渡辺論文は、第1章で「今度の総選挙で何が争点となったか?」と題して、今回の選挙において争点となるべきだった3つの問題を提示している。
今回の総選挙が、21世紀に向けての日本の進路を問う選挙であったとすれぱ、争点になるべき政策的柱は大きくいって二つあったと思われる。一つは、日本の国際的な進路をいかにとるかということにかかわる争点であり、もう一つは、日本の社会・経済のあり方をめぐる争点である。
第1の争点を少し敷延すればこうなる。すなわち、新ガイドライン法や国旗国歌法の制定をふまえ、憲法改悪、有事法制の制定によって日米軍事同盟の下自衛隊の海外出動態勢を確立することを通じて大国の仲間入りをめざすのか、逆にそうした方向をやめ、安保体制の見直し、基地の縮小を通じて平和国家の方向へ向かうのか、という争点である。
第2は、日本経済の不況克服を、ちょうどレーガン政権以来のアメリカが行ったように多国籍化した大企業の競争力をつける規制緩和や大企業減税、弱小産業や社会福祉の切り捨てなど新自由主義改革を強行するやり方で行うのか、それとも国民経済を再建し新たな福祉を充実する道で行うのかという争点である。しかしこの争点は近年錯綜してきている。前者の新自由主義改革推進派の中に、それを利益政治で緩和しつつ行うのか、それともより急進的に行うか、つまり新自由主義改革のスビードをめぐる対立が浮上しているからだ。
そして第3に、こうした二つの政策をいかなる政治勢力で実現するかという政権選択、あるいは連合戦略のあり方が当然のことながら、大きな争点として想定された。
以上の3つの争点についてはわれわれも大筋では異論がない。渡辺氏はこのように争点を提示しつつ、実際には、第1の安保・自衛隊にかかわる問題が十分な争点にならなかったとして、次のように述べている。少し長いが引用したい。
第1の争点がまともに争点とならなかったことは、極めて大きな問題を残した。なぜなら前回96年総選挙から今日までの間に、戦後日本の進路に関して、もっとも大きな変化の一つである新ガイドラインの締結と周辺事態法がとおったばかりでなく、自衛隊の海外出動態勢づくりの障害となっている憲法の改悪をめざして憲法調査会が設置され、さらに首相の口から有事法制の制定までが公言されるという具合に、軍事大国化は重大な段階に入っていたからである。
選挙戦に入る前までは、これは争点として正面から議論される可能性があった。60年安保闘争で痛い目にあって以来、40年近くにわたりこの手の課題を選挙の争点とすることを避け続けてきた自民党が、第145国会での国旗国歌法制定や憲法調査会の設置、盗聴法などの成立に自信を持ったのか、その総選挙政策で20番目ではあるが「憲法調査会が設置されたことを踏まえに21世紀にふさわしい国民のための憲法の制定をめざ」すと謳い、当初は争点に押し出す気配を見せていた。自由党も保守党も政党としては憲法見直しを掲げ、対する共産党や社民党も憲法の改悪には反対の態度を打ち出し、とりわけ社民党に至っては「頑固に憲法」というスローガンを掲げて、それをほとんど唯一の争点にしようとしていた。
それにもかかわらず、現実には選挙戦中はほぼ全くこれは論義されなかったのである。なぜそうなったのであろうか?
最大の要因は、与党側が、国民に問うべきこの争点隠しに走ったからである。その一つの埋由は、自民党がこの選挙を自公保の連合で闘ったことである。連合の有力なパートナーであり地盤沈下した自民党の集票機構を支えてくれる有力な援軍である創価学会・公明党が、憲法見直しには消極的であるから、自民党としては、これは持ち出しにくくなった。その証拠に5月19日に発表された連立与党の選挙公約では、「5つの不安を解消します」とした中に「平和」を入れていたが、そこでは沖縄サミットの成功、国連強化による紛争予防のみがあがっていて、有事法制も憲法も姿を消していたのである。それだけではない。
さらに、第2に、森首相の「神の国」以来の度重なる暴言が、憲法見直しと結びついて、国民に自民党政権が再び「いつかきた道」を追求しようとしているのではないか、と警戒批判されることを恐れたことも、小さくなかったと思われる。
あまり説得力のない説明である。与党の側が国民の反発を恐れて反動的政策を争点からはずそうとするのは毎度のことであり、むしろ、そのような争点隠しをしなければならなかったことこそ、それを争点に押し上げる絶好のきっかけになったはずである。たとえば、自民党が重大な汚職事件を起こして選挙に突入したとすれば、当然、自民党はそれを選挙の争点からはずそうとし、別の問題にすりかえようとするだろう。まともな野党ならば、当然そのような争点そらしを許さず、その問題を最大の争点にして闘うだろう。与党の側が争点そらしをはかったことは、それ自体としては、憲法や安保・自衛隊の問題が争点にならなかった理由にはならない。なぜそれが成功したのかを説明しなければ、科学的な選挙総括にはなりえない。
この点に関し、渡辺氏は、与党側だけでなく、野党側にも問題があったとして、次のように述べている。
もっとも、この争点を隠したのは、こうした与党側の要因だけではなかった。野党の民主党の方も、この争点を回避したのである。党首の鳩山由紀夫は、憲法の見直し論者であり、かつ安保についても有事駐留論という持論を持っている。しかし、この争点は、民主党の中ではあきれることであるが、意見の一致が見られていないのである。国旗国歌法について党が真っ二つに割れたことは記憶に新しいが、憲法についても民主党内は改憲、論憲、護憲派と3つに割れている。おまけに、野党の盟主としての民主党とすれば、自民党に対抗するために組む相手となりうる、自由党と共産党、社民党は、こと憲法や新ガイドラインについては、全く正反対の方向を向いているからである。これでは争点にはとうてい出来ない。
これもあまり説得力はない。民主党がこの問題を争点にできなかった説明にはなっているが、全体としてそれが争点にならなかった理由にはなっていない。実は、問題の立て方がはじめから一面的なのである。憲法問題はけっして争点にならなかったわけではない。その証拠に、それをほとんど唯一の争点にした社会民主党は大幅に得票と議席を伸ばした。もし本当に、全体として憲法や安保・自衛隊問題が争点にならなかったのだとすれば、社民党のこの躍進をまったく説明できないだろう。今回の渡辺論文の一つの重要な弱点は、社民党の躍進について何らの説明も与えていないことである。社民党がなぜ躍進したのかを考えるならば、憲法問題が争点にならなかったかのように言う説明が一面的であることが、ただちにわかる。
しかし、そうは言っても、社民党のレベルでは争点になったかもしれないが、全体としてはやはりその問題の位置づけは弱かったのではないか、十分な争点にならなかったのではないか、という意見はありうる。実際そのとおりである。ではその理由は何であろうか? その最大の理由は、本来なら、社民党以上に、憲法問題や安保・自衛隊問題を最大の争点にしなければならなかった共産党が、この問題を十分な争点にしなかったことにある。今や共産党は、前回の参院選で野党第2党になり、民主党との得票差はわずかしかない、という地点にまで成長した大政党である。この野党第2党がどのような争点づくりをするかが、全体としての選挙の争点をも一定左右する。渡辺氏は、あたかも共産党が選挙全体の動向に何の影響力も及ぼさない少数政党であるかのように扱い、あたかも与党と民主党の態度だけで、選挙の争点が決定されるかのように論じているが、それは一面的である。大躍進さえマスコミで取りざたされていた共産党がどのような争点を押し出すかが、選挙の動向に大きな意味を持ったはずなのだ。
だが、その当の共産党はどうだったか? 共産党は、憲法問題を争点にする上で、社民党の後塵を拝しただけではない。本来なら、まさに渡辺治氏が力説しているように、新ガイドライン法が強行され、国旗・国歌法が制定され、憲法調査会さえ設置されたという情勢のもと、この問題が最大の焦点の一つにならなければならなかったにもかかわらず、共産党はその選挙政策の中心を景気回復、公共事業の削減、消費税増税反対といった経済政策に置いた。なぜか? それは言うまでもない。民主党との連合路線を追求していた共産党にとって、民主党との間で先鋭な対立要因になりうる憲法問題や安保・自衛隊問題を中心的争点にすることは、政治的にマイナスであると考えられたからである。しかも、国旗・国歌法に関しては、共産党自身がこの法律を引き出す役割を果たした。さらに、安保・自衛隊問題では、連合政権における安保の現状維持を最初から公言し、自衛隊に関しては、共産党の委員長自ら、選挙直前に、国の防衛のために自衛隊を使って当然などという暴言すら吐いた。
この最も重大な時期に、憲法や安保・自衛隊問題を最大の争点にしなければならないときに、まさに敵に塩を送るような政策や発言ばかりを共産党指導部は繰り返した。これこそが、憲法問題や安保・自衛隊問題が、本来あるべき中心的争点の位置からずらされた一つの重大な要因である。このことに目をふさぐかぎり、総選挙結果のまともな総括などできるはずもない。