この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
1、問題のある共産党HPのリニューアル
さる6月15日に、共産党のホームページが突如リニューアルされた。一見したところでは、レイアウトが一新され、いろいろと有用に改良がなされたのではないかという印象を受ける。しかし、よくよく見ていくと、いくつかの点で、サービスの後退している部分がある。まず、今回のリニューアルによって、『しんぶん赤旗』の96年11月から99年12月までの期間のバックナンバー記事が削除されていることである。4月4日の「お知らせ」欄で通知されていたように、『しんぶん赤旗』の記事が業者のデータベースに委託されたための処置ということなのであろうが、この業者のデータベースはあくまでも会員向けのサービスであり、1件50円ということを考えるなら、一般人にとっては非常に高いハードルである。しかもこのデータベースは99年1月以降の記事であり、それ以前の記事が調べられない点を考えるなら、やはり読者サービスとしては、後退している。
さらにホームページを検討してみよう。何よりも目につくのは「知りたい聞きたい」のコーナーが独立・再編成されていることである。このコーナーには、99年1月以降にホームページに掲載された「知りたい聞きたい」の記事が、22のジャンルに振り分けられている。数えてみると、合計で228本が収録されている。しかし、つぶさに見ていくと、これまでに掲載されていたはずのタイトルのいくつかが削除されていることがわかる。
私たちが手元にもっている資料をもとに調べてみると、99年1月からこれまでに掲載された「知りたい聞きたい」の記事は、全部で254本である。つまり26本のタイトルがなくなっている。もちろん、よく似た質問をまとめて整理するために、削除をされたものもあるのだろう。しかし、6月7日のトピックスでも指摘したように、少年法改正問題をめぐって、「不破新見解」が発表されるのに前後して、従来の党の見解がいつのまにか削除されていたという経緯を踏まえるならば、もう少し詳しく調べることが必要である。
今回この「知りたい聞きたい」のコーナーは、見た目は大きく変化しているが、記事のおかれている場所(URL)は変わっていない。つまり、記事そのものがなくなり本当に削除されてしまっているのか、タイトルだけがはずされているだけなのかは、現在でもすぐに検証することができる。そこで、記事の一つ一つの所在を調べていくと、次のような驚くべき結果となった。
◎ウェブから記事ごと削除されていたもの(14本)
1999-01 社会主義と社会民主主義はどうちがう?
1999-02 「消費税廃止」の方針はどうなった?
1999-03 少年法「改正」案をどう考える?
1999-04 レーニンは大企業をどう位置づけていた?
1999-05 天皇が出席する国会開会式に参加しないのは?
1999-05 永住外国人の地方参政権にかんする政策は?
1999-08 「地方公聴会での反対意見が反映されないのは?
1999-09 朝鮮半島の問題についての見解は?
1999-09 東ティモール問題ってなに?
1999-09 「日本改革論」ってなに?
1999-09 連立政府をつくる用意は?
1999-10 党員首長は党の方針に従わざるをえないか?
1999-12 ”審議拒否は議会政治の自殺行為”?
2000-01 永住外国人の地方参政権にかんする見解は?
◎ウェブ上には残っているがタイトルからははずされているもの(12本)
1999-01 国会議員の削減をどう考える?
1999-03 「日の丸」をどう考える?
1999-06 介護保険料払ってもサービス受けられない?
1999-07 介護保険料が自治体によってちがうのは?
1999-08 産業廃棄物処理をどうする?
1999-10 オウム対策の新立法をどう考える?
2000-01 最近の日本の階級構成は?
2000-02 「建国記念の日」をどう考える?
2000-03 生活密着型公共事業の雇用効果は?
2000-05 警察の腐敗なくすために必要なことは?
2000-05 有珠山災害での救援・復興策は?
2000-06 文化振興基本法を提唱しているのは?
つまり、今回のリニューアルに前後して、14本の記事がまるごとウェブ上から消失しているのである(これらの削除記事は、資料として本号に全文掲載しておいた)。しかも削除された時期をたどってみると、これら14本の記事は、ホームページのリニューアルを待たずして、それ以前からすでにウェブ上から削除されていたことがわかった。これはいったいどういうことなのだろうか?
2、見解の変更に伴う記事の削除
削除された記事の中には、その政治的動機が明々白々なものがある。
まず第1に、この間に指導部が突如として打ち出した新路線・新見解に抵触するものである。たとえば、消費税減税問題をめぐる記事がそれである。今月号の雑録―1で触れているように、今回の総選挙において党指導部は、「いま、3%への引き下げを無責任に言わない」(筆坂政策委員長)として、消費税減税の政策を棚上げし、「大増税に反対」の立場に方針が変更されることになった。しかし、これまで共産党は何と言ってきただろうか?「『消費税廃止』の方針はどうなった?」の削除記事では、次のような書かれていた。
(問い)日本共産党は「消費税廃止」の方針をかかげていましたが、今は「三%」にといっています。「廃止の方針」はどうなったのですか。(島根・一読者)(答え)消費税は、所得の低い人ほど税負担が重い最悪の不公平税制であり、なくす以外にない悪税です。税率が三%から五%となり、消費税の弊害はますますはっきりしてきており、日本共産党の「廃止」の基本方針に変わりはありません。消費税廃止をめざしつつ、当面、税率を三%に引き下げよというのが日本共産党の方針です。では、いまなぜ「三%」を掲げているのかということです。それは、次のような理由からです。
第一は、何よりも深刻な不況を一日もはやく打開することが緊急の課題であり、国民共通の切実な要求だからです。消費税率を引き上げたことが個人消費の冷え込みとなり、不況を一段と悪化させたことは客観的な事実であり、そのことは政府も認めています。三%にもどすことは、国民の消費購買力を引き上げ、景気を回復するうえで不可欠であり、決め手ともなります。(以下略)
これをみると、1年前には、消費税減税が「不可欠であり、決め手」だと言いきっていたことがはっきりとわかる。この方針が現在の政策とかみ合わなくなったため削除されたのは、明らかである。
同様に、「少年法「改正」案をどう考える?」のなかでは、以下のように書かれていた。
(問い)少年犯罪が凶悪化していて厳罰でのぞむべきだという意見がありますが、日本共産党は少年法の改正案をどう考えますか。(埼玉・一読者)(答え)少年法では、犯罪を犯した少年をとりまく家族や学校などの環境や、生い立ち、事件にたいする自覚などを、家庭裁判所が少年審判という形式で「懇切を旨として、なごやかに」(少年法二二条)おこない、少年の発言もよくきいて総合的に判断します。この審判は、自分がおこした事件にたいする正しい認識や反省ができるよう、その少年にふさわしい教育的な処遇をきめ、その処遇をつうじて少年の社会復帰をはかることを目的としています。(中略)今国会に政府が提出した少年法「改正」案は、こうした厳罰化への動きを反映したものです。検察官をあらたに審判に参加させて、おとなの刑事裁判と同じように検察官がきびしく処罰をもとめるやり方を広範囲に導入したり、少年の身柄の最長拘束期間を四週間から十二週間に延長させたりすることが提案されています。これは、少年みずから立ち直ろうとする力を援助するという現行少年法の精神を大きくゆがめる性格の改正です。ですから日本共産党はこのままで「改正」案をみとめるわけにはいかないと考えています。
この回答のなかでは、厳罰主義を戒め政府案を批判するという姿勢が打ち出されている。6月7日に不破委員長が突然出してきた「18歳以上の青年を成人とみなし、少年法の対象からはずすべき」だという見解は、もちろんまったく含まれていない。本来であれば、こうした問題は、多面的な検討と民主的な政策論議の過程を経て提案されるべきものであり、テレビ番組でいきなり委員長が発言し、それを党の見解とするような性質の問題ではない。いずれにせよ、この記事も、現在の見解との不整合が生じたために削除されたのは間違いない。
また、ここで記事が削除されているという事実から、今後さらなる路線変更が打ち出される危険性を内包したものもある。たとえば、「天皇が出席する国会開会式に参加しないのは?」という削除記事の中では、次のように書かれている。
(問い)日本共産党の国会議員は、天皇が出席する国会の開会式に参加しませんが、なぜですか。(石川・一読者)(答え)日本共産党が国会の開会式を欠席するのは、開会式のやり方が、形式の点でも、内容の点でも現憲法の規定を逸脱するものだからです。
現在おこなわれている国会の開会式は、衆院議長が式辞をのべたのち、壇上にたった天皇から衆参議員が「お言葉を賜る」という形式で、天皇主権の戦前のやり方をそのままひきついだものです。天皇がのべる「お言葉」の内容も、自民党政治の内外政策をたたえるなど国政にかかわる政治的なものでした。
国民主権を定めた現在の憲法は、国会を「国権の最高機関」とし、天皇の国政への関与を禁じ、天皇がおこなうべき国事行為も形式的、手続き的行為に厳しく限定しています。開会式に天皇が出席して政治的発言をするというこうした行為は、法令上なんの根拠もなく、憲法の主権在民の原則にも、国政関与禁止の天皇条項にも反するものです。
このような記事が政治的配慮によって削除されたとすれば、共産党は今後、「法令上なんの根拠もなく、憲法の主権在民の原則にも、国政関与禁止の天皇条項にも反する」はずの国会開会式に出席するのではないかと疑われても仕方ないだろう。そしてそうした「疑い」がけっして根拠のないものではないのは、すでにトピックスなどで紹介した6月8日付の『朝日』の記事から明らかである。
3、「政権入り」とかかわる削除
第2に、共産党の「政権入り」の可能性と関わる記事の削除である。たとえば、最も典型的なのは、「連立政府をつくる用意は?」という記事が削除されたことである。そこでは、次のように書かれていた。
(問い)日本共産党は、民主党や社民党、新社会党などの野党と連立政府をつくる用意はありますか。また、そのときの条件はなんですか。(岡山・一読者)(答え)日本共産党は、自民党政治を根本的に打破する安保条約廃棄の民主連合政府を二十一世紀の早い時期に樹立することをめざしています。しかし、その前の段階でも、たとえば総選挙で自民党・与党が多数を失い、野党がまとまって、安保問題では一致しなくても、国民の生活や民主主義にかかわる重大な点で自民党政治を少なくとも部分的には打破し、その分野では国民の利益にかなう政策を実行する政府をつくれる条件があるなら、その実現にも積極的に力をつくす考えです。
この立場から不破委員長は昨年八月の『しんぶん赤旗』のインタビューで、「こんごの情勢の発展のなかで、野党の連合政権の協議が問題になるときには、われわれは積極的な提案をもってその協議に参加する用意があります。そして、その協議によって、政権の基礎となる政策協定その他の合意ができれば、それにもとづいて、政権にも参加する用意があります」と政権問題にのぞむ日本共産党の態度を明らかにしました。
その後、戦争法成立という重大な事態のもとで、ことし六月の日本共産党第四回中央委員会総会は、戦争法の発動を許さない政府の樹立の大切さを強調。「どんな段階で、どんな形態の政権を問題にするときでも、私たちは、戦争法にたいする態度の問題を、政権の性格にかかわる基本問題として位置づけ、重視する必要」があると指摘しています。
このように、この記事では、「連立政府」に参加する際のわずかな歯止めとして、「どんな段階で、どんな形態の政権を問題にするときでも、私たちは、戦争法にたいする態度の問題を、政権の性格にかかわる基本問題として位置づけ、重視する必要」があるという基準が示されている。しかし現在、この「戦争法に対する態度」という基準ではどこにいったのだろうか? このようなわずかな基準でさえも、政権入りの可能性を前にして、もはや語られることがなくなっている。「知りたい聞きたい」の記事すら削除されたことは、この面での党指導部の姿勢をはっきりと示しているのではないだろうか。
また、「党員首長は党の方針に従わざるをえないか?」という削除記事では、次のように書かれている。
(問い)日本共産党は地方自治の実現をかかげていますが、一方で民主集中制をとっています。自治体の日本共産党員首長は結局、党の方針に従わざるをえないのでしょうか。(京都・一読者)(答え)日本共産党の組織原則である民主集中制(民主主義的中央集権制)は、同じ社会変革の目標をかかげて活動している党員が、ものごとを決めるまでは民主的に討論し、決めたことは一致して行動するという、近代政党としてあたりまえの原則です。
しかし日本共産党は、党員首長の自治体運営の仕事の内容にたいして、党機関が民主集中制にもとづく指導などはおこなわないという方針をもっています。現に党規約には、住民から選ばれて公職につく地方の党員について、議員にたいする指導だけを明記しています。
それは、自治体首長が、行政の責任者であり、住民全体の利益の代表であるからです。もともと自治体は、さまざまな思想信条、政治的立場の人びとが住民を構成しています。そのなかで、住民の合意をはかりながら自治体の運営はすすめられるべきものだからです。
ここで言われている「党員首長の自治体運営の仕事の内容にたいして、党機関が民主集中制にもとづく指導などはおこなわないという方針」については、議論がいるところだろう。しかし、地方の首長どころか党自体が政権入りしたときは、民主集中制の対象から党の最高指導部自体がはずれるという大矛盾に直面することとなる。これに対する見解を現在の指導部が持っていないことが、記事が削除された一要因ではないだろうか。
4、それ以外の削除記事
さらに、以上の削除記事以外に、科学的社会主義に関する記事の削除がいくつかある。「社会主義と社会民主主義はどうちがう?」という削除記事では、次のように書かれている。
(問い)ヨーロッパや日本の政党の名前をみて疑問に思うのですが、社会主義や共産主義と社会民主主義はどうちがうのでしょうか。(東京・大学生)(答え)科学的社会主義は、人類が将来、資本主義の枠をのりこえ、本当に豊かで自由になる社会に到達することを展望しています。この社会制度は、過渡期をへて、(1)社会主義とよばれる段階(共産主義の第一段階ともいう)と、(2)共産主義とよばれるより高度の段階とにわけられます。
(中略)社会民主主義は、その名称から社会主義をめざしているようにうけとられることもありますが、そうではありません。十九世紀の後半から二十世紀の最初にかけて、科学的社会主義の運動が「社会民主主義」と表現された時期もありました。しかし、第一次世界大戦で社会民主主義の主な諸党が侵略戦争に賛成し、平和と社会主義の事業を裏切ったので、レーニンは、社会民主主義の名称に批判的だったマルクス、エンゲルスの立場にたって、ロシアの党を共産党としました。それ以後、科学的社会主義の党を、共産党とよぶようになったのです。現在も、社会民主主義の潮流は、資本主義永続論の立場から、資本主義のもとでの改良だけを絶対化し、またその改良の課題でさえ、中途で放棄するなどの弱点をもっています。
これが削除されたことはきわめて意味深長である。共産党がもはや自らを社会民主主義と区別して考えようとしていない徴候かもしれない。とりわけ、この記事の中では、ヨーロッパの社会民主主義が第1次世界大戦で侵略戦争(帝国主義戦争)に賛成して、平和と社会主義の事業を裏切ったことを、社会民主主義と共産主義とが分裂した歴史的分岐点とみなしている。これは基本的に正しい認識だと思うが、これが削除されたことは、もはやその分岐点を共産党自身が重視してないことを示唆しているのかもしれない。
また「レーニンは大企業をどう位置づけていた?」という削除記事では、次のように書かれている。
(問い)レーニンは、社会変革の事業の中で、大企業とそこで働く労働者にたいしてどのような位置づけを与えていたのでしょうか。 (東京・大西純)(答え)レーニンは、社会変革の中心勢力になるべき労働者階級が大企業をおもな舞台として成長すること、また大企業が社会主義建設で大きな役割をはたすことに注目しました。
二十世紀初頭のロシアでは、住民の約八割が農民でしたが、資本主義的な大工業の発展とともに労働者階級の人口もふえていきました。大工場で多くの労働者がそれぞれの持ち場を分担しながら大規模に協同して働くことは労働者の組織性を強めることになります。レーニンは、無権利状態におかれていた工場労働者の要求実現のたたかいを援助しました。このたたかいをつうじて労働者が階級意識にめざめて団結をつよめ、社会変革の中心勢力として政治的にも成長していくために、党組織を建設しました。一九一七年十月の社会主義革命では、大工業の労働者が中心となり、貧しい農民と団結して、革命を成功させました。(後略)
この記事がなぜ削除されたのかは不明であるが、現在、不破委員長が雑誌『経済』にレーニンを強く批判する大論文を執筆連載していることと関係しているかもしれない。つまり、この記事がレーニンを一定評価しているがゆえに「粛清」の対象となったのかもしれない。
以上のような政治的な意味合いを感じさせられる削除記事以外に、「東ティモール問題ってなに?」が新しい記事「東ティモール問題をどうみる? 」に一本化されたというような事務的な理由による削除や、また、削除する理由がよくわからないものもいくつかあった。
言うまでもなく、ここでとりあげらたホームページの記事は『しんぶん赤旗』に掲載済みであり、その点ではどうやっても消し去ることのできない記録である。しかし、それでもなお、利用しやすいホームページの公開の場から削除をすることは、自らの過去の見解を隠そうとする「確信犯」的意図を感じさせるに十分なものである。それは、従来の見解と立場が異なっているにもかかわらず、それを大衆的に隠して、内部的には「一貫した立場」であると強弁しようとする党指導部の姿勢をはっきりと示している。それは、党をいっそう堕落させるものである。