右傾化と堕落に限界はないのか?――不破指導部の自衛隊活用論の犯罪性

5、大会決定を蹂躙し、嘘を平然とつく不破指導部

 ここで簡単に、防衛政策に関する日本共産党の路線の変遷を振り返っておこう。
 不破政権論が出されるまでは、共産党の防衛政策はむしろ、ますます憲法学者の主張するより厳密な憲法解釈に沿うように発展してきた。かつては、民主主義革命政府においては憲法を改正して革命的軍隊を持つという方針だったが、しだいに、将来にわたって憲法9条を維持するという立場に変わっていった。その重要な画期をなすのは、第20回党大会の決定である。念のため、もう一度引用しておこう。

わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障は、中立日本の主権の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に、急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。憲法9条に記されたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想を合致したものである

 この決定に対する報告の中で、不破委員長は自ら次のように断言している。不破委員長自身にも、もう一度読んでもらいたい文章である。

わが党は、日本が、民主連合政府によって、独立・中立の道をすすみだしたさいの安全保障政策が、憲法9条と矛盾しない範囲のものとすべきであることを、70年代からくりかえしあきらかにしてきました。この十数年来の事態の推移と、党の政策的解明をふまえて、わが党は将来にわたってこの方向での努力をいっそうつよめるものです。

 同じ立場は第21回党大会でも繰り返されている。しかし、以上のような立場は、その後、一昨年の不破政権論発表後、次々と覆されていった。まず、『さざ波通信』第2号の雑録3で取り上げたように、99年3月14日付『しんぶん赤旗(日曜版)』の筆坂(党政策委員長)インタビューの中で、筆坂秀世氏は、「万が一、無法な国が日本を攻撃したら?」という質問に対し、すでに次のように断言していた。

そういう場合は、中立日本の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に国の総力を挙げて反撃し、国の主権を守り、国民の生命と財産を守ります。その場合は、『臨時に戦力』を持ちます。『急迫不正の侵略』にたいして、そういう措置をとることは、正当防衛権に属するもので、憲法違反にはならない、というのが憲法学者の有力な見解です。

 このインタビューにおいて初めて、「臨時の戦力」は違憲にあらずという新解釈が持ち出された。これはもちろん、筆坂氏の勇み足ではなく、すでに不破委員長が井上ひさし氏との対談でそういう立場を打ち出していたことをふまえてのことである。この対談は『新日本共産党宣言』という題名でほぼ同じ時期に出された。その中で不破委員長は次のように述べている。

その程度にはとどまらない大規模な攻撃を受けたときには、どうするか。
 これもよく出される問題です。私たちが築きあげていく21世紀のアジアでは、ほとんど考えられない事態ですが、国際社会のルールがおおもとからゆらぎ、そんな危険が現実のものとなってくるような異常な事態が、万が一にもすすみはじめたとしたら、そのときには、異常な事態に対応する特別の措置として、緊急に軍事力を持つなどの対応策をとることが必要になる場合も出てきます。憲法は「戦力」の保持を禁止しているが、異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許されるというのが、多くの憲法学者のあいだで一致して認められている憲法解釈ですから、最も厳格に憲法を守ろうとする政府でも、世界情勢にそういう大変動が起こってくるときには、国民の支持のもとに、この権利を行使するでしょう。

 このように「異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許される」とはっきりと述べている。この著作は、実際には、さらにひどいことが書かれており、今回の発言の布石になっている。

北朝鮮であれ他のどこの国であれ、日本に一方的に攻撃をしかける国があれば、日本が、そのとき可能なあらゆる手段を尽くしてこれに反撃し、日本の主権と安全を断固として守り抜く。これは、日本の国民として、当然の立場です。

 私たちは、『さざ波通信』第3号の論文「憲法9条と日本共産党」の中の「不破新解釈の政治的背景と政治的意味 」において、次のように指摘した。

「そのとき可能なあらゆる手段を尽くして」という文言の意味が、憲法9条のもとで「可能なあらゆる手段」という意味なら、従来の憲法解釈どおりですが、しかし、この文章にはそのような限定がいっさいないところから見て、当然、この「あらゆる手段」のうちには「軍事的手段」も入るということであり、これは完全に憲法違反です。

 しかし、このときの不破発言では、自衛隊は名指しされておらず、その点をぼやかしていた。私たちはこの発言の持つ政治的含意に警告を発しておいたが、今回の発言においてまさに私たちの憂慮したとおりであることが明らかになったのである。
 さらに、3月末に起きた不審船事件において戦後はじめて自衛隊による海上警備行動が発動されたとき、不破指導部は、「海上保安庁が、領海内の不審船舶に対して必要な措置をとることは、当然ありうることである。しかし、自衛隊法82条による海上警備行動の発動という今回の措置が妥当なものであったかどうかは、事態の全容を明らかにしたうえで、究明する必要がある」などというまったく腰砕けの声明を出すにとどまった。このときの沈黙もまた、今回の発言への布石になっている。
 そして、昨年7月7日での発言が続き、ついに今回の朝日記事につながるわけである。まとめると、以下のようになるだろう。

  • 73年11月……第12回党大会→民主連合政府においては、警察的手段などの憲法9条の範囲内での自衛手段のみを用いて侵略に対処する。
  • 94年7月……第20回党大会決定→民主連合政府のときはもちろん、将来にわたっても憲法9条を擁護し、自衛の手段は、憲法9条下において可能な警察的手段に限定される。
  • 97年9月……第21回党大会決定→第20回党大会の決定を踏襲
  • 98年7月……参院選で躍進し、30日の首相指名選挙で民主党の菅直人に投票
  • 98年8月……不破政権論が発表される
  • 99年3月……筆坂インタビュー→安保解消と自衛隊解散後の「臨時の戦力」を合憲とみなす
  • 99年同月……不破『新日本共産党宣言』→「臨時の軍事力」を合憲とみなす。同時に、侵略に対して「あらゆる可能な手段を尽くして」反撃することを肯定。
  • 99年同月末……不審船事件勃発。不破指導部、曖昧な声明でお茶を濁す。
  • 99年7月……『産経新聞』の不破インタビュー→民主連合政府において、自衛隊の「自衛機能」の活用を肯定。
  • 2000年6月……『朝日新聞』の不破インタビュー→民主連合政府のみならず、単なる野党連合政権下においても「自衛隊の活用は、当然」と発言。

 このように、不破指導部が、大会決定をそのままにしたまま、次から次へと基本路線を転換していったことがわかる。たとえ、今回の不破インタビューの立場に同意する党員であっても、このような形で大会決定がいかなる討議もなしに否定されていること、しかも、否定しておきながら、あたかも以前から一貫した立場であるかのように嘘を言っていること、この2つの点だけは少なくとも糾弾しなければならないはずである。今の立場が何となく肯定できるからという理由で、今回のこの暴挙を認めるのだとすれば、明日には、またまったく異なった立場が表明され、そしてそれも以前と同じ立場だと強弁されることになるだろう。
 もしそうなれば、綱領も大会決定も、その他いかなる政策も、また党大会や中央委員会総会もすべて意味をなくし、その時々に指導部が記者会見やマスコミとのインタビューやテレビ番組で発表する意見がすべてという事態になってしまうだろう。それでも、これが日本の進歩と民主主義の前進にとっていいことだと言うのだろうか? 政権に入るためには、こういうことにも目をつぶらなければならないとでも言うのだろうか? もしそうだとすれば、自民党の公約違反を糾弾するどのような根拠が共産党にあるというのか? 公明党がころころと立場を変えていることを批判するどのような根拠があるというのか?

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