第22回党大会決議と上田論文

2、憲法9条は「常備軍」のみを禁止しているのか?

 上田耕一郎氏のこの論文は、憲法9条を解釈するさい、9条が常備軍のみを禁止しているという立場を証明抜きの大前提としている。彼は、憲法9条が「すべての戦力」を禁止しているのか、それとも「常備軍」という特殊な戦力のみを禁止しているのかという、問題すら設定していない。彼はただ、第22回党大会決議の第3章の一節――「『陸海空軍その他の戦力を保持しない』として一切の常備軍を持つことを禁止している」――を引用しているだけである。しかし、はたして、憲法9条は常備軍だけを禁止しているのか?
 憲法学界の常識はもちろん、憲法9条が常備軍のみならず文字通り「あらゆる戦力」の保持を禁止しているとみなしている。まず第1に、憲法9条の条文自体が「交戦権」そのものを禁止するとともに、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」となっており、「戦力」にあたるものは何であれ禁止されているとみなすべきである(積極的否定)。第2に、もし憲法が常備軍以外の戦力(「臨時の戦力」や「民兵」)を認めているのだとしたら、その種の規定が憲法のどこかに書かれていなければならない。だが、そのような規定は、憲法のどこにも、一行たりとも書かれていない(消極的否定)。第3に、憲法の前文は、日本の安全を、臨時であれ何であれ何らかの戦力や軍事によって守るのではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べている(理念的否定)。
 以上の3点からして、日本国憲法に即するなら、憲法9条が、戦力の特定のあり方(常備軍)を禁止しているだけでなく、あらゆる戦力の保持を、少なくとも国家の行為としては禁止している(他国の軍隊を自国領土に置くことも含めて)とみなすのが妥当であり、それ以外の解釈は基本的にありえない。もし、上田耕一郎氏が、以上のような解釈を峻拒し、日本国憲法が常備軍のみを禁止していると解釈するのなら、せめてそのような解釈の成り立つわけを積極的に提示するべきだろう。
 ところが、上田耕一郎氏がやっているのはそれとはむしろ反対のことである。上田氏は、常備軍のみを禁止しているコスタリカ憲法を持ち出して、それが「軍隊の完全禁止とはなっていない」と述べている(『経済』3月号、80頁)。コスタリカ憲法は、その12条で「(1)常設制度としての軍隊は、廃止される。(2)警備および公共秩序の維持のためには、必要な警察隊を置く。(3)大陸協定によるか、もしくは国の防衛のためにのみ、軍隊を組織できる」としており、「常設制度としての軍隊」(すなわち常備軍)を廃止しつつ、国の防衛のために緊急に必要になった場合には「軍隊を組織できる」としている。つまり、コスタリカ憲法は、まさに不破哲三流の「臨時戦力容認憲法」なのである。このコスタリカ憲法と日本国憲法の違いは、保持しうる軍隊の性格に限定して言えば、前者が常備軍のみを禁止する構造を持つのに対し、後者が、常備軍のみならずあらゆる戦力の保持を禁止するという構造を持っていることにある。このことを上田氏は、どう説明するのか?
 また上田氏は、コスタリカ憲法と日本国憲法との違いを研究した澤野義一氏の著作『非武装中立と平和保障――憲法九条の国際化に向けて』を肯定的に引用しているが、それもきわめてご都合主義的なものである。たとえば、澤野氏の著書の次のような重要部分は完全に無視している。

ちなみに、中米のコスタリカは1949年憲法以来常備軍を禁止しているが、必要な場合には「武力による自衛権」の発動の余地を残し、「交戦権」も明文で放棄しているわけではないから、同憲法が規定する「警察隊」による「自衛権」の発動も違憲といえないであろう。しかし、コスタリカ憲法以上に徹底した非武装憲法の規範構造をもつ日本国憲法の下では、警察力や警察予備隊的な武装力といえども、「自衛権」の手段として使用することは違憲である。(澤野義一『非武装中立と平和保障――憲法九条の国際化に向けて』、青木書店、137~138頁)

 ここではっきりと澤野氏が述べているように、コスタリカ憲法こそ、日本国憲法と違って、常備軍を禁止した憲法なのである。この部分について上田氏はどう答えるのか?
 ところで、憲法9条が常備軍のみを禁止しているという解釈は、共産党自身の過去の憲法解釈に照らしても矛盾している。たとえば、第20回党大会決議は次のように述べている。

 わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障は、中立日本の主権の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に、急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。憲法9条にしるされたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである。

 ここではっきりと、憲法9条が「あらゆる戦力」を放棄していることが明示されている(なお、この文章では「警察力」による自衛が容認されており、澤野氏の解釈からすると、これも憲法違反となる。現在では、護憲派の憲法学者はしだいにこの立場を採用するようになってきている)。この当然の解釈は、次の第21回党大会において、ひそかに「恒常的戦力」の禁止にすりかえられ、第22回党大会では「常備軍」の禁止にさらに後退させられた。このような重大な「変化」について、上田耕一郎氏は一言も語らない。党大会においてもまったく語られなかった。憲法9条の解釈という重大問題が、何の説明もなしに、3つの大会でまったく異なっているというのはどういうことだろうか? これが政府の答弁なら、野党によってただちに過去との重大な矛盾が指摘され、政治上の大問題になっただろう。しかし、分派が禁止され、主流派独裁のわが党では、指導部がこうした重大問題において見解をころころ変えようとも、まったく追及されることはないのである。自民党が共産党の党内体制をうらやむのも無理はない。

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