まず、経済政策で目につくのは、『さざ波通信』への投稿にあったように、「大企業中心を国民中心に切りかえる」といった趣旨の文言がまったく見当たらず、攻撃の矛先が基本的にゼネコンと大銀行に集中していることである。たとえば、第1章の表題は「景気と暮らしどうする──ゼネコン・大銀行応援の政治か、国民を応援する政治か」となっており、「大企業中心の政治」といった表現は見られない。「大企業」という言葉は、たとえば、「大企業の大量解雇や身勝手な首切りを規制する」といった文脈で出てくるが、自民党政治そのものを特徴づける言葉としては、まったく出てこない。
同じ傾向は、6月4日に行なわれた不破委員長の新宿演説でも見られる。ここでも、大企業のリストラを批判する文言はあっても、自民党政治を特徴づける言葉としては「ゼネコン・大銀行優先」だけである。
また、前号の雑録2では、「欧米ではあたりまえの解雇規正法」という表現の不正確さについて指摘しておいたが、今回の「政策と訴え」を見ると、次のように表現されている。
大企業の大量解雇や身勝手な首切りを規制するというのが世界の常識です。
これはまたずいぶん大雑把な表現である。ヨーロッパ諸国が「世界」であるとすれば、たしかに解雇規制は「世界の常識」であるということになろうが、いくらなんでもそうではあるまい。世界はヨーロッパよりも広く、そして多くの国では解雇に対する十分な規制が存在しないのが現実である。
事実、日本共産党の幹部たち自身が東南アジアを歴訪したとき、訪問国の一つであるシンガポールには、労働者の解雇を自由化する法律があった。『さざ波通信』第7号の雑録2で批判したように、このことを訪問団の座談会で彼ら自身が堂々と語っており、しかも、不破委員長は、訪問先のシンガポールの政府要人に対して、「日本共産党はシンガポールで活動している党ではありません。だから、あなたがたの国会が決めたことについてはとやかくいいませんよ」と平然と言い放ったのである。日本では有権者に向かって「大企業の大量解雇や身勝手な首切りを規制するというのが世界の常識です」と高らかに宣言して解雇規制を訴えながら、世界に出て行くと、そこの国の支配者にへつらって、「あなたがたの国会が決めたことについてはとやかくいいませんよ」と冷厳に言い放つ。日本の労働者は票になるから大切だが、票にならないシンガポールの労働者はどうでもいいということか。
共産党は、この「政策と訴え」において、資本主義に「あたり前のルールを守らせる」という改革を、「公共事業・大銀行中心から社会保障中心へ」という改革と並んで2大経済改革の1つとみなしている。しかし、この「あたり前のルール」が適用されるべき対象として、2つの重大な分野が無視されている。
1つ目は、昨今、労働者の中で急増している非正規・不安定労働者の権利と地位の問題である。「政策と訴え」ではしきりにリストラの問題とサービス残業の問題が取り上げられているが(もちろんいずれも重大な問題だ)、それと同時に、現在きわめて深刻になっているのは、大量の非正規・不安定労働者が増えている事実である。すでに、女性の雇用者の4割以上が、パート労働者、派遣労働者、アルバイト、契約社員といった非正規・不安定労働者になっている。男女合わせても、その数は2割以上に及ぶ。したがって、せめてこの「政策と訴え」では、常勤労働者をパート労働者に無制限に置きかえることに対する規制、パート労働者の時間給および各種権利を常勤労働者並にすることをはじめとした、パート労働者保護法の制定を緊急の要求として書きこむべきであった。模範としてよく取り上げられているヨーロッパの例でいえば、まさにヨーロッパにおけるパート労働者の地位は、法律によって守られている。また、パート労働者の地位を守ることこそが、結局、常勤労働者の地位を守ることにもつながるのである。
2つ目は、これまた昨今、急速に発展している多国籍企業の活動に対する規制である。共産党の綱領が明確に規定しているように、今や日本の大企業はますます多国籍化し、アジアを中心に大規模に海外進出している。そして、開発独裁国家による運動弾圧や組合規制、低賃金のおかげもあって、多国籍企業は日本以上にやりたい放題の横暴をはたらいている。「あたり前のルール」というのなら、この多国籍企業による横暴にも歯止めをかけなければならないはずである。実際、党綱領には、多国籍企業の民主的規制という項目が行動綱領に入れられている。しかしながら、この重要な争点には、この「政策と訴え」ではまったく言及されていない。多国籍企業が国外、とりわけ社会的規制の緩やかなアジア諸国に進出し、そこで大きな利潤を上げるという構造があるからこそ、産業の空洞化に伴うリストラも大規模に進行しているのである。したがって、大企業の無謀なリストラ政策を規制するには、多国籍企業に対する規制が不可欠である。また、多国籍企業を規制しないかぎり、いくら日本国内でだけ民主的規制を実施しても、大企業はこの規制を嫌って、いっそう海外へと拠点を移し、産業空洞化を促進することになるだけだろう。現在のようなグローバリズムの時代においては、規制やルールの対象を国内に限定しているかぎり、その国内の労働者の利益も守れないのである。