日本共産党の総選挙政策の批判的検討

5、民主主義政策の欠落

 今回の「政策と訴え」を読んで気づくのは、経済政策、平和政策、社会政策についてそれぞれ大きな章が設けられながら、「自由と民主主義を守り発展させる」という項目が見当たらないことである。この間、自自ないし自自公ないし自公保政権は、この民主主義の分野においてこれまでの自民党内閣ができなかった多くの悪法を通してきた。国会の定数削減しかり、国旗・国歌法しかり、盗聴法しかり、住民台帳法改悪しかり、選挙法改悪しかり、オウム新法しかり、である。そして今後においても、「昭和の日」制定策動、選挙法のさらなる改悪と比例定数のさらなる削減、有事立法制定策動など、予想される反動立法は目白押しである(有事立法は単に平和にかかわるだけでなく、民主主義的権利全般にかかわっている)。この面に関して、国民の審判を仰ぐべき問題はいくらでもある。当然、民主主義に関する独立した項目が設けら、国民の審判を訴えてしかるべきだろう。
 今回の「政策と訴え」では、第5章で、公明党を批判し、その中で盗聴法や国旗・国歌法にも触れているだけで、それらの法律自体を、では今後どうするつもりなのかについて何も語られていない。共産党指導部は、国旗・国歌の法制化を容認した際、世論が変われば国旗・国歌も変えることができると主張していた。その安直な姿勢についてはすでに私たちは厳しく批判したが、しかし、少なくともそうした発言のうちには、今後は「日の丸・君が代」を国旗・国歌としている状態を変えるべきであるという基本姿勢が表明されていたはずである。とするならば、なぜこの問題を今回の「政策と訴え」で無視したのだろうか? 国旗・国歌法が問題になったとき、共産党指導部は全国民と対話し、国民的討論のうねりを作り出すと豪語した。実際、全戸配布ビラを作成し、それを全国津々浦々まで配りきった。とすれば、そうした活動は今後に生かされるべきだろうし、とりわけ今回の総選挙という機会が、そのためのステップとして活用されるべきである。なぜそうしないのか?
 同じことは盗聴法についても言えるだろう。共産党は、先の国会で盗聴法案反対の運動をするにあたって、民主党や社民党との共闘を実現することができた。民主党や社民党との連合を目指している党指導部が、比較的実現しやすいと思われる盗聴法の廃止すら「政策と訴え」の公約に入れていないのはどうしてであろうか?
 また定数の削減は、共産党が審議ボイコットまでして抵抗した問題であり、民主主義の根幹にかかわる大問題である。選挙制度が大政党に有利な反動的なものであるかぎり、政権党がどんなに悪政の限りを尽くしても、それは議席にはほとんど反映しなくなる。多くの貧しい人々や少数派は政治的アパシーに陥り、投票そのものに行かなくなるだろう。現在アメリカで生じているのはまさにこうした現象である。少なくとも定数をもとに戻し、比例代表選挙を中心とした選挙制度に改革することは、共産党やその他の少数政党の生死にかかわる問題であるだけでなく、日本における民主主義そのものの生死にかかわる問題である。このことをこの総選挙の機会に訴えなくて、いつ訴えるというのか?
 これまでの政策の3本柱は平和、民主主義、暮らしだったが、今回は「民主主義」が抜け落ち、代わりに「財政再建」が導入されたという構図になっている。こうした構成をとった理由を想像することは難しくない。それは、保守票取り込みのためには、保守層との間で意見が割れそうな問題(とりわけ「日の丸・君が代」問題)は前面に出さないようにするという配慮であろう。したがって、これは、自衛隊、安保、天皇制などの問題をめぐるこの間の共産党の右傾化路線の一つの現われと見ることができるだろう。

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