何よりもまず、国労大会が何度も中断・延期を余儀なくされるような大きな混乱をつくりだした発端は何かを確認しておかなければならない。
それはまず第一に、国労執行部が国労全体に押しつけようとした「4党合意案」が、「JRに法的責任なし」との立場をとり、ほとんど全面的な屈服の内容になっていたからである。それは、「4党合意案」が偽善的にうたう「人道的解決」を可能にするどころか、それさえも不可能にするものでしかない。事実、JR各社や政府側は、「4党合意案」受け入れが確定した時点で、さっそく、「JRに法的責任がないことが認められたのだから、職場復帰を実現する必要はない。多額の和解金を払う義務もない」などと言い出している。内部の有力な反対を暴力的に押さえつけてまで敵側に屈服した相手に、わざわざ慈悲をかけてやる必要もないというわけである。
第二に、そのようなひどい内容の「4党合意案」を、よりにもよって、争議の当事者である国労闘争団とのいかなる事前の相談もなく、当事者の頭越しに、国労執行部が受け入れを即日承認したことである。これは、『朝日新聞』のようなブルジョア・マスコミですら、「禁じ手」であると批判せざるをえないような暴挙であった。争議はあくまでも、解雇ないし不当労働行為を行なわれた当事者の闘いである。所属組合やあるいは支援者は、その闘争を支え、連帯し、ともに盛り上げていくことはできるが、争議を継続するのか、和解するのか、やむなく中止するのかの最終的決定権は、当事者自身に委ねられなければならない。にもかかわらず、国労執行部は、あたかも、争議の継続ないし和解を決定する権限が自分たちにあるかのように振る舞った。これは、14年間の闘争を自らの人生をもって遂行してきた闘争団の人々に対する最大限の侮辱である。
1月27日の続開大会当日、機動隊に守られた会場周辺を取り囲んだ闘争団メンバーおよび支援者たち(その中には、有志で参加した少数の共産党員もいた)は、大雪の中、「他人の人生を勝手に決めるな!」というシュプレヒコールを繰り返したが、その言葉はまさに、この問題の本質をつくものであった。
今回の「4党合意案」をめぐる混乱について論じる場合、以上のことは最低限ふまえていなければならない。