A それでは最後に、今回の都議選結果を踏まえた全体としての政治的総括をお願いします。
B 今日改めて思うことは、やはり1998年参院選以後の共産党の路線のダメージがいま本格的に効いてきているということだ。1998年の参院選挙のとき、民主党と共産党の両方が躍進した。このことの持つ意味は大きい。よく共産党を弁護するために、「特定の政党がブームになったときは共産党はそのあおりを受けて敗北する」としたり顔で説明する人がいるが、それはまったく皮相な見方だ。1998年の参院選では民主党ブームであったにもかかわらず、共産党もきちんと躍進した。このとき、いわばはじめて、反自民の票が二極に分かれる最初の本格的な徴候を示した。すなわち、新自由主義路線(現在の小泉路線)の立場からの反自民票と、福祉と平和の立場からの反自民票である。この二つの傾向は、歴史上、しばしばいっしょくたにされて、その時々のブームの政党に流れた。1989年の土井社会党しかり、1993年の新党ブームしかり、だ。
しかし、1998年の参院選は、そうした傾向と根本的に異なるものだった。このときはじめて、本来の歴史的対立が票の出方として見えるようになった。もっとも、その最初の徴候は、1995年の参院選の時にも見られた。このとき、新進党が躍進するとともに、共産党もそれなりに善戦した。しかし、このときの共産党の前進は微々たるものだった。反自民票は圧倒的に新進党に流れた。しかし、98年参院選は95年の時とは比べものにならない。東京では比例区で18・9%もの得票率を獲得している。今回の都議選より3・3ポイントも多い。社民党、新社会党という競争相手がいるのに、この高得票率である。
このときの共産党の任務は、この徴候的現われを深化させ、先鋭化させ、自民党を中心とした第1極(新自由主義と利権政治の連合体)と、民主党・自由党を中心とした第2極(新自由主義)に対抗する「護憲と革新の第3極」を本格的に構築することだった。しかし、党指導部がやったのはそれと正反対のことだ。躍進に目がくらみ、政権入り幻想に浸り、第2極に露骨にすりよって、「与党対野党」という偽りの対立軸の構築に血道を上げた。こうして、せっかく分化しつつあった反自民票を再びシャッフルし、反自民票の二つの傾向間にある境界線を再び曖昧にしてしまった。現在の小泉ブームを作り出した一つの要因は、まさにこうした共産党指導部の路線にある。
C それはまったく同感だが、ただ1998年以前のような「総与党化」批判だけでは、独善的だと批判されかねないし、実際にそう批判された。
B もちろん、漫然と「総与党化批判」を続けていればいいということではない。私としては、戦略的・戦術的に、98年以前の段階とそれ以降とでは、たしかに新しいアプローチが必要だったと思っている。しかしそれは、共産党指導部がやったのとはまったく違う。1998年参院選までは、とりあえず、総与党化状況の中で、しっかりと革新の旗を守り、全体の中で共産党が大きく浮上することが第一の課題だった。しかし、98年参院選でしっかりとした地歩を築いてからは、今度は、共産党一党の前進を目指すだけでなく、革新野党の中の揺るぎないトップになったことを踏まえて、本格的な第3極づくりに着手すべきだった。具体的には、新社会党との本格的な連携を進めて、次の総選挙(2000年)を展望して、小選挙区での候補者調整を行ない、いくつかの選挙区では大胆に新社会党候補者を推薦することだ。これによって、共産党を中心とする同心円的陣地を越えた、「護憲と革新」の陣地を築くことができた。それと当時に、この共産党と新社会党のブロックを中軸に、無党派層に大胆に切り込みつつ、社民党を総与党化の枠から離脱させ、第3極へと誘導するべきだった。つまり、共産党一党の浮上から、新社会党、社民党、無党派層までを視野に収めた新しいヘゲモニー戦略が必要だった。これが、98年以前と以後とで異なる戦略的・戦術的要素だ。
もしこれを系統的にやっていたら、事態の様相はまったく変わっていたと思う。共産党は、左派世論の中で揺るぎない信頼を勝ち得ていただろう。革新の陣地は固い地盤を築いていただろうし、石原=小泉人気にもびくともしなかったろう。だが共産党指導部は、新社会党を無視して、民主党にすりより、1998年までの頑固路線によって獲得した信頼と権威をこの3年間でほとんど失ってしまった。再び反自民票は混迷しだし、今では小泉改革へとなだれ込みつつある。この歴史的罪は大きい。
C なるほど。でも今からでは無理なのだろうか。すでに指摘されたように、最近では『しんぶん赤旗』も民主党批判を強めている。
B もちろん、絶対に無理ということではないだろう。しかし、それに着手するとしても、98年段階よりはるかに不利な状況のもとで着手することになる。信頼を失うのは簡単だが、一度失った信頼を取り返すのは、その10倍も難しい。しかも、現在の党指導部は、いかなる意味でも反省したりするような指導部ではない。彼らはどこまでも無謬をきどり、責任を他者に転嫁する。指導部が変わらないかぎり、誰も共産党が本当に変わったとは思わないだろう。
A あまり景気のいい話はありませんが、意気消沈せず、しかるべき指導部批判を行ないつつ、今後とも、地道に下からの運動に取り組んでいきましょう。