政治的配慮と後退の産物
 ――2000年総選挙総括をめぐる渡辺治論文への批判

4、共産党はなぜ後退したのか

 渡辺氏の議論は、共産党の後退を論じた部分でさらに一面的なものになっている。渡辺氏は、共産党が選挙で後退した原因について次のように述べている。

 98年参院選と異なるのは、今回の衆院選で共産党が後退したことである。これはなぜか?
 すでに共産党自身は、同党声明においてこれを反共謀略キャンペーンと、比例区の20削減に求めているが、それは、無視しえぬ要因である。このうち、共産党に対するネガティブキャンペーンの政治的意味についてはすでに述べた。もう一つの比例区の20削減は、小選挙区制度の害悪を一層増大させたといえよう。
 しかし、共産党の後退については、他にも考えなけれぱならない要因がある。それは、今回のように自民党政権に対する各階層の不満が噴き出して、とにかく自民党を倒せば事態が打開できると国民のかなりが思う状況になるとしばしば少数党派が後退するという問題である。しかも、そうしたとき政権党の方は、「過半数割れになったら共産党が政権に加わるぞ」ということを宣伝するから、ネガティプキャンペーンも強くなる。ロッキード疑獄が暴露されたもとで行われた1976年12月の保革伯仲下での選挙戦は、その点では今回の選挙に極めて類似した状況であった。
 しかも今回は、76年選挙時にはなかった小選挙区比例代表並立制という欠陥選挙制度のもとでの選挙であった。小選挙区では、最大政党一つしか当選しないということになれば、民主党が呼びかけたように最大野党に票を集中しろというキャンペーンは、76年以上の強力に働いたことが予測された。また98年参院選では新自由主義改革の是非が正面から問われたのに対し、今回は争点がずらされたことも大きかった。参院選では、民主党と共産党の前進であったのに対し、今回は民主党と自由党が延びたことはそれを示している。

 このように、共産党の後退について、共産党中央の言い分をそのまま繰り返した論点以外に、渡辺氏が出している独自の説明は、政権交代が争点になると少数政党が不利になるということと、先ほどすでに批判した「争点がそらされた」という理由だけである。まず最初の理由説明は二重三重の意味で説得力がない。
 まず第1に、政権交代が争点になったおかげで野党第1党が伸び、少数政党が割りを食ったというのが、今回の後退の説明として本当に正しいのならば、なぜ、共産党よりも少数政党であった社民党と自由党が伸びたのか? すでに述べたように、渡辺論文は、社民党が伸びた理由についてひたすら沈黙を守っているが、ここでも、この決定的な問題が完全に無視されている。
 第2に、たしかに、小選挙区制ならば、最大政党が一番有利であり、したがって、実際の支持政党の枠組みからはずれて、当選可能な候補者に票が集中されるという現象を生み出す。しかしながら、共産党は、小選挙区では、96年総選挙のときよりも票を増やしているのである。共産党が減らしたのは比例区であり、比例区は、その本質上、与党を打倒する上で最大野党に票を集中させる必要のない民主主義的な選挙制度である。共産党はとりわけ、98年参院選に比べて、150万票も比例票を減らした。この比例票の大幅減少について、渡辺氏は何も説明していない。
 第3に、もし渡辺氏の仮説が正しいとすれば、共産党から離れた票はおおむね、最大野党の民主党に集中されたということになる。すると、96年総選挙時から、210万票以上も票を伸ばした社民党は、いったいどこからこのような大量の票を獲得したというのか? 民主党も自由党も票を大幅に伸ばしているのであるから、社民党が獲得しえた票は、今回、比例区に立候補できなかった新社会党しかない。しかし、新社会党の票は、98年参院選で100万票程度であり、なお、100万票以上も計算が合わない。いったい、社民党のこの票はどこからきたのか? 渡辺氏はここでも何も語っていない。
 第4に、民主主義的な政権交代の現実的可能性などなかったにもかかわらず、そもそも政権交代が争点になってしまったことの責任の重大な一端を、共産党の指導部自身が負っているという事実についても、渡辺氏は沈黙している。この問題についてはすでに私たちは、『さざ波通信』号外第5号で詳しく論じたので、それを参照にしてほしい。
 さらに、第2の「争点そらし」という説明も説得力がない。争点が単にそらされただけなら、社民党もやはり大きく割を食うはずである。実際、社民党は共産党よりもはるかに不利な立場にあった。社民党は共産党よりも少数政党であり、しかも、村山政権における裏切り行為は、今なお多くの人々によって鮮明に記憶されている。さらに、その政策も、共産党以上に曖昧である。にもかかわらず、社民党は大幅に得票を伸ばし、共産党は大きく減らした。ここで持ち出しうる唯一の言い訳は、反共キャンペーンだけであろう。となると、渡辺氏は、結局のところ、共産党中央の言い分以上に何も付け加えなかったということになる。政局分析にあれほどの切れと明快さを誇っていた渡辺氏は、いったいどこに行ってしまったのだろうか?
 共産党の後退の理由を正しく解明するには、この間の党指導部の路線全体を批判的に検討しなければならない。それなしには、いかなる説明も表面的にならざるをえない。それは、渡辺氏のような優秀な頭脳をもってしてもそうである。

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