が何人か何十人かいたとしたら、それが党の発展のさまたげになるのであろうか。どんな手を使ってでも1人の反対者も党大会に出席させてはならない、ということを大前提にして大会を準備し運営することは、いまの日本の民主主義の風潮とはかけ離れていると私は思う。もうこんなことはやめるべきだ。
 自由に思ったことをいう。それにたいし迫害は加えない。少数意見は尊重され、全党に公開されるべきである。党大会に少数意見者も出席させ発言させるおおらかさと自信がなぜもてないのか。内部の反対意見に極度におびえる小心翼々たる日本共産党の体質は、民主主義で育った戦後世代には合わない。
 のびのび討論し、多数できまったことは虚心坦懐に従い、実践し、その結果をつぎの大会で検証する――。こういったことは夢物語でしかないのか。

 以上のような主張にも、ほとんど全面的に同意できる。共産党における代議員選出過程が、小選挙区制よりも非民主的なやり方にもとづいていることは、『さざ波通信』への投稿の中でも詳しく指摘されているとおりである。
 また、もし全会一致というものが、決議案に対してさまざまな批判が大会の場で出され、そうした批判が十分受け入れられた形で決議案が修正され、その上でなされるものならば、そうした全会一致は党大会全体の到達点を示すものとして、一定の意味を持っているだろう。しかし実際にはそうではなく、大会の場で決議に対する異論が出されることは皆無であり、批判に沿って決議案が修正されることはもっと皆無である。決議案は最初の発表時の姿とほとんど変わることなく(その間に時間が経過したことで生じた情勢変化に関する修正を除けば)、そのまま全会一致で採択される。このような満場一致は、党内における団結の強固さを示しているのではなく、党の官僚主義的体質を示しているのである。今なお、大会で決議がほとんど無修正で満場一致で採択されるような状況が残っているのは、政権党となっている一部のアジアの党を除けば、おそらく日本の共産党ぐらいなものではないだろうか。
 このような状況の克服は、21世紀に日本共産党が生き残る上で決定的な意味を持っている。

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