都議選の結果と参院選の展望(座談会)

6、参院選の展望(2)

 では、参院選に向けた政策についてはどうか? 2中総で決定された「第19回参議院選挙にあたっての日本共産党の訴えと重点政策」は、全体としてバランスが取れていてなかなかいいという評価は私の周りにはある。ただ、日常的な宣伝では、一番の押し出しは消費税減税になっていて、ポスターやCMでもそこが一番の目玉になっている。

 「消費税減税」は、庶民の暮らしを守る政策として当然必要だと思うが、その政策が中心で参院選が勝てるとはとても思えない。共産党はすでに、昨年の総選挙で、現在の財政赤字のもとでは消費税減税を言うのは無責任だと公言し、それがマスコミでもかなり大きく報道された。このことを多くの有権者は忘れていない。共産党自身が、財政赤字を理由に消費税減税を棚上げしたことは、単に一時的な政策的失態というにとどまらず、共産党周辺の有権者の中に、財政再建こそが最重要課題という意識を植えつけてしまった。これは、小泉改革支持へのイデオロギー的下準備としての役割を果たしたと思う。今さら、消費税減税こそ景気回復の決め手だと宣伝されても、説得力はない。

 それに加えて私が非常に気になるのは、参院選に向けて共産党が出した全戸配布ビラ(6・7月赤旗号外)の内容だ。そこには、例の経済再建の3本柱(消費税減税で景気回復、税金の使い方を公共事業中心から社会保障中心へ、時短をはじめとするルールある経済社会へ)が訴えの中心になっており、いちおう9条護憲も言われているのだが、軍事費削減については一言もない。また、有事立法の企てについても一言もない。これは非常に問題だと思う。

 同感だ。「軍事費削減」は、政策そのものとしては撤回されたわけではないし、「参院選にあたっての重点政策」にも入っているが、かなり前から基本的な押し出しからはずれるようになった。有事立法については「参院選にあたっての重点政策」にも入っていない。
 また、全体として政策的重点が経済に置かれているのは、現在の大不況下では、ある程度仕方がないのかもしれないが、しかしこれは下手すると、「財政再建か景気回復か」という偽りの対立軸に巻き込まれていく危険性がある。すでに、昨年の総選挙で、共産党は、財政赤字を理由に消費税減税を一時的に引っ込めることで、事実上、この対立軸において「財政再建」を優先させた。現在では、「消費税減税で景気回復を」というスローガンを前面に押し出すことで、「景気回復」が優先している。ほんの1年でのこのジグザグは、有権者にとっては非常にわかりにくいというだけでなく、全体を通じて、「財政再建か景気回復か」という枠の中にますます入り込みつつあることを示している。現在の新自由主義的なグローバル資本主義のもとでは、高度経済成長時のような福祉も暮らしも全体として伸びる中での経済成長というのは、基本的に不可能になっている。このことをきちんと理解する必要がある。

 長期的な意味ではそうかもしれないが、当面する政策としては、やはり景気の問題に無関心でいることはできないだろう。私が問題だと思うのは、やはり昨年総選挙で消費税減税を財政再建後に棚上げしたことだ。この政策的ブレは本当に深刻な打撃になった。このことを今なお共産党指導部は反省していない。その反省がないかぎり、共産党がいくら消費税減税を前面に押し出しても、有権者の反応は鈍いだろう。

 しかし、本当に消費税減税をすれば景気が回復するのか、という声もある。実際、5%を3%に引き下げても2ポイントの引き下げだけだ。たとえば、1000円の品に1050円支払っていたのが1030円の支払いになったからといって、消費が顕著に伸びるのだろうか。

 正直な話、それ単独なら、あまり伸びないだろう。景気回復を言うなら、せめて消費税廃止ぐらいは言わないとインパクトはない。3%への減税は、たとえ実現しても、景気回復効果はあまりなく、ただ税収が減るということになりかねない。だいたい、現在はデフレで、2%ぐらい物価はすでに下がっているが、景気は回復していない。

 共産党は、現在のデフレはリストラを伴うものであり、消費税減税とはまったく性質が異なると説明している。

 それはその通りだが、それならば、消費税減税と同時に、「全国一律の最低賃金制の導入」をもっと強調すべきだろう。これは、「参院選にあたっての訴えと重点政策」に一応入っているのだが、一言あるだけで、ビラなどでもまったく出てこない。時給を最低でも1000円以上にすれば、底辺労働者の消費力を底上げするだけでなく、不安定雇用にさらされている青年と女性労働者に訴えるだろうし、デフレの一方で進んでいる雇用破壊を押しとどめることになる。

 しかし、もしかしたら国民の多くは、ただちに効果を発揮するような景気対策というものがすでに存在しないのではないか、と感じ始めていて、こうなったら少々の「痛み」があっても抜本的な「構造改革」しかないという流れに巻き込まれていったのではないか。

 おそらく社会の上層と中下層とでは、小泉改革への期待の動機は異なるだろう。上層では、中下層の犠牲のもとに自分たちが本当に金持ちになれる社会を夢見ている。どこかの週刊誌で最近、名うての新自由主義系の評論家が対談していたが、本当の金持ちになれる社会を作ることこそが経済を活性化させると謳っていた。これこそ、レーガノミックスとサッチャーリズムの経済哲学であり、露骨な金持ち政治、階層政治の表明だ。『弱者という呪縛』という著作まで出ている。これは、強者による露骨な弱者バッシングで、嫌悪感なしには読めない。それに対して、中下層は、あまりに長引く不況と圧倒的な財政赤字に心身ともに押しつぶされて、本当に景気が回復するなら毒をも食らう気持ちになりつつある。彼らは、何かをやってくれそうな小泉首相の唱える、何か成果が上がりそうな「構造改革」に、ワラをもすがる気持ちですがりついている。これが、本来の階層的基盤を越えて小泉改革に支持が集まっている基本要因だろう。このことに、さらにマスコミ(とくにテレビ)の礼賛報道の垂れ流しと、小泉や田中真紀子らの個人的な「魅力」、共産党指導部の路線的誤りなどが重なっている。

 思うに、中下層の中でも、「痛み」についての実感がまだ乏しいことも原因していると思う。朝日のアンケートで、「痛みを伴っても改革をすべきだ」という意見への賛成が6割ほどあったが、その場合、「痛み」についてあまり具体的に実感していないと思う。興味深かったのは、この調査では男女に明確な差があったことだ。男の回答者のほうが、女の回答者よりも10ポイントも多く「痛みを伴っても改革を断行すべきだ」と回答している。家計を切り盛りしている女性の方が「痛み」をより実感をもって認識できるのだろう。

 それと、「痛み」を受けるのは、実は自分以外の誰かだと思っている可能性もある。たとえば、民間労働者なら、「痛み」を主に受けるのは官僚や公務員や農民だと思っているかもしれないし、公務員なら福祉受給者や農民だと思っているかもしれない。「構造改革」路線とは、社会的に弱い立場の諸階層を相互に対立させ、憎悪させ、相互に攻撃させ、そうすることで、真の強者がより大きな力と富を獲得する戦略だとも言える。

 つまり、ある意味で、典型的な「分割統治」戦略なわけだ。そうした中で、共産党が、小泉改革にきっぱり反対の姿勢をとっていることは重要な意味を持っているのではないか。それは積極的に評価したい。

 もちろんだ。その点で重要なのは、今後二度とブレないこと、そして過去のブレをきっぱりと清算し、その誤りを正直に認めることだ。また、小泉改革に対する生活防衛を言うだけでなく、金持ちと多国籍企業に対する攻勢的政策を提示する必要があるのではないか。マスコミをはじめとする現在の新自由主義勢力は、官僚と公務員と自営業者と農民と福祉受給者をスケープゴートにしてバッシングしているが、そのバッシング対象を金持ちと多国籍企業に切り替えるイデオロギー闘争が必要だ。トヨタは現在の大不況のもとでも巨額の経常利益を上げている。トヨタやソニーやJTといった多国籍企業の悪辣ぶりをもっと暴露する必要がある。海外生産の比率に応じて課税する多国籍企業税なども考えてよい。その点で気になるのは、「参院選にあたっての重点政策」には多国籍企業に対する規制政策がまったくなく、党のビラなどでは、敵が「大銀行とゼネコン」に絞られていることだ。

 「大銀行とゼネコン」というのは、マスコミでもある程度たたかれているので、ターゲットにしやすいのだろう。

 しかし、それでは、現在の多国籍化した資本主義のもとで生じている構造不況の核心になかなか迫れない。国民の個人消費が冷えているので不況が長引いている、というだけでは説得力がない。党の経済政策はどうも、「日本型開発主義」批判に重点を置きがちで、その点で、民主党との対立点が曖昧になりがちだ。小泉改革に対する評価も、二中総の志位報告では、「自民党政治の古い危険な政治をいっそう強引にすすめるもの」となっており、「参議院選挙にあたっての重点政策」でも「小泉政権の経済運営は、破たんした従来型自民党政治そのもの」というものだ。これは、基本的に橋本内閣当時の構造改革路線を念頭に置いているのだが、この橋本内閣の改革路線そのものが、従来型の自民党政治を右から乗り越えようとするものだったことが完全に見落とされている。

 この問題は論じはじめれば、それ自体として大テーマになるので、別の機会に残しておきましょう。

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