岐路に立つ日本共産党
 ――第22回党大会をふりかえって

1、志位報告と決議の検討

自衛隊活用論の正当化と補強(2)
 ――安保廃棄と自衛隊解消

 決議案と志位報告は自衛隊の段階的解消論を正当化するために、安保廃棄の世論が成熟することと、自衛隊解消の世論が成熟することは「おのずから別個の問題」だと述べている。しかしはたしてそうだろうか?
 本サイトへの投稿でも触れられていたように、日本を対米従属の国家として規定する党綱領の立場からすれば、安保条約を廃棄して米軍基地を一掃するという課題のほうが、自衛隊を解消することよりも困難だということになるはずである。日本を支配しているのがアメリカ帝国主義ならば、そのアメリカ帝国主義を追い出すことのほうが、それに従属している軍隊を解消することよりも困難で、危険なはずである。親分が打倒されれば、その子分はいっしょに打倒される。逆に、子分を打倒しても、必ずしも親分は打倒されない。アメリカ帝国主義が親分であり、自衛隊がその子分ならば、最大の困難は親分たるアメリカ帝国主義の支配を打倒することであろう。そして、親分がピンチに陥ったときには、当然、子分が親分救出のために動員されることになる。親分はまず子分を使って闘うのが普通である。とすれば、アメリカ帝国主義の支配の打倒のためには、その前に子分たる自衛隊の解消が必要になるはずである。
 さらに、志位報告は、自衛隊の段階的解消を正当化するために、次のような珍妙な仮定を置いている。もし自衛隊の即時解消に固執すれば、「自衛隊の即時解消を方針とする政権でなければ、たとえ安保廃棄の政権であっても、わが党はいかなる連立政権にも参加してはならないということになります。かりに、そうした硬直的な態度をとるなら、国民の国政革新の要望にそむくことになるばかりか、憲法九条の完全実施を逆に遠ざけることになることは明瞭ではないでしょうか」。
 だが、このような反論は、二重、三重の意味で成り立たない。まず第一に、党指導部自身が、党の政策と連立政府の政策とは異なると、何度も口をすっぱくして言ってきたではないか。党として自衛隊の速やかな解散を掲げつつ、同じ方向性を追求している連立政府に参加することは可能なはずである。
 第二に、そもそも、自衛隊は堅持するが安保は即時廃棄する政権とはいったいどんな政権だろうか? 最も考えられるのは、自立帝国主義派のファシスト的政権である。かつてのドイツのナチス政権は、ベルサイユ条約を廃棄して軍備拡大と侵略に走った。このような反動的ファッショ政権なら、たしかに、自衛隊を堅持して安保条約を廃棄する政権になりうるだろう。共産党はそのような政権に入るつもりなのか? 
 第三に、安保廃棄と自衛隊解消を機械的に分離し、後者をはるか先の課題に先送りするなら、むしろ、両者を一体のものとして考える連合政権ができたときにはどうするのか、と志位氏に問い返さなければならないだろう。志位氏の論法を借りれば、そのような連合政府に共産党は参加できないことになり、まさに「国民の国政革新の要望にそむくことになるばかりか、憲法九条の完全実施を逆に遠ざけることになる」のではないか?
 戦後民主主義運動において、安保反対と自衛隊反対は、不可分一体のスローガンであった。もしそのような価値観にもとづいた政府ができるならば、そのような政府は、自衛隊も安保もできるだけ早急に解消することを目標とするだろう。それがどれぐらい実現できるかは、もちろん、その時々の力関係による。クーデターの危険を考慮するならば、ずるずると自衛隊を保持することは政治的自殺行為になるとわれわれは考えるが、しかし、それはあくまでも戦術的ないし戦略的展望であって、連合政府形成の政策的前提条件になるわけではない。連合政権の政策的条件としては、「自衛隊と安保をできるだけ速やかに解消するために全力をつくす」という合意で十分である。
 自衛隊解消どころか、安保廃棄の連合政権の展望さえまったくない状況のもとで、勝手に共産党の側から安保廃棄と自衛隊解消を機械的に分離して、後者を遠い先の課題に設定することは、結局は、現時点における自衛隊の正当化、国民意識における自衛隊の許容度を増すことに役立つだけである。

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