雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―1>ラディカルなアプローチと下からの運動で小泉政権と対決を

 すでにトピックスでも紹介したように、小泉新政権は、前代未聞の高支持率を確保し、この高支持率を背景に、自民党の懸案であった集団的自衛権の容認や改憲、大胆な新自由主義政策を実行しようとしている。このとてつもない高支持率は、主として、保守系もリベラル系も一体になったマスコミの大キャンペーンのおかげであるが、それだけに還元することはできない。その原因として、第1に、これまでの森政権があまりにもひどすぎたこと、とりわけあの森首相のどうしようもなく貧困でお粗末なキャラクターに対する全国民的不満が、小泉首相の颯爽たるスタイルにはけ口を見出したこと、第2に、小泉新政権が比較的個性的な人材を集め、派閥の論理だけで頂点にのぼりつめた脂ぎった老人の集まりという歴代内閣のイメージをある程度刷新したこと、第3に、自民党政権に代わる野党勢力、とりわけ第1党たる民主党のあまりの頼りなさが都市中上層の信頼をついには獲得しなかったこと、第4に、政党政治全般に対する不信が、人気のあるポピュリスト的政治家に対する幻想として現象していること、などが挙げられるだろう。同時に、以上のことと裏腹の関係にあるが、下からの大規模な大衆的運動を通じて政治や社会を刷新することに対する絶望感、自民党政権や、民主党中心の新自由主義野党勢力に代わる、現実的なオルタナティヴをつくり出しえていない反体制運動側の無力さなども、率直に指摘しなければならない。
 小泉新政権がやろうとしている諸政策は、いっそうの雇用不安定化(2~3年の有期雇用の本格的導入、終身雇用の破壊など)や、いっそうの規制緩和や民営化路線、大胆な構造改革路線による公務労働者、中小零細業者、農漁民、中小企業労働者の生活破壊と不安定化などをもたらすものであり、それ自体としては、国民の多数派の利益と相反するものである。それにもかかわらず、小泉新政権が、特定の階層を超えてここまでの支持率を確保しているのは、政治的・社会的閉塞感がそこまで深刻化しているからであろう。
 この小泉ブームで最も打撃を受けたのは、言うまでもなく民主党である。自民党政権を新自由主義の立場から批判する政党であった民主党は、小泉政権のもと、自民党自身がそのような新自由主義政策の旗振り役になったことで、その存在意義をいちじるしく引き下げてしまった。新自由主義政策に期待を寄せる大企業と都市の中上層は、いつ政権をとれるかわからない頼りない民主党よりも、すでに政権政党として長期にわたっての伝統と基盤を持っている自民党政権にさっさとくら替えした。新自由主義政策さえ行なわれるなら、それが民主党政権であろうと、自民党政権であろうと、彼らにとってはどちらでもいいからである。
 だが、共産党自身も無傷ではない。新聞報道によると、小泉政権の成立によって、他の野党の存在感が薄まり、逆に共産党の存在意義が高まるのではないかという期待が党幹部の中にあるそうである。その可能性はたしかにあるが、しかし、小泉政権の正体が暴露されるのはおそらく参院選後であり、新しい政策が本格的に実施に移されるときであろう。それ以前は、マスコミをあげての小泉キャンペーンのもとで、共産党支持層までも侵食されるだろう。実際、小泉政権成立直後の世論調査では、共産支持層の5割以上が小泉政権を支持との数字が出ている。
 この現象は、93年の政変時と非常によく似ている。あのときも、伝統的革新層のかなりの部分が一時的に細川政権支持に回った。しかし、今回は、あのときほどは革新層における小泉幻想は強くないように見える。少なくとも、1993年時のように、革新系の知識人が大ぴらに細川政権に期待を寄せるような事態にはなっていない。これは、93年政変時の教訓がそれなりに生かされているからであろう(もっとも、93年政変時に完全に変質した元「左翼」知識人については、そのかぎりではない)。とはいえ、革新支持層の周辺部には、すでに相当の小泉政権幻想が支配的になっている。
 このような状況の中で、共産党はどうするべきだろうか? 現在、共産党および『しんぶん赤旗』は、精力的に小泉政権に対する批判のキャンペーンを展開しており、これは積極的・進歩的意味を持っている。野党第1党である民主党が、小泉政権に対する批判にすっかり及び腰になっている状況のもとで、共産党が政権批判の主導権を野党の中で握っていることは、当然とはいえ、大切なことである。この批判にあたって必要なのは、小泉政権との対決姿勢を鮮明にし、できるだけ争点をはっきりさせることである。小泉政権が大胆な改革(右への)を呼号しているときに、「一歩ずつでも社会をよくする」といった超漸進主義の姿勢を打ち出しているかぎり、選挙でも勝ち目はないだろう。「一歩一歩主義」ではなく、革新的な方向での「大胆さ」こそが必要である。
 また、野党連合政権構想(不破政権論)を決定的に放棄しなければならない。不破議長自身、小泉政権の成立によって一番困っているのは民主党であると、嘲笑的に語っている。民主党が小泉政権との違いを言えないことを正しく指摘している。だがもしそうだとすれば、小泉政権と本質的に違わないような政党とどうして連合政権が組めるのだろうか? 共産党は、森政権のときよりも、小泉政権に対する対決姿勢を強めている。それも当然である。小泉政権は、森政権よりも危険な内閣だからである。だが、森政権よりも危険な内閣と本質的に異ならない野党と、どうしていっしょに政府を構成することができるのか? 小泉政権の成立は、不破政権論の完全な破綻を、何度目かに証明する出来事である。このことを直視すべきである。
 それと同時に、草の根の運動の再構築に今こそ真剣に取り組むべきである。小泉政権が進めようとしている雇用の不安定化、規制緩和と民営化の路線に対し、労働者と市民の下からの運動で対抗しなければならない。小泉政権のポピュリスト的人気のもとで、この闘いは当初は苦戦を強いられるだろうが、長期的には小泉政権は民衆の大多数の利益と衝突しないわけにはいかない。どんな雄弁も、どんなパフォーマンスも、どんな毒舌や歯切れのよさも、この先鋭な対立を克服することはできない。鮮明な旗とラディカルな対案、そして下からの組織された強力な運動があるかぎり、革新運動は不滅である。

2001/5/22  (S・T)

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