さて、この一連の過程において、共産党はどのような役割を果たしたのだろうか? まず、共産党系の革同(革新同志会)所属の中央執行委員は、この「4党合意」受け入れを全面的に認める立場で奮闘した。彼らは、社民党右派やチャレンジグループに属する中執と並んで、この「4党合意」受け入れを推進した最も断固たる部分であった。彼らは、7月1日の臨時大会でも自派の組合員を全国動員し、ピケットを組ませ、怒った闘争団を排除する前面に立った。彼らの「断固たる態度」は、この合意受け入れを拒否する人々の目から見て、非常に醜悪なものと映った(『労働情報』第555号、2000年7月15日付)。
しかし、共産党系の労働団体のすべてが、この合意受け入れで固まっていたわけではない。たとえば、国労内の同じ革同所属の組合員でも、少数派の左派(こちらも共産党員中心だが、党中央に批判的部分)は、「4党合意」受け入れに反対の姿勢を示している。また、国労と並んで、国鉄闘争を闘っている当事者である全動労(現在は建交労)も、「4党合意」受け入れ反対の姿勢を示している。
では、共産党中央自身はどのような態度をとっているのだろうか? 問題はここである。今回の「4党合意」受け入れ推進は、中央の意思とはまったく無関係の一部の党員組合員による暴走なのだろうか? 残念ながら、そのようにみなす根拠はまったくない。まずもって、このような重大な問題において、党中央の関与がまったくなしに、国労中執の党員が勝手に判断したとはとうてい考えられない。どこまで具体的な指示があったかはについては確定的なことは言えないが、少なくとも、党中央の容認のもとで、革同系の中央執行委員が「4党合意」受け入れを推進したのは、どうやら間違いのないところのようだ。
このことを示唆する一つの状況証拠は、5月30日に正式発表された「4党合意」について、翌日の『しんぶん赤旗』がまったく報道しなかったことである。本来、このような重大な合意案が発表されたなら、批判的であれ中立的であれ、何らかの報道があってしかるべきである。しかし、完全に『しんぶん赤旗』は無視した。その後も、まったく党としての正式見解は示されることはなかった。当時、共産党中央は、総選挙で躍進して政権入りを狙うことができるという幻想に取りつかれていた。そのため、政権入りしたならば問題解決を迫られるであろうこの国鉄問題が、「4党合意」の方向で決着されるならば、それにこしたことはない、と判断していた可能性がある。
さらにもう一つ重大な状況証拠は、この「4党合意」が発表された日の5月30日に、全労連国鉄闘争本部の事務局長による談話が出され、その中で、この「4党合意」について「問題の解決に向けた動き」であり、肯定的な成果であるかのように描き出していることである。その「談話」中の重要部分を以下に引用する。
3、全労連国鉄闘争本部は、本日の与党と社民党の合意が、13年におよぶ1047名問題の解決にむけての動きとして重視する。これが、早期解決に向けた全国570を超す自治体意見書、日本政府の責任で早期解決を求めたILO勧告など、内外の世論の高まりが背景にあってのことは明らかである。この「談話」には、「JRに法的責任なし」とした決定的な問題点については一言の批判もなく、闘争を闘っている多くの人々はこの談話を、事実上「4党合意」を受け入れるものであるとみなした。それも当然である。