まずもって、この論文全体を読み通して疑問に思うのが、かつての社会党の「非武装中立」論に対する評価がまったく見当たらないことである。共産党は、現綱領確定以来、60年代、70年代、80年代を通して、一貫して「中立自衛」の立場であった。その内実はもちろん、時期によってかなり異なるし、とくに民主連合政府綱領の確定以前と以後は大きく異なる。第12回党大会で決定された民主連合政府綱領の提案においては、社会党との連合が想定されていたこともあって、自衛隊を解消し、憲法9条の完全実施を行なうことが想定されていた。しかし、人民の民主主義革命政府や社会主義政府の段階では、「非武装」状態は想定されていなかった。あくまでも、「自衛」が基本政策であった。80年代になると、民主的であれ何であれ、「軍隊」を持つことに対する肯定的言及はほとんど見られなくなるが、基本政策はなおも「中立自衛」であった。1994年の第20回党大会において、はじめて大会決定として、将来にわたって憲法9条を堅持することが高らかにうたわれるようになったのである。
この過程を振り返るならば、明らかに、50~60年代から「非武装中立」を掲げていた社会党の方が、この面では先駆的であったということになる。社会党が完全に「非武装中立」を投げ捨て、自衛隊容認に踏み切ってから、共産党は、十分な党内議論を経ることなく、いわば社会党のかつての基本政策をこっそり横取りする形で、憲法9条の堅持路線を確定した。
上田耕一郎氏は、この論文で、憲法9条の普遍的意義を強調するさまざまな学者の文献を盛んに引用しているが、日本におけるそうした護憲論の蓄積は、何よりも社会党および社会党系の学者に負っている。そうした運動と理論の蓄積なしには、共産党系の学者の憲法9条擁護論も不十分なものに終わったであろう。政治的・学問的良心を持った人間なら、この方面での社会党の歴史的貢献を正当に認めないわけにはいかない。だが、上田氏のこの論文には、そのような痕跡はまったく見当たらない。かろうじて、1950年代における社会党と総評の「平和4原則」に一言言及されているだけである(『経済』2月号、85頁)。
ところで、共産党による社会党の政策の横取りは、「非武装中立」だけではない。第22回党大会における自衛隊の段階解消政策も、80年代の右傾化しつつあった社会党からの剽窃であった。言ってみれば、共産党は、1994年の第20回党大会から2000年の第22回党大会までの3つの大会で、50~60年代の社会党政策から80年代の社会党政策に至るまでを、一気にホップ・ステップ・ジャンプしていったのである。残るは、90年代における社会党政策、すなわち自衛隊そのものの容認だけである。