(2)総括の欠落と観念論の横行
次に驚かされるのは、いわゆる「総括」部分の欠落である。より正確には、民青の大会文書には、毎回1ヶ所だけ総括部分があり、それは必ず以下のような三段論法がお決まりのパターンとなっている。
A)「成功事例」の提示
B)「成功」がまだ部分的である
C)成功の教訓を全体にひろげよう
たとえば、25,26大会では次のようにまとめられていた。
「前進を開始している班に共通する5つの教訓」((1)徹底した学習、(2)全青年を対象にした要求実現運動、(3)拡大目標をふくめた班活動プランの作成、(4)班会議の定例化、(5)全員での役割分担と班指導部の確立)をあきらかにしました。すべての班が「5つの教訓」にそってひきつづき活動の改善をすすめましょう」
――(「26回大会決議」;98年)――
この「5つの教訓」自体、きまり文句にすぎず無内容である。しかし昨年の27回大会では、これがさらにあやふやな内容になった(「班会議の定例化」「指導部の確立」が削除)。
「生きいきと活動し同盟拡大で前進している班には、次のような3つの教訓があります。
第1に、「青年の要求あるところ民青同盟の活動あり」という立場で要求実現の運動にとりくんでいることです。(中略)
第2に、学習・教育をつよめ、同盟員の成長と班指導部の確立をはかっていることです。(中略)
第3に、同盟員と機関紙の拡大に楽しく意欲的にとりくんでいることです。民青同盟の側から壁をつくらず、足をふみだしています。新しい仲間がふえることが、さらに班に活力をあたえています。
この教訓に学び、すべての班ができるところから足をふみだすようにしましょう」
――(「27回大会決議」;99年)――
しかし、総括の形骸化はこの水準にとどまらなかった。今回の28回大会の総括部分はついに、以下のようなものになった!
「生きいきとした活動をくりひろげている班には、次のような共通点があります。
第1に、いま、青年の要求がどの分野でも切実になっていることをつかみ、青年を信頼してはたらきかければこたえてくれることに確信をもっていることです。(中略)
第2に、職場、地域、学園の青年の要求や関心にこたえる班の役割を自覚し、要求実現や学ぶ活動にとりくむ班活動プランをつくり、一つひとつ実践して、班の魅力を輝かせていることです。
第3に、一人ひとりの同盟員を大切にし、あたたかい人間関係をきずく努力をはらっていることです」
――(「28回大会決議」;2000年11月)――
ここにいたっては、もはや「観念論の世界」である。なぜ、青年を「信頼」して、働きかけをおこなうことに「確信」がもてないのか? その物理的・実践的な原因や障害は何なのか? なぜ、ひとりひとりの同盟員が大切にされず、大量の未結集者を再生産しているのか、その現状には、どのような具体的要因が作用しているのか? このような問いに正面から立ち向かうことなく、精神主義的説教によって事態の打開をはかろうとする態度は、民主的組織の基本的要件さえ疑わしいものにしている。