小泉内閣の本質と2中総の評価

2、小泉内閣をどう見るか(1)

 次に、小泉内閣をどう見るかという(2)の論点だが、それに関して、志位報告は次のように述べている。

小泉首相のスタイルや手法には「新味」があっても、その政治的な実態、内実は、自民党政治の古い危険な政治をいっそう強引にすすめるものであることは、すでに国会論戦でも明らかになっていると思います。

 小泉の新自由主義的・軍事大国主義的改革路線が、まったく無から生じたわけではなく、これまでの自民党政治の中から生じたという意味では、もちろん、そこには自民党政治の継続をも見ることができる。すでに述べたように、小泉の「構造改革」路線は、形式的には、96年に橋本内閣が断行しようとしながら98年の参院選の大敗北で一時的に挫折した路線の継続である。しかし、問題は、橋本内閣の「6大改革」路線そのものが、旧来の自民党の国民主義的統合政治をかなりの程度打破しようとするものであったという点にある。この点について詳しくは、渡辺治氏や後藤道夫氏の諸議論を参考にしてほしい。
 この点を正しく見ておかないと、小泉内閣に対する過小評価につながる。もし本当に、小泉内閣が旧来の自民党政治を一歩も出ないものならば、たしかに小泉人気はバブルに終り、森政権末期の状態へと急速に落ちていくだろう。小泉個人のどんな人気もそのような凋落を食い止めることはできないだろう。しかし、小泉政権が、マスコミの全面的なバックアップを受けて、本気になって新自由主義政策に取り組み、いわゆる自民党内守旧派の抵抗を打ち破って、郵政三事業の民営化をはじめとする反動的「構造改革」を断行したならば、上層は以前にもまして熱狂的に小泉内閣を支持するだろうし、マスコミを通じてそれは中層にも伝導し、かなりの程度、中層をもその熱狂に巻き込むことができるだろう。
 森政権末期のあの凋落ぶりは、上層、中層、下層のいずれにもそっぽを向かれた結果である。上層は、新自由主義が弱いとして森を見限り、下層は、福祉切り捨てである、大企業べったりであるとして森を見限り、中層は、両者の観点がない交ぜになりながら、いずれにせよ森を見限った。大企業とアメリカの利益という大枠を守りつつも、その範囲でいずれの層をもそれなりに満足させようとする旧来型の自民党政治(国民主義的統合政治)はとっくに破綻していた。課題は、その足場をもっと大胆に上層の方へとシフトさせ、新自由主義政策を断行することであった。小渕内閣も森内閣も、それなりに足場を上層へとシフトさせ、新自由主義政策を粛々と遂行していたのだが(金持ち減税! 医療改悪!)、上層にとっては、それはあまりにも慎重であり、また大規模公共事業という麻薬を打ちすぎであると感じられた。
 また、そうした政策を推進する首相自身の持つ政治的イメージもまた、上層にとっては不満の源泉だった。小渕も森も、その経歴からしても、またその個性からしても、骨の髄まで旧来型の利権政治屋であり、派閥政治の申し子である。政治という空間においては、シンボル性というものが独自の意味を持つ。いかに新自由主義政策を遂行しようとも、利権政治と派閥政治を凝縮したような個性が全体を統括しているかぎり、新自由主義派の不満はなくならない。新しい政策には、新しいシンボルが必要なのである。そのシンボルを与えたものこそ、小泉純一郎である。小泉は、総裁選直前まで森派の会長であり、森が例の「日本は天皇中心の神の国」発言をした神道政治連盟国会議員懇談会の副会長であったにもかかわらず、マスコミはそれをほとんどまったく問題にしようとしなかった。95年の総裁選の時に郵政事業民営化を先駆的にぶち上げた実績、その明確な新自由主義的姿勢、その都会的個性とセンス、厚相時代の福祉切り捨ての大胆さ、等々は、旧森派の会長という経歴をあっさり飲み込んだ。大手マスコミを代弁者とする都市上層は、さっそうとした小泉の姿のうちに、自分たちの階層の政治的人格化を見出した。社民党の辻元清美は、小泉のことを、「オペラを愛する中曽根康弘」と表現したが、これはなかなか言いえて妙である。「オペラを愛する」のか「軍歌を愛する」のかは、一見、どうでもいいささいな違いのように見えるが、政治的シンボル性という水準においては決定的な意味を持つ。軍歌を愛する復古的人物に、都市の中上層は自らの人格的代表者を見出すことはできない。小泉の洗練された都会的センス、はっきりとした物言い、堂々とした物腰、端麗な容姿といった要素はいずれも、政治的シンボルとしては絶対に欠かせないものなのである。
 都市の高学歴・高所得階層は、かつて、日本新党の細川にそのような政治的人格化を見出した。しかし、これはあっけないほど短命に終った。次に彼らは、菅直人にそれを見出した。しかし、結局、菅率いる民主党には、政権獲得能力はなかった。鳩山由紀夫は、そのような政治的人格化としてはあまりにも線が細く、「公家的」だった。小沢一郎は、そのような政治的人格化としてはあまりにもあくが強く、「悪代官的」だった。だが、彼らはついに、小泉のうちに自分たちの階層の政治的人格化、政治的シンボルを見出した。この意味で、小泉政権は、たとえ政策的には大きな違いはなくても、明らかに小渕政権や森政権とは根本的に位相を異にする。小渕・森政権と小泉政権との間には明確な境界が存在する。また、小泉政権は、形式的には橋本政権を受け継ぐ政権であるが、しかし政治的シンボル性という観点から見れば、やはり両者の間には断絶がある。地方暴力団の親分のようなポマード頭の橋本龍太郎には、いかなる意味でも、都市中上層にとっての政治的シンボル性はない。小泉政権は、何よりも細川政権の後継者なのであり、しかも自民党という巨大軍団をしたがえたそれなのである。
 こうして、小泉政権に対するマスコミの熱狂的歓迎が生じ、それを通じて大衆的熱狂が生じた。そうした期待を一身に背負って首相になった小泉は、自分に課せられた課題というものを十分に自覚しているはずである。中下層の「痛み」を恐れず、上層と大企業のための「改革」を断行すること、これが小泉内閣のブルジョア的な歴史的使命である。
 したがって、小泉内閣に対するいかなる過小評価も危険である。実際には、細川政権の時のように短命に終るかもしれない。しかし、小泉政権は、細川政権と違って、強固な組織と伝統的支配網を日本全国津々浦々に張り巡らせている数十年におよぶ権力政党である自民党を基盤にしている。これは、党内「守旧派」(利益政治派)の抵抗を受ける可能性というマイナス要因を内包しているが、しかし、その抜群の安定性と抜群の資金力と権力政治のノウハウと財界・アメリカの全面的バックアップという圧倒的なプラス要因でもある。
 そもそも日本の都市中上層は、アメリカのレーガン政権を支えたような独自の組織力と政治力を持たないという構造的脆弱さを伝統的に抱えている。日本独特の企業社会的統合は、中上層の経済力と政治力とを分離した。彼らの政治的組織性は、かろうじてマスコミによって代替されている。だがマスコミは、その大宣伝を通じて、選挙で有権者に新自由主義派への一票を投じさせることはできても、日常的な政治の分野で新自由主義政党を支えることもできないし、日常的な草の根の大衆的組織化を遂行することもできない。そのため、彼らは、自分たちが成立させた細川政権を長期にわたって維持することさえできなかった。彼らは、自分たちの利益政党であるはずの新進党を政権に就けることができなかっただけでなく、それを政党として維持することさえできなかった。さらにまた、彼らは、民主党をも政権に就かせることができないでいる。彼らは、何度も自民党の枠を越えた政党を通じて自分たちの階層政治を実現しようとしたが、常にそれは挫折するか、中途半端に終ってきた。彼らは、ついには自分たちが克服しようとした自民党を受け入れ、自民党によって自分たちの新自由主義的階層政治を実現することにしたのである。そして、それはもちろん、自民党政治の枠そのものを内部から突破することを意味した。

※注 ちなみに、この新進党には、新自由主義政党としては異質な公明党が加わっていたが、これも日本の都市中上層の政治的弱さを示している。彼らは、自分たちに欠けている政治的組織性を公明党=創価学会でもって代替しようとしたのである。だがこれは、新自由主義政策への足かせとなっただけでなく、公明党を嫌悪する有権者層(市民派と宗教右派)の反発を招いた。しかも、公明党自身、自立性を保持しようとし、新進党に溶け込もうとしなかった。かくして政権に就けなかった新進党は、またたくまに求心力を失い、寄せ集め政党としても維持できなくなり、あっさり解体した。

 こうして、回りまわって、ついに小泉「新自由主義的」自民党政権に行き着いたのである。大手マスコミは、小泉を本気で支え、自民党内の「抵抗勢力」を徹底的にバッシングしようと思っており、実際にそうしている。ちなみに、彼らの田中真紀子バッシングは、男以上に活躍する女に対する男性メディアの性差別的嫉妬のみならず、真紀子が利権政治の本家本元である田中角栄の娘であることに対する警戒心、その親中国的態度に対する反発(とくに文春、新潮系)などがないまぜになって生じている。その一方で、庶民階層による田中真紀子支持は強固であり、その分、エリート層の苛立ちは増していると言えるだろう。

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