以上、油井氏が本書で解明を試み、また党改革について提起しているものを紹介・検討してきた。本書を読まれた方はすぐに気づくと思われるが、油井氏は、当時から今日にいたる党の政治路線にはなんら疑念をもっていない。それどころか、さらなる「右傾化」としてわれわれが批判している最近の傾向をも積極的に評価している。それゆえ、彼が終章「党改革はいかに」の中で展開している主張は、部分的にはわれわれと一致するものがあるにしても、党改革の基本的方向性が異なっている。
したがって当然ながら、「新日和見主義批判」の理論的検討は開始されたが、被批判者が「党の枠内」にあったことを証明するところにとどまり、党の路線に対する検討・検証はほとんどなされぬまま終わっている。
まずは党内民主主義について油井氏が主張するものを検討しよう。
これまで共産党は公開討論をやっていない。党大会前の『赤旗評論特集版』の意見公表は、公開討論とはいえない。新日和見主義事件の経験からいっても、自由な公開討論を適宜に行ない、党内民主主義をもっと発揚すべきであろう。情勢論など政治評論にかかわる問題ではとくにのぞまれる。それは党の唯我独尊をさける道であり、党員の適度の緊張感と党の活性化に役立つものと思う。
ここで言われていることそれ自体はもっともなことである。しかし党内民主主義をもっとも必要としているのが、「党の唯我独尊をさける」問題でも「党の活性化」の問題でもなく、党の政策・方針などの意思決定の問題なのだという点をもっとはっきりと強調する必要があろう。油井氏がこの点に十分触れないのは偶然ではない。彼は、最近の民主党との連立を目指す方向も肯定的に評価しているが、そのような方向転換が党内民主主義をまったく無視した形で推進されていることには目をつむっているからだ。
次に「事件」の結果についての評価である。油井氏は次のように言う。
この事件は、党中央がトロツキストに通ずる「左」の日和見主義と見誤った結果、議会と議会外の闘争をむすびつけてたたかおうとする志向性をもった、本質的には良質で戦闘的な共産党員を青年学生運動から排除する結果になった。そのため新日和見主義事件はその後の大衆運動に重大な否定的影響をもたらした。
稼動力の高い党員層の高齢化のなかで、職場党組織の消滅という深刻な事態も進行しつつある。いまこそ大衆運動の抜本的強化が求められている。議会外の大衆闘争とむすびついてたたかうことが党の代議制度、議会主義の立場であることをあらためて確認すべきである。(260ページ)
このように油井氏は、大衆闘争や党内民主主義を重視している。だが、その彼の立場と、今日さらに新たな段階にさしかかろうとしている政治路線上の穏健主義とは両立しうるのだろうか? 確かに「人民的議会主義」という用語において、それは「統一」されているかもしれない。しかし共産党の政治路線において、大衆闘争と議会闘争を結びつけるのは当然のことであって、問われるのはどこまでもその内実である。党中央が「左」といえるものではなかった「新日和見主義」を「左」として切り捨てたことは、逆に彼らが「右」へ転換したことを示している。大衆闘争には、議会闘争とは異なる論理が存在するのであり、大衆闘争がそれ自身の論理にもとづいて展開すれば、現在の穏健主義路線とは必ず衝突する部分が出てくる。
「事件」当時から推進されてきた政治路線の基本的な誤りの一つは、闘争の判断基準を、党自身(党の組織勢力や選挙での得票や獲得議席)においているところにある。それは、現指導部が、選挙における得票・議席を主たる判断基準として今日を革新高揚期よりも革新的だという幻想を抱いていることから明白であろう。それゆえ、選挙に不利とみなされた大衆運動は無造作に切り捨てられる。「新日和見主義事件」の青年学生運動がそうであったし、党の政策転換に振り回された消費税廃止運動もそうだ。つい最近かろうじて大きな危機を回避した国鉄闘争にも党の政治路線が強く反映している。現在の路線を前提する限り、こうした党指導部の背信行為の行進にストップをかけることはできないし、かつてのようなタイプの大衆闘争が共産党周辺で再生することはありえない。