すでに繰り返し説明してきたように、今回の第22回党大会は、日本共産党の歴史的な右転換への重大な数歩となる画期的な大会となった。多くの良心的党員は、この間の共産党指導部の右傾化に心を痛め、何とかそれを食い止めようと努力してきた。しかし、党内の制度は、そのような少数派が行使できる手段をいちじるしく制約している。彼らにできるのはせいぜい、同じ支部内の党員に訴えること、そして、別刷り『学習党活動版』に反対意見を投稿すること、そして、最もうまくいった場合には、都道府県委員会の党会議で異論を述べ、党大会代議員に立候補することである。
個々の異論派党員は、誰かからの指令にもとづいてではなく、それぞれの決意と判断にもとづいて、それぞれがなしうる最大限の努力をしたと思う。しかし、そうした努力が党大会の結果には反映されないだろうし、党指導部の提案がほとんど修正されることなく(少なくともいかなる本質的な改善もなく)採択されるだろうことは、最初から予想できた。したがって、今回の大会の結果は何ら驚くべきことではない。かろうじて、1名の代議員が党大会で異論を述べたことは、やはり共産党という組織においては画期的である。
この結果を受けて異論派党員が今後何をなすべきかは、言うまでもなく、それぞれの党員の判断にゆだねられている。もう共産党再生の可能性はないと考えて離党する党員もいるだろうし、あるいは、なお党内にとどまってささやかな抵抗の陣地を確保しようとする党員もいるだろう。われわれは、離党を選んだ党員も、党にとどまることを選択した党員も、同じ闘う仲間であり、同志であると考えている。どちらの判断が正しくて、どちらの判断が間違っていると一概に言うことはできない。だが、いずれにせよはっきりしているのは、現在の党指導部には見込みはないということ、この指導部の支配下にあるかぎり、共産党に未来はないということである。
離党した党員も、党にとどまった党員も、この指導部の誤った路線に対する闘いを今後も継続して行なっていくだろう。もちろんわれわれは、党指導部に対する批判を自己目的化するつもりはいささかもない。その闘いは常に、全体としての支配層に対する闘争に従属している。主要な打撃は常に日米支配層およびその代弁政党に向けられるべきである。党を離れた場合も、党にとどまった場合も、真面目な左翼活動家なら誰しも、右からの、支配層からの共産党攻撃に対しては、常に党を防衛するだろう。われわれはこの防衛において、党官僚やそのちっぽけな権威を擁護するのではなく、右派と支配層が共産党攻撃を通じて攻撃している、反体制的な価値観と運動のいっさい、社会主義的なもののいっさいを擁護するのである。
したがってわれわれは、共産党の打倒や共産党の解体というスローガンを、今後とも拒否する。社会党が完全に右転落したときも、われわれは、社会党の打倒や社会党の解体というスローガンを支持しなかった。共産党の場合はなおさらである。
だが、だからといって、共産党指導部の路線に対する批判がいささかも鈍くなってはならない。日本政治の反動化が進む中で、共産党指導部の誤った政策が結果的にその反動化の後押しをする場合には、なおさらである。そして、そのような場合は、今後ますます増えるだろう。日本共産党の右傾化は、心ある革新的有権者によって拒否されるだろう。世論とマスコミに迎合することで右にウィングを伸ばすことができるという党指導部の思惑は、現実によって裏切られるだろう。それにもかかわらず、もし党指導部が、なお右傾化路線に固執し、それをさらに押し進めるならば、そして、党員の大多数がなおも大規模に介入しないならば、社会党の場合と同じく、党の崩壊が前方に控えているだろう。
もしそうなったなら、日本の政治はいちじるしく反動化し、日本革命の道はいちじるしく遠のくだろう。だが、日本革命の道が、社会党のみならず共産党の屍の上をも通っているならば、その道を恐れずに進むしかない。われわれはそうした事態になるのをけっして望まないが、歴史は一握りの人間の希望によって左右されるものではない。こうした最悪の事態を予想しつつ、それを避けるために、今後ともわれわれは全力を尽くすだろう。