この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
5月14日に、反動政治の限りをつくした小淵恵三が死去した。この死去に際して、不破委員長は、小淵の入院先の順天堂大学病院に慰問に出かけ、また後日行なわれた自民党と内閣の合同葬儀には志位書記局長、穀田恵二国対委員長らとともに出席した。また、小淵死去の際、不破委員長は次のような哀悼の談話を発表した。
4月2日夜、入院の第一報をきいたときから、早い回復を願ってきましたが、残念な結果になりました。
この2年間、国政のあらゆる問題で論戦をたたかわせる一方、共通の知人のお祝いの席などで顔をあわせ、あれこれと政治ぬきの話をかわすこともありました。首相在任中の突然の発病で、さぞや無念の思いがあったろうと推察し、同じ国政の場に立つものとして、哀惜の念を禁じえないものがあります。
ご遺族のみなさまに、心からのお悔やみを申しあげます。
1980年に大平元総理が死んだときも共産党が今回のようなうやうやしい弔意を表明し、党利党略的な合同葬儀に出席したのかどうか、私たちは知らない。しかし、数十年来にわたる党員学者で、戦後民主主義運動を鼓舞し担ってきたすぐれた同志であった古在由重氏が亡くなったとき、共産党の幹部が何らかの哀悼の辞を表明したり、葬儀に参加したりするどころか、『赤旗』で報道することさえせず、代わりに、追悼の集会を組織した党員たちを除籍処分にしたことは知っている。さらに、後日、金子副委員長が『赤旗』に登場し、最晩年に除名されたことを持ち出して、「死者に鞭打つことになるから」『赤旗』で報じなかったと説明したことも知っている。
方や、新ガイドライン法や国旗・国歌法、盗聴法、年金改悪などの戦後最大の悪政を強行してきたブルジョア政治家に対する、うやうやしい弔意の表明と葬儀への出席、方や、数十年にわたって党員として社会進歩と党の発展に生涯を捧げてきたマルクス主義哲学者に対する無視と追悼集会組織者への除籍攻撃。いったい、党の「配慮」は、いかなる基準にもとづいているのだろうか?
P・S 19日の竹下元総理の死去の際にも、不破委員長は「哀悼の辞」を表明した。その内容を見ると、竹下がやってきた政治に対する批判は一言もなく、ただ個人的思い出を懐かしそうに語って故人をしのぶという性質のものだった。哀悼を表しながらも竹下政治を厳しく批判した社会民主党の土井たか子の談話と比べても、その無批判ぶりはきわだっていた。この点にも、今の不破指導部の迎合的姿勢を見ることができる。(2000/6/19)