この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
すでに何度も述べているように、党中央は、先の総選挙前に大々的に全国で撒かれた謀略ビラに対する反撃ビラの中で、査問の存在そのものを否定した。ビラの中で、「いまでも『査問』という恐怖の制度があるのでしょうか?」という設問を自ら立て、次のように答えている。
共産党に「査問」という制度はありません。どんな団体でも、その組織としてのルールをもっていますが、共産党の組織のルールは規約です。その規約を破る人や社会的道義にそむくことをやった人がでたときに、その事実の有無や、どんな事情だったのか、どんな考えでそういうことをやったのかを調査し、ルール違反の事実が明らかになれば、党として責任ある対応をします。謀略ビラは、この調査を「査問」といって何か怖いことがおこなわれているかのように攻撃するのですが、これはいわば政党の倫理に属することです。
このように党中央は、党内に「査問」という制度はそもそもなく、謀略ビラが勝手に党内の調査を「査問」といっているのだ、と主張している。驚くべき歴史偽造ではないか!
しかしこのビラの立場は、思わず筆が滑ったものではなく、明らかに、今後、「査問」という言葉を、少なくとも外向けには抹消し、あたかもそんなものが最初から存在しないように振舞うという党中央としてのはっきりとした方針から出ている。
そのことをはっきりと示したのは、今年の7月20日に行なわれた党創立78周年記念講演会での不破委員長の記念講演である。その中で不破委員長は、戦前の宮本顕治氏らによる小畑らの査問を一貫して「調査」と呼び、いっさい、「査問」という言葉を使っていない。あたかも、この時代から、「査問」なる制度も用語も党内には存在せず、一貫して「調査」と呼ばれていたかのごとくである。
しかし、このような付け刃の歴史偽造はすぐに底が割れる。私たちはここで、日本共産党の最新の正史たる『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会発行、1994年)を引用したい。そこでは、当時の「調査」についてどう言われていただろうか?
警察当局は、大泉らの摘発で自分たちのスパイ・挑発政策が暴露されたことへの報復として、34年1月から、デマ宣伝を大々的におこない、日本共産党非難の世論をつくりあげようとした。このデマ宣伝の特徴は、第1に治安維持法は絶対神聖で、それに反したものは重大犯人という前提にたち、第2に、特高のスパイ・挑発政策を隠蔽するために、相つぐ検挙で党指導部内に疑心暗鬼が生じ、指導権争いによって仲間を査問したといつわり、第3に党の最高の処分は除名であるという確認のもとでおこなわれた査問中の予期しない小畑の急死という偶発事を、絶好のデマ材料として、これを「殺人」および「殺人未遂」とし、スパイにたいする党の政策を殺害政策とゆがめて描きだしたものであった。すでに軍部に屈服して侵略戦争をあおるキャンペーンの具となっていた商業ジャーナリズムは、党への弾圧についても、特高の発表をまるのみにした報道に終始し、日本共産党を国賊、強盗、殺人鬼でもあるかのように描きだした。しかし、このデマ宣伝はその後の公判において、全面的にうちやぶられた。
公判で宮本は、人類進歩の歴史にてらして、治安維持法の不当、不法なことを堂々と主張した。戦後、治安維持法が廃棄されたこと自体が宮本の主張の正当性を実証した。また当時宮本ら党中央が査問した2人がスパイだったことは、小畑の自白や、大泉自身が公判で警視庁特高課の毛利らの指示のもとにスパイ活動をおこなっていたことを証言し、特高との約束に反して被告とされたことに抗議して、無罪をもとめた経過からも明白であり、「指導権争い」などというねつ造もくずされた。スパイにたいする党の政策は「殺害政策」などというデマも、治安維持法下の暗黒裁判の判決でさえ宮本らに「殺人」や「殺人未遂」の罪名をきせることができなかったことから明白であった。(上巻、110~111頁)
このように、小畑らに対する「調査」がまぎれもなく、党中央自身によって何の疑問もなく「査問」と呼ばれていたことがわかる。この文章の中ではっきりと「当時宮本ら党中央が査問した2人がスパイだった」と書かれている。これは歴史的事実である。党中央自身が、この「調査」を当時「査問」と呼んでいたし、1994年段階でもそう呼んでいるのである。それはけっして謀略ビラの発明でもでっちあげでもない。
この種の証拠はさらに無数に出すことができる。それもそのはずである。あの反撃ビラが出る瞬間まで、党員はみな、規律違反者やスパイと目された党員に対する「調査」が党内で「査問」と呼ばれることを知っていたし、党自身もまた、それ以前に何度となく「査問」という言葉を使っていたからである。
今回、あたかも「査問」という制度が党内に存在しないかのように突然言い出したことは、総選挙前に、自衛隊の有事活用論を言い始めたのと同じく、現在の右傾化路線と一体の歴史偽造である。必要なのは、「査問」という言葉を歴史から抹消して、あたかもこれまで党が不当な査問を行なったことがないかのような振りをすることではなく(そのような見せかけは、ただ党への不信感を募らせるだけだ)、これまでの査問の歴史を率直に振り返り、その中で、社会主義や民主主義を標榜する党として誤った対応や調査や冤罪がなかったかどうかを誠実に調査検討し、必要に応じて自己批判と謝罪、被査問者の名誉回復を行なうことである。