この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
社会主義と社会民主主義はどうちがう?
1999年1月11日付「しんぶん赤旗」
〈問い〉 ヨーロッパや日本の政党の名前をみて疑問に思うのですが、社会主義や共産主義と社会民主主義はどうちがうのでしょうか。(東京・大学生)
〈答え〉 科学的社会主義は、人類が将来、資本主義の枠をのりこえ、本当に豊かで自由になる社会に到達することを展望しています。この社会制度は、過渡期をへて、(1)社会主義とよばれる段階(共産主義の第一段階ともいう)と、(2)共産主義とよばれるより高度の段階とにわけられます。
第一の段階(社会主義社会)では、「能力におうじて働き、労働におうじてうけとる」ことが労働と分配の原則となり、これまでになく高い物質的繁栄と精神的開花、民主主義が保障されます。第二の共産主義の高い段階では、生産力のすばらしい発展と社会生活の新しい内容がうちたてられ、「能力におうじて働き、必要におうじてうけとる」ことが、労働と分配の原則となります。人間にたいするあらゆる暴力は根絶され、原則としていっさいの強制のない、真に平等で自由な人間関係が生まれる社会です。
日本共産党は、将来こういう社会の実現をめざします。しかし党は、いますぐ社会主義をめざすのではなく、現在の日本社会の直面する問題を一つ一つ解決し、社会発展を段階的に促進する立場にたっています。
社会民主主義は、その名称から社会主義をめざしているようにうけとられることもありますが、そうではありません。十九世紀の後半から二十世紀の最初にかけて、科学的社会主義の運動が「社会民主主義」と表現された時期もありました。しかし、第一次世界大戦で社会民主主義の主な諸党が侵略戦争に賛成し、平和と社会主義の事業を裏切ったので、レーニンは、社会民主主義の名称に批判的だったマルクス、エンゲルスの立場にたって、ロシアの党を共産党としました。それ以後、科学的社会主義の党を、共産党とよぶようになったのです。
現在も、社会民主主義の潮流は、資本主義永続論の立場から、資本主義のもとでの改良だけを絶対化し、またその改良の課題でさえ、中途で放棄するなどの弱点をもっています。日本では、自民党政治に合流すらしてしまいました。(柳)〔1999・1・11(月)〕
「消費税廃止」の方針はどうなった?
1999年2月13日「しんぶん赤旗」
〈問い〉 日本共産党は「消費税廃止」の方針をかかげていましたが、今は「三%」にといっています。「廃止の方針」はどうなったのですか。(島根・一読者)
〈答え〉 消費税は、所得の低い人ほど税負担が重い最悪の不公平税制であり、なくす以外にない悪税です。税率が三%から五%となり、消費税の弊害はますますはっきりしてきており、日本共産党の「廃止」の基本方針に変わりはありません。消費税廃止をめざしつつ、当面、税率を三%に引き下げよというのが日本共産党の方針です。では、いまなぜ「三%」を掲げているのかということです。それは、次のような理由からです。
第一は、何よりも深刻な不況を一日もはやく打開することが緊急の課題であり、国民共通の切実な要求だからです。消費税率を引き上げたことが個人消費の冷え込みとなり、不況を一段と悪化させたことは客観的な事実であり、そのことは政府も認めています。三%にもどすことは、国民の消費購買力を引き上げ、景気を回復するうえで不可欠であり、決め手ともなります。
第二に、国民の世論も、消費税廃止とともに消費税減税を求める声が七、八割になっています。消費税減税を求める人のなかには、私たちのように将来的には消費税の廃止をめざす立場の人もいます。同時に、消費税は必要だとする人もいます。しかし、「いまの五%では生活も景気も大変」「せめて三%にしてほしい」という点では一致しています。そもそも税のあり方を決めるのは主権者国民です。したがって、日本共産党としては消費税廃止をかかげながら、国民の多数が消費税減税を求めているもとで、その時どきの国民の一致点での要求実現に全力をあげています。そして今は、将来の税制像の違いはわきにおき、緊急の景気対策として消費税を三%にと訴え、他会派議員といっしょに「消費税減税」法案を三たび提出し、各党・各議員に共同をよびかけ、政府に実現を迫っています。
三%を実現するためにも、消費税は廃止すべき悪税であることを知らせていくことが重要であり、もともと三%の要求と廃止は矛盾するものではなく、統一的にすすめられると考えています。(俊)
〔1999・2・13(土)〕
少年法「改正」案をどう考える?
1999年3月20日「しんぶん赤旗」
〈問い〉 少年犯罪が凶悪化していて厳罰でのぞむべきだという意見がありますが、日本共産党は少年法の改正案をどう考えますか。(埼玉・一読者)
〈答え〉 わが国の法律では、少年の犯罪については、原則として二十歳以上の成人とは区別してとりあつかうこととしています。このための法律が少年法です。少年は社会的に未熟で、環境に影響されやすく、おとなと同じような形で犯罪の責任を問うことが不適当だからです。
少年法では、犯罪を犯した少年をとりまく家族や学校などの環境や、生い立ち、事件にたいする自覚などを、家庭裁判所が少年審判という形式で「懇切を旨として、なごやかに」(少年法二二条)おこない、少年の発言もよくきいて総合的に判断します。この審判は、自分がおこした事件にたいする正しい認識や反省ができるよう、その少年にふさわしい教育的な処遇をきめ、その処遇をつうじて少年の社会復帰をはかることを目的としています。
そうした少年の状態に即して責任を問うとともに教育的な働きかけをおこなう処遇こそが、少年を立ち直らせ、ふたたび同じような犯罪がおこらない条件をつくることになるというのが現行の少年法の考え方です。
最近は凶悪な少年犯罪が目立っていることも事実です。しかし、「厳罰」では犯罪を防げません。日本よりもずっと少年の凶悪な犯罪が多くて、社会問題となっているアメリカでも、「厳罰化」の声がおこったため、成人と同様の厳罰主義を採用していますが、犯罪は少しも減っていないことが実証されています。
今国会に政府が提出した少年法「改正」案は、こうした厳罰化への動きを反映したものです。検察官をあらたに審判に参加させて、おとなの刑事裁判と同じように検察官がきびしく処罰をもとめるやり方を広範囲に導入したり、少年の身柄の最長拘束期間を四週間から十二週間に延長させたりすることが提案されています。これは、少年みずから立ち直ろうとする力を援助するという現行少年法の精神を大きくゆがめる性格の改正です。ですから日本共産党はこのままで「改正」案をみとめるわけにはいかないと考えています。(明)
〔1999・3・20(土)〕
レーニンは大企業をどう位置づけていた?
1999年4月3日付「しんぶん赤旗」
〈問い〉 レーニンは、社会変革の事業の中で、大企業とそこで働く労働者にたいしてどのような位置づけを与えていたのでしょうか。(東京・大西純)
〈答え〉 レーニンは、社会変革の中心勢力になるべき労働者階級が大企業をおもな舞台として成長すること、また大企業が社会主義建設で大きな役割をはたすことに注目しました。
二十世紀初頭のロシアでは、住民の約八割が農民でしたが、資本主義的な大工業の発展とともに労働者階級の人口もふえていきました。大工場で多くの労働者がそれぞれの持ち場を分担しながら大規模に協同して働くことは労働者の組織性を強めることになります。レーニンは、無権利状態におかれていた工場労働者の要求実現のたたかいを援助しました。このたたかいをつうじて労働者が階級意識にめざめて団結をつよめ、社会変革の中心勢力として政治的にも成長していくために、党組織を建設しました。一九一七年十月の社会主義革命では、大工業の労働者が中心となり、貧しい農民と団結して、革命を成功させました。
またレーニンは、機械制大工業を「社会主義の物質的・生産的源泉であり、基礎」とよび、社会主義建設のうえできわめて重視しました。レーニンは大銀行などを社会主義的に改造することによって、「物質の生産と分配との全国的な簿記、全国的な記帳」を体現する「いわば社会主義社会の一種の骨格」に変えることができるとのべました。このような、資本主義の胎内で育ってきて社会主義にひきつぐことのできる「できあいの形態」の活用に労働者階級が習熟することを、レーニンは力説しました。
レーニンは、労働者がつくる工業製品と農民がつくる農産物を大量に交換して、労働者と農民の生活を改善し、労働者階級と農民の団結を経済の面でも、より固くすることを追求しました。第一次世界大戦とロシアの内戦による荒廃から経済を再建するにあたって、レーニンは、社会主義国家が土地や重要な工業を「管制高地」としてにぎりながら計画経済をすすめ、計画経済と農業、商業部門での市場経済を結合して経済建設を促進する「新経済政策」の路線を探究しました。(I) 〔1999・4・3(土)〕
天皇が出席する国会開会式に参加しないのは?
1999年5月28日「しんぶん赤旗」
〈問い〉 日本共産党の国会議員は、天皇が出席する国会の開会式に参加しませんが、なぜですか。(石川・一読者)
〈答え〉 日本共産党が国会の開会式を欠席するのは、開会式のやり方が、形式の点でも、内容の点でも現憲法の規定を逸脱するものだからです。
現在おこなわれている国会の開会式は、衆院議長が式辞をのべたのち、壇上にたった天皇から衆参議員が「お言葉を賜る」という形式で、天皇主権の戦前のやり方をそのままひきついだものです。天皇がのべる「お言葉」の内容も、自民党政治の内外政策をたたえるなど国政にかかわる政治的なものでした。
国民主権を定めた現在の憲法は、国会を「国権の最高機関」とし、天皇の国政への関与を禁じ、天皇がおこなうべき国事行為も形式的、手続き的行為に厳しく限定しています。開会式に天皇が出席して政治的発言をするというこうした行為は、法令上なんの根拠もなく、憲法の主権在民の原則にも、国政関与禁止の天皇条項にも反するものです。
日本共産党は、このような国会開会式を民主的に改善するよう、繰り返し提案しています。七三年一月には、「国会開会式のやり方を根本的に再検討し、憲法にさだめられた『天皇の権能』を逸脱する天皇の出席や発言をとりやめ、憲法の民主的諸条項を厳格にまもった形式と内容で開会式をおこなうことを提案」しました。日本共産党が提案してからは、自民党政治を露骨に礼賛する「お言葉」は影をひそめました。
国会の「仕事始め」にあたる開会式は、憲法に定められている重大な任務を果たすために気持ちを新たにする行事ですから、それにふさわしいやり方を検討していくべきです。日本共産党は今後も国会の民主的改善のために努力します。
なお、日本共産党は「君主制の廃止」を綱領にかかげていますが、それは日本の政治制度の民主的改革の一つとしての目標であり、将来世論が成熟した時に国民が決めることです。この立場を国会に押しつける考えはありません。(絹)
〔1999・5・29(土)〕
永住外国人の地方参政権にかんする政策は?
1999年5月16日「しんぶん赤旗」
〈問い〉 永住外国人の地方参政権にかんしてどのような政策をもっていますか。(大阪・高橋由紀江)
〈答え〉 日本共産党は、日本に永住する外国人には、選挙権も被選挙権もふくめて地方参政権を保障すべきだと考えています。そうした立場から、昨年十一月十七日、「永住外国人に地方参政権を保障するための日本共産党の提案」を発表し、十二月八日に法案を衆議院に提出しました。
法案要綱は、次のとおりです。
(1)わが国に永住資格(特別永住資格を含む)をもって在住する二十歳以上の外国人にたいして都道府県および市区町村の首長・議会議員についての選挙権を付与する。(2)右に該当する外国人が、日本国民の有する被選挙権年齢に達した場合、当該被選挙権を付与する。(3)具体的な選挙資格については、外国国籍であることを考慮して、個々人の意思を尊重し、選挙資格を取得する旨の申請をおこなった者にたいして付与する。(4)地方参政権の取得にともなう選挙活動の自由・政治活動の自由は、日本国民にたいするものと同様に保障する。(5)地方自治体における条例制定などの直接請求権、首長・議員リコールなどの住民投票権も同様に付与する。
地方自治法は市町村に居住する人を「住民」と規定しており、地方政治はすべての住民の要求にこたえるために住民自身の参加ですすめられるべきです。外国籍でも、日本の地方自治体で生活し納税などの義務をおう人びとが、住民自治のにない手になることは憲法の保障する地方自治の精神とも合致するものです。最高裁判所も、永住外国人に地方参政権を保障することは「憲法上禁止されているものではない」との判決をだしています(九五年二月)。
欧米諸国を中心に永住外国人や在住外国人に地方参政権を保障する国がふえています。日本で永住外国人に地方参政権を保障するのは、国際化と民主主義の流れのなかで当然のことだと考えます。
永住外国人に参政権を保障する法案を提出している他の党とも協議を重ね、できるだけ早く成立させるためにがんばります。(絹)〈1999・5・16(日)〉
地方公聴会での反対意見が反映されないのは?
1999年8月7日「しんぶん赤旗」
〈問い〉 法案が審議される際、地方公聴会が開かれることがありますが、公述人が反対意見をのべても、国会で法案に反映されることがないように見受けられます。なぜでしょうか。(青森・一読者)
〈答え〉 国会法が定める公聴会には、二つあって、国会で開かれるいわゆる中央公聴会は、「一般的関心及び目的を有する重要な案件」について、「真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴く」(国会法第五一条)もので、予算や重要な歳入法案などの重要法案の審議にあたっては「公聴会を開かなければならない」(同第五一条二項)と法案成立の要件にされています。一方、いわゆる地方公聴会はこれと区別し、「議案その他の審査若しくは国政に関する調査のために又は議院において必要と認めた場合に、議員を派遣することができる」(同第一〇三条)もので、議員を各地に派遣し意見を聞きます。
公聴会の開催は、案件にたいして賛成、反対の双方の立場から公平に意見を聞き、審議に役立てようとするものです。国政に民意を反映する大事な機会となっています。日本共産党は、地方公聴会などでだされた意見をも国会での法案審議に役立てています。
ところが、「自自公」体制のもとでの国会では、まともに審議するどころか、数の力で法案を強行成立させる民意無視の横暴がまかり通っています。そのため本来、国民の意見を聞くとして開かれる中央公聴会や参考人質疑、地方公聴会は、いわば「法案成立のための儀式」に悪用されています。典型的なのは「国旗国歌法案」の審議です。衆議院の段階では、北海道、沖縄、広島、石川の四カ所で地方公聴会をもち、中央公聴会も開き、多数の公述人から意見を聞きました。特徴的なのは、賛成の立場の公述人からも、慎重審議を求める意見がだされたことです。にもかかわらず、政府にたいする質疑は二日間の十三時間だけで、衆院採決を強行してしまいました。
これは、国権の最高機関であり、唯一の立法機関の国会を「悪法製造機関」にするものです。悪政批判の国民の声を大きくし、民意を無視する「自自公」の反動体制にたいし総選挙で厳しい審判をくだすことが必要です。(吉)〔1999・8・7(土)〕