政治的配慮と後退の産物
 ――2000年総選挙総括をめぐる渡辺治論文への批判

2、新自由主義政策をめぐる争点の矮小化はなぜおきたか?

 渡辺論文はさらに、第2の争点についても、正面から提起されなかったとして、次のように述べている。

 それに対して、規制緩和や税制改革などを柱とする新自由主義改革の是非については、景気の回復との対比で、「構造改革の是非」という形で大きく問題となった。しかし、この争点も正面から提起されたわけではなかった。……
 自民党がようやく新自由主義改革に本腰を入れて取り組むに至ったのは、93年政変で政権の座を滑り落ち、さらに自社連立政権という形で政権に返り咲いたあとも改革の遅れに業を煮やした財界が自民党に愛想を尽かせて新進党や民主党など他の野党に肩入れし始めたことに危機感を持った95年の参議院選挙以来のことであった。橋本政権が「6大改革」と称して、財政構造改革、社会保障制度改革、経済構造改革などの新自由主義改革を正面から掲げたことが、この現れであった。
 ところが、こうした新自由主義改革を強行した橋本内閣は、98年参議院議員選挙で一敗地にまみれた。新自由主義改革により犠牲を被った階層と新自由主義改革の遅れにいらだつ大企業のホワイトカラー層の怒りという左右の力に挟撃されての惨敗であった。参院選で大敗した自民党政権は、政権維持のためにも、新自由主義改革のスピードを遅らせざるをえなくなった。財政構造改革と称する歳出の削滅と消費税値上げなどの税制改革を後ろに引っ込めて、不況克服のための財政出動を行うことが、橋本政権のあとを受けた小渕政権の路線となったのである。
 それに対して、民主党は、98年参院選において、片や新自由主義改革の犠牲となった層が民主党に期待し、片や大都市部では、自民党ではいっかな新自由主義「改革」が進まないことにいらだった大企業ホワイトカラー層の「改革」期待を一身に受けて躍進した。そこで、今回民主党は、自民党の新自由主義改革隠し路線に対抗して、新自由主義改革断行路線を打ち出すことによって勝負に出たのである。課税最低限の引き下げは、こうした民主党の新自由主義改革積極派としての政策宣言の象徴であった。
 こうして、新自由主義改革をめぐる対決は、片や新自由主義改革を総選挙の後に遅らせ、選挙までは湯水のような公共投資による景気回復政策で、農村や都市自営業層の支持基盤を支えようという自民党、同じく都市下層を抱える立場からこれに乗る公明党に対し、新自由主義改革の果敢な実行を迫る民主党とそれに呼応する自由党という対決が、主たる構図となってしまったのである。

 多国籍企業の利益に沿った新自由主義的な経済の再編を長期目標としつつも、当面する景気回復のために公共事業の大盤振る舞いという形で湯水のごとく財政出動を行なう与党側と、新自由主義という目標を長期的のみならず当面する政策としても重視し、公共事業の削減をはじめとする財政構造改革を迫る民主党という、こうした政治的構図のとらえ方は、われわれも同意できるところである。渡辺氏は、このような与党と民主党との非本質的な対立構造のせいで、本来の対決点があいまいにされたとして次のように述べている。

 本来の対決点は、新自由主義改革による大企業本位の景気回復か、それとも、企業リストラ、新自由主義改革を阻止して労働者の権利の保全と福祉の拡充、農業や都市自営業の再建による国民経済の再建を通じての景気回復の道かという対決であったが、この後者の道は、共産党によって、「公共投資優先の財政支出か、福祉優先の支出か」という形で提起されたにとどまり、全体の構図は、新自由主義改革のスピード問題に矮小化されてしまったのである。

 渡辺氏によれば、本来の対決点については、共産党によって提起されたにとどまったと述べている。はたしてそうだろうか? 共産党自身も、かなりの程度、与党と民主党との偽りの対立構造に引っ張られたのではないだろうか? そしてこのことが、本来の対決点を曖昧にする上で一定の役割を果たしたのではないだろうか?
 何よりも、共産党は、財政再建ということをその政策の最大の目玉の一つにした。この点で、共産党は、民主党の政策との表面上の共通性を獲得した。民主党との連合による政権参加ということが追求されたために、民主党と一致しているように見える政策が前面に押し出された。さらに、前回の参院選で共産党躍進の原動力の一つになった消費税減税も、民主党との対立回避のために後景に押しやられ、増税反対という課題に矮小化された。しかも、減税先送りの最大の口実にされたのは、財政再建の必要性であった。これまた、公共事業による景気回復か財政再建優先か、という構図に乗ったものであった。
 また、共産党は、自民党以上に新自由主義的な民主党を公然と批判するのを極力回避し、選挙における宣伝や選挙政策においても、民主党をほとんど批判せずにすませた。これは、公共事業で麻薬づけにしてから激痛を伴う新自由主義政策を断行するという与党の路線と、痛みの伴う新自由主義政策をただちに断行するという民主党の路線という対立構造そのものを温存する結果をもたらした。このような偽りの対立図式を正面から批判し、真のオルタナティヴを提示すべき共産党自身が、民主党の顔色をうかがって、きちんとした民主党批判をしなかったために、国民は、このような誤った対立図式にからめとられてしまった。
 さらに、何よりも問題だったのは、共産党が、根本的に政策的方向性の異なる民主党との連合政権を公言してきたことである。これは、新自由主義政策をめぐる「本来の対決点」を曖昧にするうえできわめて大きな役割を果たした。共産党がいくら規制緩和に反対する、消費税増税に反対すると言っても、いったん選挙で勝利すれば、規制緩和断行を掲げ消費税増税やむなしとしている民主党と政権を組むというのであれば、いったい、そのような政策に何の意味があるというのか?
 ここでも、共産党指導部の犯した重大な誤りと裏切りを直視しないかぎり、まともな選挙総括はできないのである。

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