この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
天皇制に対する不破指導部の路線転換についてはすでに、メイン論文の中で詳細に批判しておいた。ここで取り上げるのは、同じ7党党首討論会で行なわれた次のようなやりとりである。
保守党の扇党首が「このあいだ小渕前総理の合同葬のときに、天皇家のご参拝のときに、全員起立とおっしゃって、不破さんだけが席をお立ちになりませんでした。わたしはそのことにかんしても、憲法を守るといいながら、その天皇のことにたいしては、そういう態度をおとりになるというのは国民が大変不安になると思うんですね」ときいてきたのに対し、不破委員長は次のように答えている(不破委員長を始めとする党幹部が、そもそも小淵の合同葬に出席して献花したこと自体、問題だが、ここでは天皇をめぐる問題についてのみ指摘する)。
それから、扇さんがさっきいわれた葬儀の問題は、私は人間は平等という信条から、ああいうやり方には賛成しませんでした。つまり外国の弔問客が来て献花をしても、それは座ったまま。日本の他の人が来ても座ったまま。天皇家の人が来るときだけ、立ってそれを見るというのは、これは「人間の平等」という原則に反するし、私の信条にも反します。それにもとづいた行為であって、憲法とはなんら関係のないことです。
「人間の平等」という原則を信条としているのは実に立派なことであり、私たちもまた大いに共感を覚える。だが、不破委員長はこのような素晴らしい信条を持ちながら、天皇制には反対しないという立場を表明し、憲法を天皇条項を含めて擁護すると断言している。そしてこの党首討論会では、「天皇の関係も、憲法上の地位、そしてそれによって国政にかかわらないということをきちんと守る限り、共存していくつもりです」と述べている。
これはいったいどういうことだろうか? 天皇制は「人間の平等」という信条とどう「共存」しうるのだろうか? 天皇制は、日本国民を天皇家とそれ以外に根本的に分断するものであり、両者にまったく異なった法律をあてはめている。天皇家には皇室典範、それ以外の日本国民にはそれ以外のすべての法律。天皇は、法律上、「国民」ですらなく、すべての国民が持っている義務を負わされず、また逆にすべての国民が持っている権利も有していない。天皇制は――そしておよそすべての「君主制」は――「人間の平等」という原則と根本的に対立している。
にもかかわらず、不破委員長は、一方では「人間の平等」という信条を持ち出し、他方では天皇制との「共存」を持ち出す。これはとんでもない矛盾である。この一連の発言は、現在の不破指導部が陥っている混迷を雄弁に物語っている。