すでにトピックスや読者からの投稿で紹介されているように、現在、86年の国鉄分割民営化以来、14年間に渡って繰り広げられている国鉄労働者の闘いが、歴史的岐路に立っている。社民党と与党3党が、5月29日に、「JRに法的責任なし」を明言し国労が訴訟を取り下げることを求めた合意案をとりまとめ、それを国労本部の中央執行委員会が委員長の反対を押し切って即日承認する決定を下し、その「4党合意」受け入れを臨時大会において形式的多数をたてに強行しようとした。7月1日に行なわれた臨時大会は、「4党合意」絶対反対を掲げる闘争団の人々による決死の抵抗によって休会を余儀なくされたが、国労本部は、闘争団の抵抗を「暴力行為」として糾弾するキャンペーンを繰り広げ、断固として「4党合意」を国労として正式に受け入れるための策動を続けている。
今さら繰り返すまでもなく、86年の国鉄分割民営化は、中曽根内閣の戦後政治の総決算路線の要とも言える政策であり、現在支配的な新自由主義路線の出発点であり、その最大の成果でもあった。それは、できるだけ企業と市場に経済を委ねていくという新自由主義路線にとっての起爆剤であり、現在のリストラ合理化路線のモデルになっただけでなく、当時として最大の戦闘的組合の一つであった国労をぶっつぶすための荒っぽい外科手術であった。
国労は、激しい内部論争と闘争を経て、この分割民営化反対の立場を堅持した。おかげで、国労組合員の多くが新会社に移行するにあたって採用されず、また多大な差別と弾圧と不当労働行為にさらされた。それ以降、国労は、解雇された1047名の復帰と地位回復、国とJRによる数々の不当労働行為の撤回を掲げて、今日にまで至る長期の闘いを開始したのである。
この粘り強い闘いは多くの人々の共感と感動を呼んだだけでなく、国内的にも国際的にもしだいにその正当性を勝ち取っていった。たとえば、全国の地労委や中労委では、JRによって不当労働行為がなされたことが認められて、国労救済命令があいついで出された。また、とりわけ、99年11月には国労の言い分をほぼ全面的に認めたILO中間勧告が出され、そのILO勧告は日本政府に対し「当事者に納得のできる解決に向けて労使交渉の促進を求める」よう求めた。この勧告を受けて、連合さえも「国労問題ILO勧告に関する共同呼びかけ」に署名した。
こうした有利な情勢にもかかわらず、国労中執多数派は、長期の闘争に疲れ果て、しだいに敗北主義的傾向を強めていった。とりわけ、98年に東京地裁が中労委の国労救済命令を取り消したことで、一気にこの敗北主義的傾向が強まり、99年3月の臨時大会では、組合を二分する激しい闘争の末、元凶である国鉄改革法の承認を決定した。今回の「4党合意」とその承認とは、この流れの延長線上にあるものであり、これまでの14年間の闘いを自己否定するものである。
どんな争議であれ、その前提条件は、使用者側の法的責任を追及することにある。使用者側に法的責任がないのなら、解雇撤回や不当労働行為の中止や組合員の救済といったあらゆる要求の法的根拠がなくなることになる。「法的責任なし」と認めた上で、解雇された組合員の復帰を求めるというのは、まったく矛盾した要求であり、それは事実上、使用者側の慈悲にすがって問題「解決」をはかろうとするものに他ならない。
もちろん、あまりに長期にわたる闘いの中で、疲れ果て、生活に困窮し、展望をなくしていく労働者がいるのは事実であり、その責任はあげて国とJRの側が負うべきものである。したがって、争議の当事者である国労闘争団自身がそのような「解決」を求めるのだとしたら、それは悲しむべき現実だが、外部がとやかく言うべきことではないだろう。しかし、闘争団の大多数はなお闘う意思を十分に示しているにもかかわらず、その意思を蹂躙する形で、国労トップと社民党が安直な政治決着をはかったのが、今回の「4党合意」である。それは、闘う労働者に対するあからさまな裏切りである。