全般的な社会政策については、4章「日本民族の未来を展望あるものにするのか、それとも土台をくずすのか」で展開されている。
まずもって、この表題にちょっと驚かされる。これほど国際化が進み、日本に多数の外国人が流入し、生活しているというのに、社会政策を語る章の全体が「日本民族の未来」としてくくられているというのは、どういうことか? 自民党政治の悪政が、「日本民族」なるものだけに及び、外国人には及ばないというのか? 有権者にすら、かなりの数の「非日本民族」がいるというのに! このような表現は石原慎太郎にこそふさわしいものである。まずこの点を指摘しておきたい。
次に具体的な中身だが、まず教育問題について、今回の政策提案がひどく抽象的なことに多くの方は気づいたと思う。基本的に提起されているのは道徳の問題だけである。なるほど、健全な市民道徳も教育過程の中で一定必要ではあるだろう。学校というものが、平等の理念や人権の論理が押しつけでない形で実践的に学ばれる場となるのなら、それは進歩的で積極的なことである。しかし、今回の政策においては、実践的な形での「学び」というよりも、上からの「道徳教育」の推進と受け取られかねない抽象的な表現になっている。
また、「受験中心」から抜け出させるという提起も抽象的なままに終わっており、具体的に何をどうすればいいのかがまったく見えてこない。「ものごとの道理を理解し、身体をきたえ、市民道徳を身につけることができる学校教育に改革します」と言われているが、この「改革」の中身も不明である。最低でも、教員の大幅増、教員の待遇改善、30人学級、校内カウンセラーの設置、不登校児童のための自由学校あるいはホームスクールへの財政援助と支援、などは必要であると思われるが、こういったごく初歩的な提起さえ今回の「政策と訴え」には入っていない。
また、今日、選択権の拡張の名のもとに、公教育の縮小・解体が急ピッチで進められつつあるが、こうした最も重要な争点についても、この「政策と訴え」では言及されていない。また何よりも教育現場を徹底して荒廃させてきた「日の丸・君が代」の押しつけ問題についても言及がない。
次にこの社会問題の項目で大いに問題であると思われるのは、男女差別を撤廃し女性の働く環境を整備するという重要課題が、基本的に、「少子化傾向の克服」という文脈でのみ語られていることである。あたかも、女性にもっと子供を産んでもらいたいから、男女差別を撤廃し、女性の働く環境を整備するかのようではないか。これでは、女性を子産みの道具とみなしてきたこれまでの家父長制的発想と同根であると批判されても反論できないだろう。女性の権利拡張と働く環境の整備は、少子化と独立して提起されなければならない。
また、この社会問題の項目では、昨今ますます重要になってきている外国人労働者、一般に来日外国人の人権と労働環境を保護・改善する問題について、まったく論じられていない。選挙で票にならないから取り上げないということなのか? だが、外国人労働者および一般に来日外国人の地位と権利の問題は、日本人労働者および一般に日本人の地位と権利に不可分に結びついている。外国人が低い地位と賃金にとどめおかれているかぎり、日本の労働者の権利もまた守れないのである。
環境問題をめぐっては、原発依存から抜け出すことが強調されていることは評価したい。しかし、具体的に提起されている政策となると、「原発の増設をやめ、プルトニウム循環計画を中止します」ということだけであり、それ以上は代替エネルギーの開発しだいという腰砕けの内容になっている。ドイツはすでに原発の全廃に向けて足を踏み出した。スウェーデンはもっと早くから足を踏み出している。原発全廃論はすでに一部の急進主義者が唱えるユートピア思想ではない。東海村での重大な臨界事故にもかかわらず、共産党の政策が「原発の増設をやめる」などという水準にいつまでもとどまっているのは、臆病もはなはだしい。原発の一定期限内の全廃に向けた法律を作成し、原発の大幅削減に向け具体的に足を踏み出すべきときである。
またこの同じ環境問題に関しては、「政策と訴え」が、「環境税については、消費者・使用者一般に一方的負担をもとめるような方式はとるべきではありません。汚染の原因となる物質・商品を生産しているメーカーの責任と負担を明確化すべきです」としている点にも疑問をおぼえる。メーカーの責任と負担を明確にすべきであることは当然であり、その点の追及は徹底してやるべきだが、消費者・使用者が何の負担を負わなくてもいいということにはならない。高度消費社会においては、消費者もまた、環境破壊の重大な一翼を担っているのであり、ライフスタイルの根本的な変革なしには、環境問題の真の解決もないことは、すでに十分論じられていることである。消費者や使用者に負担を求めることは、票につながらないという計算があるのだろうが、そのような発想に立っているかぎり、環境問題の解決などまったくおぼつかないことは明らかだし、またそのような態度は有権者を愚弄するものでもある。