右傾化と堕落に限界はないのか?――不破指導部の自衛隊活用論の犯罪性

3、不破発言における2つの決定的な問題(2)
 ――自衛隊の活用は当然か

 第2の決定的な問題は、野党連合政権であれ、民主連合政権であれ、「自衛隊を活用して当然」という立場も、これまでの党の基本路線を踏みにじるものである。
 『しんぶん赤旗』弁明記事は、よりにもよって第12回党大会の決定を持ち出している。この赤旗記事は、何ゆえか、長い長い第12回党大会決定のうち「『可能なあらゆる手段』を使って」という短い一句だけを引用し、「自衛隊が存在している段階では、この『あらゆる手段』には、自衛隊がふくまれることは、当然のことです」と主張している。ただちに疑問に浮かぶのは、不破委員長の記者クラブ講演や産経インタビューなどの他の文献についてはあんなに長々と引用しながら、なぜ最も重要な大会決定については、この一句だけが引用されているのだろうか、ということである。さらに、「可能なあらゆる手段」という第12回大会決定での表現が、なぜ赤旗の解説文になると「あらゆる手段」という表現に縮められているのだろうか? これらはけっして偶然ではない。
 すでに、読者からの投稿で適切な反論がなされているが、ここで改めて第12回党大会の決定を引用しておきたいと思う。
 『赤旗』の弁明記事が引用した「可能なあらゆる手段」という表現は、この大会で民主連合政府綱領提案について説明した上田耕一郎幹部会委員(当時)の報告の一部であり、『前衛臨時増刊 第12回党大会決定特集』の179頁、上段、後ろから2行目にある。この一文を含むこの段落を引用しよう。

憲法第9条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります。この立場は自民党の解釈改憲の立場とはまったく無縁のものです。

 「可能なあらゆる手段を動員してたたかう」ことが、「自民党の解釈改憲の立場とまったく無縁」であると言われている。なぜ無縁なのか? その理由は、この段落の直前にある次の一文がはっきりと示している。

それでもなおかつ、万一、中立日本の国際的保障をも無視して侵略があった場合はどうするかという問題が提出されえます。仮定の問題ですが、そうしたさい、すべての民族、国家がもっている自衛権にもとづいて、民主連合政府は、日本の中立を保障している諸国民と政治的に連帯し、国民とともに侵略者に断固抵抗するでしょう。
 このような事態は、現行憲法があまり予定しない事態ではありますが、自衛権が、国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵害をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとしての自衛権が憲法第9条によっても否定されないことは、すべての憲法学者や国際法学者もみとめているところです。このような急迫不正の侵略にたいして、国民の自発的抵抗はもちろん、政府が国民を結集し、あるいは警察力を動員するなどして、この侵略をうちやぶることも、自衛権の発動として当然であり、それは憲法第9条が放棄した戦争や武力行使でもなく、同条で否認した交戦権の行使や戦力保持ともまったくことなるものです

 この文章に続いて、先に引用した文章がくる。つまり、急迫不正の侵略に対しては、憲法9条が禁止している武力(自衛隊は言うまでもなく!)によってではなく、あくまでも警察力や国民的抵抗(ストライキや不服従運動などを含むだろう)によって対処すると書いているのである。だからこそ、「可能なあらゆる手段」なのである。「可能な」というのは、省いてもいい冗句などではない。あくまでも、現行憲法下で「可能な」あらゆる手段のことであることを言うために、あえて「可能な」と付けているのである。
 最近入ったばかりの党員ならいざ知らず、少なくとも10年以上の党歴を持つ党員にとっては、このことは常識である。私たち党員は何度となく、軍隊によらない自衛の問題について議論を戦わせてきたし、この問題をめぐってイデオロギー闘争を行なってきた。党員研究者を含む憲法学界においては、もっと高度な水準で議論がなされており、「憲法9条と自衛権は両立するか」とか、「警察力は9条の否定する武力に相当するのではないか」といった論争がなされている。いずれにせよ、憲法9条下で使用可能な「あらゆる手段」には、絶対、自衛隊は入らないのである。
 にもかかわらず、赤旗記事は、「自衛隊が存在している段階では、この『あらゆる手段』には、自衛隊がふくまれることは、当然のことです」といとも簡単に言い放った! これは、戦後50年というもの無数の党員や支持者や市民運動家や憲法学者やその他多くの人々が憲法擁護のために営々と築いてきた運動と理論的蓄積をすべてご破算にするものである。
 さらに重要な問題を指摘しておけば、有事の際の自衛隊の活用を認めることは、必然的に有事の際の体系的な法制、すなわち有事立法を容認することにもつながる。有事の法制なしに、有事に軍隊を活用することはできない。政府が超法規的手段をとるのでもないかぎり、有事の際の自衛隊活用論は有事法制の整備という主張にならざるをえない。これは、自民党政府が70年代から導入しようとして成功してこなかった課題であり、いよいよ次の総選挙後の政権において実現しようとしている課題である。この重大な時期に、自衛隊活用を当然と発言することの意味を深く自覚すべきであろう。

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