雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―1>不破指導部の強権主義を弁護する後房雄教授

 2000年11月21日付『世界週報』は、今回の日本共産党第22回答大会の特殊を組み、その中で不破委員長(当時)に長いインタビューを行なうとともに、インタビュアー(森田修氏)による解説が付せられている。ここで取り上げたいのは、不破委員長のロング・インタビューではなく、森田氏の解説の中に登場する後房雄名古屋大学教授のコメントである。そのコメントは、現在の党指導部が行なっている上からの強権的路線転換を、次のような驚くべき論理で弁護している。

 後房雄教授は、新しい党規約でも「反対意見の党外への発表」が禁じられていることをなど、党内民主主義の不徹底を批判するのと同時に、「党内民主主義を主張する党員たちが、ほとんど従来路線を堅持すべきだという左からの批判派ばかりで、そのため、より適切な政治路線への転換が、党内での民主主義的な討論を抑えて上から強引に進められるという逆説的な状況になっている」ことを問題視している。(13頁)

 つまり、後教授は、現在の党指導部が上からの強権的改革を進めているのは、党内民主主義を主張している党員がほとんど「左からの批判派」だからだ、というのだ。党指導部の責任は免罪され、あろうことか、「左からの批判派」にその責任が転嫁されている。ここで言う「左からの批判派」として何よりも後氏が念頭に置いているのは、われわれの『さざ波通信』のことであろう。実際、このコメントの直前には、「党員有志がインターネット上に開設した『さざなみ通信』を見ても、下部党員の間に党内民主主義を求める要求がかなり存在することがうかがえる」との編者のコメントがある。後教授のコメントはこれを受けてのものである。
 だが、後教授のこの推論は正しいだろうか?
 まず、上からの強権的な路線転換が明確に始まったのは、一昨年8月に安保廃棄棚上げの野党連合政権論を不破委員長(当時)が打ち上げてからのことである。それ以前には、党内民主主義を主張する「左からの批判」はほとんど公然化していなかった。われわれのサイトがスタートしたのは、この政権論が出されてから半年も経ってからのことである。「左からの批判派」が、不破指導部の強権主義の原因なら、どうして、このたっぷりあった半年間に、党指導部は「党内での民主主義的な討論」を組織しなかったのか? あるいは、その政権論を打ち出す前に、どうしてそのような討論を組織しなかったのか? 『さざ波通信』を立ち上げざるをえなかったのは、まさに、そのような「民主主義的な討論」が組織されなかったからである。原因と結果が、後教授にあっては完全にひっくり返っている。われわれが「左から」批判したから、不破指導部が強権的になったのではなく、不破指導部が強権的に路線転換をやろうとしたから、われわれが公然と批判の声を上げざるをえなくなったのである。
 また、「党内民主主義を求める党員たちが、ほとんど従来路線を堅持すべきだという左からの批判派ばかり」だから、不破指導部が強権的に路線転換を進めていると後教授は言うが、その「左からの批判派」というのは、いったいどの程度の規模だというのだろうか? われわれのサイトは、ほんの数名で運営されている。党大会前の別刷り『学習党活動版』の中でも、すべての批判意見を合計しても、せいぜい80通程度である。38万人もの党員がいる中で、わずか100名足らずの公然たる「左からの批判」があったからといって、党指導部が、党内での民主主義的な討論を組織しない理由になるとでも言うのだろうか?
 さらに、後教授の言い分にもとづくならば、民主主義的な党内討論を実現するには、「左からの批判」が沈黙しなければならないことになるだろう。だが、「右からの批判」しか認められないような「民主主義的な討論」とはいったい何なのか? それは「民主主義」という言葉から最も遠い状態ではないのか? このような主張には、後教授の考える「民主主義」の実態が浮かび上がってくる。左派は沈黙を守り、右派のみが声高に発言できる状況、これが後教授の考える「民主主義的な討論」なのである。
 もし現在の不破指導部が進めている改良主義路線が、後教授の言うようにそんなに「まともな政治路線」なら、どうして不破指導部は、党内民主主義を抑える必要があるのか? 「まともな政治路線」なら、どんなに「左からの批判」があろうとも、恐るに足りないはずである。その「まともな政治路線」は、数十名の党員(しかもそのほとんどは、地位も権力もない最末端の党員)の「左からの批判」ごときで粉砕されるような情けないものなのか?
 後教授のような右派にとって実に不名誉なことに、公然と「党内民主主義を主張する党員」のほとんどは、たしかに「左からの批判派」である(言っておくが、「左からの批判派」は、けっして「従来路線の堅持」を主張しているのではない。「従来路線」そのものに、今回の右転換の要因が含まれていた)。だが、それはなぜなのか? いったい、「右からの批判者」はどこへ行ってしまったのか? 彼らには、われわれと違って、大学教授としての立派な身分と発言権があり、一般マスコミに顔を出すことができ、何冊もの著書を出すことができるというのに、その権力に裏打ちされた「右からの批判」は、なぜ党内に基盤を持っていないのか? いや、実は彼らはそれなりに基盤を持っている。潜在的な「右派」も入れれば、その数は相当なものである。ただ、その「右からの批判者」たちは、現在の不破指導部が自分たちの望む路線を遂行しているかぎり、党内民主主義など無用の長物だと考えているにすぎない。
 右派が言う「民主主義」は、実際には半分以上は偽善である。右派が民主主義に賛成なのは、それが現存秩序を脅かさないかぎりにおいてである。そして、彼らが左派に牙を剥くときには、いつでも真っ先に民主主義が蹂躙される。後房雄教授自身が、その実例である。彼は、1993年の政変の際、左翼知識人の中で最もきっぱりと小選挙区制の導入に賛成した人物である。小選挙区制という最も反動的な選挙制度を支持した人物が、今さら「党内民主主義の不徹底さ」を嘆いてみせるのは、悪い冗談である。彼はなぜ小選挙区制を支持したか? それは、この制度が最も効率的に、左翼少数政党を排除することができるからである。そして、その排除機能を最大限生かして、左翼政党を改良主義政党に「改革」することができるからである。イタリア左翼民主党がその見本であり、後氏のお手本である。そしてイタリア左翼民主党は現在、共産主義再建党を公的政治の世界から追い出すために、もっと徹底した小選挙区制を導入しようとしている。これらの右派たちは、支配階級と右翼勢力には寛容と友情と民主主義を説き、左に向かっては排除の論理を振り回す。これが彼らの「民主主義」である。
 そしてもちろんのこと、わが不破指導部も、このような意味での「民主主義」に大賛成である。不破指導部は、個々の党員の異論発表を新規約で念入りに禁じ、『さざ波通信』に対して「党かく乱者」「党攻撃者」というレッテルを貼り、投稿者を個別に呼び出して「除籍」の脅しをかけながら、右派世論とマスコミと民主党に対しては精一杯の笑顔を振りまいている。
 今回の後教授のコメントは、左派に対する彼の憎悪を余すところなく示している。そのような憎悪は、われわれの望むところでもある。小選挙区制を支持した反動的「左翼」知識人から憎悪されればされるほど、左派の道徳的権威は上がるだけだからだ。イタリアでも日本でも、改良主義とスターリン主義とはますます密接に結びつき、そしてその両者はますます民主主義からも社会主義からも離れていく。これはおそらく必然的な歴史的過程である。そしてこの過程を通じて、社会主義派は再びその民主主義的権威を取り戻すだろう。

2000/11/30  (S・T)

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