志位報告は、選挙の教訓の第3として、党の質的・量的力量の問題を取り上げている。
この間、わが党は、「党の政治的影響力と組織的地歩のギャップ」、「政治的前進に組織の実力が追いついていない」(5中総決定)という現状を指摘し、それを前向きに打開することが総選挙での躍進のために不可欠となることをくりかえし確認し、党勢拡大の取り組みをおこなってきました。
昨年6月の4中総がよびかけた「大運動」では、「支部を主役」とした総合的な活動を発展させながら、党勢拡大の取り組みでも端緒的な前進を記録しました。今年1月の5中総では、この取り組みを一過性に終わらせず、継続・発展させることをよびかけましたが、残念ながらこの分野で前進をかちとれないまま総選挙をたたかうことになりました。今回の総選挙での後退の根本には、この党建設での立ち遅れがあることは明瞭です。
しかし、問題は、「党の政治的影響力と組織的地歩のギャップ」、「政治的前進に組織の実力が追いついていない」ことにあるのではない。問題はもっと深刻である。問題は、「党の選挙での前進と政治的・組織的地歩とのギャップ」にある。党の政治的影響力が本当に増し、政治的前進を積み重ねているのなら、その影響力を組織の前進に転化させることはきわめて容易なことであろう。それこそ主体的努力だけでこのギャップを埋めることができるだろう。だが、実際には、この間増大したのは、共産党の選挙での影響力、あるいは選挙での得票数だけである。選挙での前進をそのまま政治的前進と同一視するのは、典型的な議会主義的発想である。
この間の共産党の選挙での前進は、基本的には、社会党の右転落と屈服によって、旧来の社会党支持票と革新無党派票の多くが共産党に集中されたことによって生じている。もちろんそれ以外にも、新自由主義政策によって生活困難に追いこまれた伝統的保守層の一部や、民主党に食い足らなさをおぼえる都市の中間票も共産党に流れているが、最も主要な部分を構成していたのは旧社会党票、革新無党派票である。しかも、旧社会党票のすべてが共産党に来たのではなく、その一部が来たにすぎない。つまり全体として、革新の総得票と総議席が系統的に減少する中で、その内部の得票配分が共産党に有利になったというだけにすぎない。現実には、共産党の政治的影響力は、大衆運動分野でも、国民のイデオロギーの分野でも、この間、一貫して後退しつづけていたのである。したがって、このギャップを埋めることは容易なことではない。この厳しい現実をしっかりと見据えるべきである。
次に志位書記局長は、今回の選挙において党員や支部が力を出しきったかどうかという問題を提起している。
党の基礎的力量とともに、党が持てる力量を出し切ってたたかったのかも、吟味が求められる問題であります。
わが党は5中総決定で、「どの活動でも、躍進した参議院選挙の2倍以上、3倍以上の奮闘をやろう」ということを確認しました。この構えで新しい境地を開き、得票の前進をかちとっている組織も、部分ではあるが生まれました。しかし、全体としてみますと、党の選挙戦の運動量の一つの目安となる対話・支持拡大では、前回総選挙と同水準、参議院選挙よりも低い水準にとどまりました。
厳しい条件のもとでの選挙ではありましたが、党がその持てる力を出し切っての結果であったかどうかは、吟味が必要だと思います。
選挙後、都道府県委員会から次のような率直な報告が寄せられています。
少なくない県からあった報告ですが、選挙に対する構えという点での受動主義が残されたという報告が寄せられました。「まさか比例で減ることはないだろう」、「比例での議席増はあたりまえ」という考えが最後まで払拭(ふっしょく)しきれず、みずからの力で前進への道を切り開く必死の取り組みをつくる指導が十分つくされなかった。こういう率直な反省もありました。
支部の立ちあがりが弱かったことは事実である。選挙最終日においてさえ、選挙闘争に立ちあがった支部は全体の40%そこそこにすぎなかった。これは96年総選挙のときよりも、数%程度低い。また、「『まさか比例で減ることはないだろう』、『比例での議席増はあたりまえ』という考えが最後まで払拭しきれ」なかったのも事実であろう。党内にある種の安心感があった。しかし、このような種々の問題は、各支部や各都道府県委員会だけの問題なのだろうか? いや、むしろ、こうした状況を生み出した最大の責任は中央指導部そのものにあると私たちは考える。
まず支部の立ちあがりの弱さをつくりだしたのは、何も反共謀略ビラや安心感だけではなく、党中央自身が選挙直前になって、自衛隊の活用を当然とする発言をしたり、消費税減税を棚上げしたり、皇太后に弔意表明したりといった無原則で裏切り的な対応したことにもある。こうしたことによって一部の党員に幻滅が生まれ、その足が活発に動かなくなったことは否定できない。
さらに、「比例での前進はあたり前」という「大丈夫論」が生まれたのも、党中央自身が、70年代初頭以上の革新高揚期に突入しているといったナンセンスな幻想をふりまいたことが最大の理由ではないか。私たちは以前からそうした幻想に警告を発し、すでに昨年のいっせい地方選後半戦で躍進傾向に陰りが見え始めていることを指摘しておいた。しかしながら、党中央によるいっせい地方選総括は、そのような徴候にまったく注意を払わず、あいもかわらぬ躍進賛美に終始していた。
それに何よりも、共産党の躍進を前提にした「暫定連合政権」論を安直に振りまいて、党員のみならずマスコミや社会全体に、共産党の躍進は当然という雰囲気を作り出したのは、不破指導部自身である。選挙期間が始まってからようやく、指導部は引き締めを始めたが、それはすでに時遅しであった。98年参院選以来つくり出されてきた「大丈夫論」の雰囲気を短期間で払拭することなどできなかった。他方で、共産党の躍進に危機感を募らせた反共勢力は、謀略ビラを用意周到に準備し、野党政権のバラ色の夢想にふけっている共産党の無防備なわき腹を痛打した。
このように、支部の立ちあがりの弱さや大丈夫論の横行についても、この間の党指導部の右傾化路線に対する厳しい反省と見直しが迫られているのである。