萩原氏の政治的弱点は、共産党における党内民主主義の欠如の問題を歴史的・理論的に掘り下げようとするやいなや、より深刻な形で露呈する。たとえば萩原氏は次のように述べている。これも少し長いが、正確を期すため引用しておく。
私が日本共産党本部勤務となった1969年には、本部勤務員の心得として「革命の司令部を身を挺して防衛せよ」と教育され、よしやるぞ! とふるいたったものだった。
だが、30年後のいま、日本共産党は革命ということばもほとんど使わなくなった。「資本主義の枠内での民主的改革」と不破氏はいっている。
たしかに革命とは、議会もなく、国民には民主的自由はなく、独裁者が暴力で国民を押さえつけている無法国家においてこそ必要なものである。20世紀初頭の帝政ロシアがそのひとつだった。専制政治をくつがえしたロシア共産党は、秘密に徹し、上意下達の軍隊式規律で組織され、党員はそれに無条件に服従し、指導部を死守し、指導部への批判は事実上反党活動とみなされた。党員は命がけで体制側の弾圧の網の目をくぐって人民を組織し、決死の武装蜂起に立ちあがらせた。秘密主義と軍隊的規律、指導部の死守、批判の厳禁は革命党の命である。これなしに戦えるような甘い状況ではなかった。ロシア革命を成功させたロシア共産党の組織のあり方は、その当時の状況にみあったものだった。
このロシア共産党の組織原則が一般化されて、コミンテルン(共産主義インターナショナルの略、国際共産党)に加盟する各国の党はみなそれにならった。1922年にコミンテルン日本支部として創立された日本共産党もこの組織原則をそのまま踏襲した。そうしないとコミンテルンに加盟が認められない。加盟を許された各国の党は「民主主義的中央集権制の原則にもとづいて建設されなければならない」とされ、「軍事的規律に近い鉄の規律」をもつこと、「ソビエト共和国を支持すること」などが義務づけられた。
これは『レーニン全集』(大月書店)第31巻の「共産主義インターナショナルへの加入条件」(199~205ページ)に書かれている。
だが、あれから100年近くたった。世の中は根本的に変わった。社会主義体制は総本山のソ連の人民からも見放された。
いま必要なことは、世界の変化にそって、日本の実情に合わせて日本共産党の組織のあり方を大胆に見直し、転換することである。コミンテルンの残滓を一掃し、日本人民の幸せのためにどういう党に発展させるべきかをすべての党員が考え、意見をのべ、みんなでつくりあげていくことである。
以上の記述には深刻な誤りが数多く見出される。まず、20世紀初頭におけるロシア共産党についての記述は初歩的な誤りに満ちている。少し細かい話からすると、そもそも、20世紀初頭の帝政ロシアの時代にロシア共産党は存在しなかった。存在していたのは、ロシア社会民主労働党であり、後にロシア共産党になるボリシェヴィキは、この政党の一分派にすぎなかった。1912年にボリシェヴィキは別党コースを歩むが、そのときもロシア社会民主労働党という名称は存続した。ボリシェヴィキが完全にメンシェヴィキと異なる原理にもとづく別の政党になったのは、ようやく1917年になってからである。また、帝政を覆したのは、ボリシェヴィキではなく、2月革命であり、その時ボリシェヴィキは、ごく微々たる勢力にすぎなかった。ボリシェヴィキが覆したのは、帝政ではなく、帝政崩壊後に生まれた帝国主義的ブルジョア政府である。もっとも、ボリシェヴィキ革命なしには、最終的には帝政が復活しただろうということを考えるなら、帝政の息の根を止めたのはボリシェヴィキであるといっても間違いではないが。
さらに、帝政ロシア当時のボリシェヴィキにおいて、「上意下達の軍隊式規律で組織され、党員はそれに無条件に服従し、指導部を死守し、指導部への批判は事実上反党活動とみなされた」などというのは、まったくのナンセンスである。革命前においても革命後においても、ボリシェヴィキ党内では、自由な党内論争が保障され、レーニンといえども、何度となく激しい批判を党内から浴びせかけられた。誰もレーニンを批判することに躊躇などしなかったし、指導部への批判は奨励されないにしても、党員の当然の権利であり、それをいささかでも否定するなどと言うことは、思いつきもしないことであり、そのような考えこそ「反党」的とみなされただろう。萩原氏は明らかに、スターリン時代の共産党のあり方(あるいは日本共産党の現在のあり方)をそのままレーニン時代にも延長して考えている。
また、萩原氏は、コミンテルンの加入条件の中に「軍事的規律に近い鉄の規律」という文言があることを強調しているが、しかし、まず第1に、レーニン時代においては、この「鉄の規律」は、自由な討論や批判と完全に両立していた。もちろん、「自由な討論」といってもそこには当然節度があったが、しかし、党大会や機関紙といった正式の場において、党員は指導部を含む誰に対しても公然と批判することができたし、実際に批判していた。むしろ、そのような自由な討論が保証されているからこそ「鉄の規律」が可能になるのである。第2に、「軍事的規律に近い」云々という文言の直前には「現在のような激しい内乱の時期には」という明確な限定がつけられている。この加入条件が採択されたのは1920年であり、ソ連では激しい内戦が闘われ、ヨーロッパでは各地で武装闘争が発展していた時である。このような例外的な時期において「軍事的規律に近い」という修飾句がつけられているのであって、けっして一般的な原則ではない。
またそもそも「民主主義的中央集権制」は、レーニン時代とスターリン時代ではその内実はまったく異なったものであった。スターリン時代においては、「民主主義的」という言葉は単なる飾りであり、まさに「指導部への批判は事実上反党活動とみなされた」。だが、レーニン時代においては、「民主主義的」という形容詞は生きた現実を反映していた。内戦のさなかにおいてさえ、『プラウダ』紙上では活発な討論がなされ、指導部に対するさまざまな批判や反論が展開されていた。
さらに萩原氏は、「たしかに革命とは、議会もなく、国民には民主的自由はなく、独裁者が暴力で国民を押さえつけている無法国家においてこそ必要なものである」と述べ、共産党が最近まったく革命と言わなくなった事実を肯定的に評価しさえしている。だが、これは驚くべき楽観主義的意見である。
スペインの人民戦線政府は1936年に選挙で多数をとって政権についたが、それにもかかわらず、フランコ将軍をはじめとする反動的将軍と大ブルジョアジーは軍事反乱を引き起こし、スペインを最も残酷な内戦に引きずり込み、数十万のスペイン人を死に追いやった。戦後においてもチリ共産党とチリ社会党は、これまた大統領選挙で勝利して民主的に政権に就いたが、ピノチェト将軍を中心とする反動勢力は軍事クーデターを起こし、数万の活動家を虐殺した。世界で最も「民主主義的」であると自称しているアメリカは、世界のあちこちで最も残酷な独裁政権を維持し、世界各地でクーデターを引き起こし、世界最強の軍隊を各地に送りこみ、無抵抗な相手に最新鋭の爆弾の雨を降らせている。
これが現実である。共産党の中央集権主義はこのような現実を反映している。共産党の中央集権主義は、時代遅れの帝政を倒すためのものではなく、歴史上最も強固な権力であるブルジョアジーと帝国主義の権力を打ち倒すための武器である。あたかも、共産党の方が一方的に武装解除しさえすれば、帝国主義とブルジョアジーの側が手出しをしなくなるかのような考えは、これまでのすべての歴史によって、根拠のない楽観論として否定されている。
萩原氏は、日本共産党の改革方向として、「コミンテルンの残滓を一掃」するよう提言している。もちろん、過去の「コミンテルンの加入条件」をはじめ、コミンテルンの路線や方針をそのまま現在に復活させてそれを規範にするのは愚かしいアナクロニズムであろう。レーニンでさえ、晩年には、あまりにもロシア的な方針をコミンテルン全体に押しつけてしまったかもしれないと反省の弁を述べているほどである。だがそれにもかかわらず、コミンテルンのさまざまな理論的到達点や経験には学ぶべき貴重なものが多数含まれている。たとえば、萩原氏自身が持ち出しているコミンテルンの加入条件には次のような一節がある。
8、植民地と被抑圧民族の問題では、自国のブルジョアジーがこのような植民地を領有し他民族を抑圧している国々の諸党が、とくに明瞭で明白な方針をとることが必要である。第3インタナショナルへの加入を望むすべての党は、「自国」の帝国主義者が植民地でめぐらしている奸策を容赦なく暴露し、植民地におけるあらゆる解放運動を、口さきでなく、行為によって支持し、これらの植民地から自国の帝国主義者を追放するように要求し、自国の労働者の心に、植民地や被抑圧民族の勤労住民に対する真に友誼的な態度を育てあげ、自国の軍隊内で植民地民族のあらゆる抑圧に反対する系統的な煽動をおこなわなければならない。(『レーニン全集』第31巻、202頁)
この原則はスターリン時代にしばしば忘れられた。1936年に成立したスペイン人民戦線政府は、スペインが領有していたモロッコの民族自決の権利を保障しなかった。そのため、フランコの反乱にモロッコ人の部隊が参加するという事態が生じ、スペイン革命に大きな打撃を与えた。それに対し初期コミンテルンは、さまざまな欠陥にもかかわらず、このような国際主義的精神を持っていた。だが、現在の日本共産党はどうだろうか?
さらに、萩原氏は、コミンテルンの加入条件の中で「ソビエト共和国を支持すること」が義務づけられていると述べている。だがこれは、意図的ではないかと思えるほど不正確な紹介の仕方である。実際にはどのように書かれているか?
15、共産主義インタナショナルへの加入を望むすべての党には、反革命勢力に対する各ソヴェト共和国の闘争を、献身的に支持する義務がある。(『レーニン全集』第21巻、203頁)
このように、「ソヴィエト共和国」一般の支持ではなく、あくまでも反革命勢力に対する各ソヴィエト共和国(当時はソヴィエト共和国連邦はまだできていなかった)の闘争を支持するよう求められているにすぎない。当時はまだ内戦が行なわれている最中であり、武力でソヴィエトを打倒しようとする勢力との闘争を支持するのは、まったく当然である。いったい何ゆえ、萩原氏は、このような不正確な紹介をしたのか?