小泉内閣の本質と2中総の評価

3、小泉内閣をどう見るか(2)

 ところで、ここで言っておかなければならないが、以上述べたことは、自民党が言葉の本来の意味での新自由主義政党に脱皮したということではない。この点では、95年参院選の敗北と96年の橋本内閣の成立によって自民党が新自由主義政党に転換したという渡辺治氏の判断(「96年体制」論)はいささか勇み足である。そうではなく、利益誘導、利権政治、歪んだ形の弱者保護の面をなお強固にあわせもった自民党によって新自由主義政策を代行してもらわざるをえなかったという点に、日本における都市中上層の構造的な政治的脆弱さが表現されているのである。
 ある政党が新自由主義政策をやるからといって、ただちにその党が新自由主義政党になるわけではない。公明党は、自公保政権の一翼として、新自由主義政策にことごとく賛成してきたが、だからといって、この党が新自由主義政党にならないのと同じである。より重大なのはその党が立脚する基盤である。公明党は、都市の自営業者層や庶民階層に依拠しており、したがって、新自由主義政党になりえない。同じく、自民党も、今なお都市自営業者層、農村の農漁民層に依拠している。自民党はあくまでも新自由主義分派と利益政治分派の連合党である。その重心はしだいに後者から前者に移りつつあるが、農村に手厚く配分された議席(1票の格差)、農民組織および都市自営業者組織に取って代わる都市中上層組織の不在といった条件がなくならないかぎり、この連合的性格はおそらくなお長期にわたって維持されるだろう。
 その点は小泉内閣下の自民党でも同じである。小泉自身は強烈に新自由主義政策を追求する人物であるが、彼個人の力や彼の抜擢した童顔の経済学者の力だけで政党全体の性格が変わるわけではない。実際、参院選における自民党の追加公約を見ても、新自由主義改革の目玉である郵政三事業の民営化については、「民営化」という表現が避けられている。また、最近、一つの焦点になりつつある道路特定財源の廃止についても、「道路」という言葉が削られている(7月4日付『朝日新聞』)。もっとも、この二つの政策の意味は同じではない。郵政三事業の民営化は、弱者切り捨て、労働運動弾圧、大企業奉仕といった性格をもつ新自由主義政策の最たるものであり、われわれはこれに断固反対である。他方、道路特定財源の廃止は、革新勢力や市民運動が以前から主張してきたものであり、今回の共産党の参院政策でも取り上げられている。このように、この二つの政策の意味合いは正反対である。とはいえ、どちらも「構造改革」の目玉とされてきたものである。この面での後退は、自民党内の抵抗を物語るだけでなく、それが依拠する階層に対する配慮をも表現している。
 この点で、もう一つ興味深い情報がある。小泉は、かなりの地方票でもって総裁に選ばれた。その地方票には、小泉の狙う「構造改革」によって切り捨てられる地方も数多く存在する。たとえば地方交付金の削減や地方公共事業の縮小は、彼らにとって大ダメージである。にもかかわらず、彼らは、小泉が何かいいことをやってくれるだろうと期待して、小泉に投票した。しかし、構造改革の中身が明らかになるにつれて、地方の自民党から憂慮の声が出はじめている。6月14日付の朝日新聞夕刊は、そうした声の一部を伝えている。「小泉さんに裏切られた」「『痛み』直撃恐れる地方」という見出しのその記事を以下に引用しよう。

 「小泉さんに裏切られた気分だ」
 宮城県石巻市。商工会議所会頭で、土建会社を営む菊田昭さん(74)は不満げだ。水産業が低迷し、公共事業が地域経済を支える。小泉純一郎首相の「改革」で公共事業や地方交付税が削減されれば、「ここらの土建会社の半分はつぶれる」。
 4月の自民党総裁選。菊田さんは「何か変えてくれそうだ」と、小泉氏に投票した。県内の「小泉票」は7割を超えた。それなのに……。
 三陸自動車道は石巻以北は工事が進んでいない。道路特定財源を見直して道路予算が減れば全線開通が遠のく。予定地の自治体は「自動車道の早期実現を」と書いた2メートル弱のトラック用ステッカーも発注した。各地の魚市場などに、まもなくお目見えするはずだ。
 13日、首相官邸。宮城県の浅野史郎知事は北海道・東北の知事を代表して、官房副長官に「道路特定財源の堅持」を要望した。「これは都市エゴと地方エゴの戦いだ」。
 小泉改革の実像は鮮明ではないが、輪郭はぼんやりと浮かんできた。現場では不安と期待が交錯している。

 この記事の目的はもちろん、小泉改革に抵抗する地方の土建派をバッシングすることなのだが、同時にこの記事は、弱者救済と地方経済の下支えと一体になった無駄な公共事業と政官癒着の構造を浮かび上がらせてもいる。これが、腐敗や利権と一体になった自民党式「所得の再分配」であり、それにもとづいて自民党は国会で多数議席を獲得してきたのである。次の参院選でも、次の総選挙でも、次の次の参院選や総選挙でも、やはり地方ではこの構造に依拠して自民党は選挙を戦う。この構造が克服されないかぎり、自民党はけっして新自由主義政党に「転向」することはできない。
 また、先の都議選でも、小泉人気のおかげで自民党は議席を増やすことができたが、その当選者の中には多くの利権政治派が含まれている。小泉は自民党の総裁であるかぎり、選挙においては自民党の候補者全員の当選を目指さなければならない。その候補者が、自分と同じ新自由主義派だろうと、旧来の利権政治派だろうと、そこに差を設けることはできない。こうして、皮肉なことに、新自由主義派としての小泉のおかげで、多くの利権政治派議員が当選することができるという事態になっているのである。これと同じ現象は、次の参院選でも生じるだろう。
 こうした構造は、新自由主義政策をやる上での障害でありジレンマでもあるが、同時に、そうした抵抗勢力と戦う小泉というイメージにもつながり、絶えず小泉をバックアップし叱咤激励しなければならないという――マスコミにとっての――プレッシャーにもなる。また、新自由主義路線が破綻した場合でも、今度は自民党の利権政治派が主導権を握ればいいことになり、自民党政治の支配は安泰だということにもなる。いずれにせよ、新自由主義に純化した政党でもって階層政治を断行させるだけの力を、日本の中上層は結局持っていないのだから、利益政治派との連合政党という自民党の中間的性格は、彼らにとって受け入れざるをえないものなのである。これは、いわば欧米の新自由主義とは異なる、「日本型新自由主義」とも言える。すなわち、土建型ケインズ主義や補助金行政などを引きずりながらの新自由主義であり、それは何よりも抵抗力の弱いところ(労働、福祉、医療)から実行されるのである。

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ