革新運動の大義を裏切った決議案

4、決議案における自衛隊政策の犯罪性(2)
 ――朝日新聞の予言

 まず、われわれ自身の見通しの甘さについてここで反省しておきたい。
 昨年の3月に戦後初めての海上警備行動が発動されたとき、共産党指導部は、非常に曖昧な対応に終始した。事件の直後、志位書記局長は次のような談話を出した。

 自衛隊法82条による海上警備行動の発動という今回の措置が妥当なものであったかどうかは、事態の全容を明らかにしたうえで、究明する必要がある。

 「事件の全容」もへったくれもない。全容がどうであろうと、あの行動はまぎれもなく軍事行動であり、「武力による威嚇」である。社民党は、自衛隊を合憲と認めているにもかかわらず、事件直後にただちに反対の声明を出した。それと比較しても、共産党指導部の対応は異常だった。この事件に対する党指導部の姿勢は、今から考えれば、情勢しだいでは自衛隊を軍事行動に動員してもよい(自衛隊活用論!)という発想を実践的に先取りするものだった。その事件後、5月4日付『朝日新聞』は、このときの共産党の対応を論評して、的確にも次のように述べた。

 自衛隊の警告射撃や爆弾投下につながった3月の不審船事件について、共産党が批判しないのも、将来の政権入り後、同様の事態が起きれば自衛隊を使う可能性をにらんでのことだ。

 この朝日記事が出たとき、われわれは『さざ波通信』第4号の雑録論文ですぐさま取り上げて、次のように反論した。

 ここまで来るとほとんどでたらめであるが、この記事を書いている記者(恵村順一郎)は自信満々である。不審船事件に対する自衛隊の海上警備行動は明らかに憲法違反であり、アジアの平和を脅威に陥れる暴挙であり、護憲・革新政党ならば当然のことながら最も断固たる抗議の声を上げなければならないものである。したがって、この事件に対して全容の解明のみを語って、まったく批判しようとしなかった共産党指導部の態度は許しがたい日和見主義であり、厳しい批判が必要である。にもかかわらず、沈黙の理由が、将来の政権入り後に、同じ事態になったら自衛隊を使うつもりだからであるというのは、あまりにもうがった見方である。共産党の沈黙は、もちろん、昨今の右傾化の一つの現われであるし、そのときのマスコミや右派世論を先頭とするナショナリスティックな雰囲気に敢然と抵抗する勇気が欠如していることの現われであるが、政府首脳でさえ海上警備行動の発動を予想していなかったにもかかわらず(われわれは一部の左翼が言うような陰謀論はとらない)、共産党指導部が将来の自衛隊活用を念頭に入れてあのような対応をしたのだと解釈するのは、あまりにも無理があると言うべきだろう。

 われわれは、このとき、いくら共産党が右傾化しているといっても、違憲の自衛隊を活用することを念頭に置いているなどとは、とうてい信じることができなかった。しかし、その後の事態は、朝日新聞の一記者の憶測こそが正しかったことが明らかになった。おそらく、朝日の記者は、独自のルートを通じて、そういうことを匂わせる発言をオフレコで党幹部からすでに得ていたのだろう。朝日記者のあまりに断定的な書き方は、今から思えば、すでに確実な情報を得ていたことを示唆している。
 ちなみに、われわれは、この論文で次のようにも書いている。

もし本当に不破委員長が自衛隊を容認する発言をしたのだとすれば、それこそ歴史的大問題であり、いくら共産党員が指導部に従順だといっても、平穏無事では絶対にすまない騒動が起こるだろう。

 今ではわれわれは、このように断言するいささかの自信も持っていない。今回の決議案における自衛隊政策は、事実上の自衛隊容認論である。その点については後で詳細に論じる予定である。建前上、共産党指導部は自衛隊を容認していないと言い張っているので、言葉の上でも容認したらどうなるかを確定的に言うことはできないが、今回の事実上の容認論を前にしても、党員の圧倒的多数が受け入れている現状を見るならば、名目の上でも自衛隊容認を打ち出しても、「国民との溝が埋まった」とか何とか言って受け入れられる可能性の方が、はるかに大きいと言わざるをえない。

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