決議案に関する志位報告についてはこれでいちおう終えて、規約改定案に関する不破委員長の報告と結語の検討に移ろう。
この不破報告と不破結語は、あらためて議論する気も起こさせないような無内容な代物である。議論するのは苦痛以外の何ものでもないが、新しく言われているいくつかの論点について取り上げておきたい。
前衛党論をめぐる不破哲三氏の二枚舌
まず前衛党削除について、不破報告は次のように述べている。
この規約改定案は、マルクス、エンゲルス以来の共産党論あるいは労働者党論をふまえ、それを現代日本的に展開したものであり、科学的社会主義の大道にたったものであります。改定案は、「前衛政党」という規定をとりのぞいたことが一つの特徴として注目されましたが、「前衛政党」の規定も、この事業の歴史のなかでみれば、一時期にあらわれた規定であって、科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものではありませんでした。
何と「前衛政党」の規定は、「科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものでは」ないそうである。何といとも簡単に言われているのだろう。すると、わが日本共産党は、創立以来、77年にもわたって、「本来のものではない」規定を自己に当てはめつづけていたということなのか。だが、すでに前号の『さざ波通信』で明らかにしたように、1984年7月25日付「赤旗」に掲載された論文「科学的社会主義の原則と一国一前衛党論――『併党』論を批判する」では、まさに「前衛党論」がマルクス、エンゲルス以来の科学的社会主義の原則であることが、高らかに宣言されている。この論文との整合性をどのようにつけるのか?
さらに、不破哲三自身の次のような発言との整合性をどうつけるのか? 以下の文章は、不破哲三氏が田口富久治氏との間で行なった論争の中で書かれた大論文「科学的社会主義か『多元主義』か」の一節である。
労働者階級が、支配階級の政治的経済的支配を打ち破って革命に勝利する主体的な力量と条件をととのえるためには、労働組合の組織にとどまらず、独自の政党にみずからを組織することが必要であること、この政党をぬきにして、労働者階級解放の事業の勝利はないこと、こういう見地から、労働者階級の前衛党の結成と建設の問題を、革命の事業、社会主義の勝利のために不可欠の手段としてとりあげるところに、マルクス、エンゲルスの思想の核心があった。
マルクス、エンゲルスのこの思想は、レーニンによって受け継がれた。……
もちろんその党が、革命の勝利を保障する指導的役割を、どのような形態でどのような手段で発揮するかということは、それぞれの国で、さまざまな時期に、革命運動が当面する歴史的情勢にかかわって独自の多様性をもつことである。この問題でも、マルクス、エンゲルスの時代とレーニンの時代、それからわれわれが活動する今日の時代では大きな違いがある。しかし科学的社会主義を理論的基礎とする前衛党が、社会主義革命の事業の前進と勝利のために不可欠の組織であることは、いつの時代でも変わらない真理であり、この前衛党が、必要な指導的役割をどうして発揮してゆくかという点に、科学的社会主義の前衛党論の理論と実践の要があることは、明白である。(『続・科学的社会主義研究』、新日本出版、20~22頁、強調は引用者)
このように、当時の不破氏は、革命に不可欠な前衛党の建設という立場はマルクス、エンゲルス以来のものであり、この前衛党絶対必要論こそ「いつの時代でも変わらない真理」なのだと力説している。実は、前衛党論というのが、マルクス、エンゲルスの最初からの立場ではないという主張こそ、ここで不破氏が「論破」している田口氏の立場であった。この「修正主義」理論を「粉砕」するために、不破氏は、この大論文を書き、さらにその後、「前衛党の組織問題と田口理論」という大論文を書いたのである。田口氏は、現在不破氏がとっている立場をこのときにとったために、党内で冷遇されるようになり、やがては党を離れることになった。
ところが不破氏は、自らこのような大論文を2本も書いて、前衛党論こそ科学的社会主義の「いつの時代でも変わらぬ真理」であることを「証明」しながら、それを正反対にひっくり返すときには、「誤解」の一言と、「『前衛政党』の規定も、この事業の歴史のなかでみれば、一時期にあらわれた規定であって、科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものではありませんでした」というたった1行の文章ですましているのである。まともな人間的良心や羞恥心をもった人には、とうてい真似のできない芸当である。
「国民の党」
次に、新規約で導入された「国民の党」という自己規定について、不破氏は、(1)労働者階級が国民の中で多数であること、(2)社会主義の事業が国民的課題であること、(3)社会主義をめざす勢力は国民的事業の先頭に立つこと、などを挙げて正当化している。しかし、いずれの議論も、マルクス、エンゲルスにとっても、レーニンにとっても、常識の部類に属する事柄である。ではなぜ、マルクスもエンゲルスも、レーニンも、自らの創設した党を「国民の党」と規定しなかったのだろうか? 不破氏はそのことについて説明してくれない。
少し考えてみればすぐにわかることである。たとえば、革命前のロシアは、ブルジョア民主主義的課題に直面していた。ブルジョアジーは、自らの歴史的課題を放棄し、帝政に従属した。本来のブルジョア的課題のすべてが労働者政党の肩にかかっていた。ボリシェヴィキもメンシェヴィキも、当面する革命をブルジョア民主主義革命としていた。不破氏の議論にもとづくなら、このときボリシェヴィキは、労働者階級の党であると同時に、ブルジョアジーの党でもあると自己規定しなければならなかっただろう。戦前の日本共産党もブルジョア民主主義革命をめざしていたのだから、戦前の党は、労働者の党であるとともにブルジョアジーの党であると規定しなければならないだろう。もちろん、そんなことはナンセンスである。
社会主義の歴史的事業は、国民総体の合意によって実現されるのではなく、国民の中の階級闘争を通じて実現される。この事業において、労働者階級は、それ以外の被搾取・被抑圧人民諸階級と連合して、中心的役割を担う。したがって、労働者階級の党こそが、国民的課題をも担えるのである。だがそれは、人民的な党ではありえても、支配階級を含めた概念である「国民」の党ではありえない。
このことは、不破氏自身もある程度認めないわけにはいかない。不破氏はこの報告の中で、「それをのりこえて新しい社会に前進することは、国民全体、すくなくともその大多数の利益に合致します」と述べている。最初に「国民全体」と言いながら、そのすぐあとに「すくなくともその大多数」と言いかえているのは、いかにも見苦しい。もし本当に社会主義が大ブルジョアジーを含めた「国民全体」の利益に合致するなら、そもそも階級闘争も、一般にいかなる闘争も必要ではないだろう。ブルジョアジーやその政治的代弁者に向かって、社会主義はあなた方の利益になるのですよ、と牧師のごとく説教すればよい。
共産主義社会
次に不破氏は、規約から社会主義、共産主義という言葉がなくなったことについて、社会主義を捨てたのではなく、それを内容で示したのだ、と述べている。
ここで、大切な点は、規約改定案が、この目標を内容でしめしているという点であります。すなわち、「終局の目標として、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現をめざす」という文章で、このことを明記いたしました。だが問題は、そうした内容で表される社会を何と呼ぶのかである。それを共産主義社会と呼ぶからこそ、われわれの党の名前は、「共同党」でもなければ「共同社会党」でもなく、また「自由平等党」でもなく、「共産党」なのである。規約は、自分の党の名称とその由来を語らなければならない。そうした社会を「共産主義社会」と呼ぶのを避けたいのであれば、共産党という党名をも避けるべきであろう。