雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―1>参院選挙制度の改革の一試案

 周知のように、今回の参院選挙は、非拘束名簿式の比例代表選挙で戦われる最初の選挙となる。この非拘束名簿式においては、有権者は政党ないし個人に投票し、個人への投票をそのまま政党の票として数えることができる。これは、「自民党」の名前ではますます票を稼ぐことができなくなった自民党が、窮余の策として、露骨な党利党略にもとづいて導入したものである。もっとも、小泉人気の席巻している現在では、かつての選挙制度でも自民党は多数の得票を獲得することができただろうが。
 共産党をはじめ、野党はこの選挙制度に対する厳しい批判の姿勢をとった。それも当然である。自民党の党利党略にもとづく選挙制度の改悪というだけでなく、個人に投ぜられた票を政党に横流しするというのは、選挙の正当性そのものを危うくするものであるからだ。この新選挙制度が提案された時から懸念されていたとおり、各政党は政策上の対決軸を作り出すよりも、有名人あさりに血道を上げている。かつて小選挙区制が導入された時には、これによって政党と政策中心の選挙になると言われたものだが、今では政党中心も政策中心もどこ吹く風であり、いかにして著名人を比例名簿に入れるかが焦点になっている。選挙はすっかりワイドショーとなってしまった。
 このように、今回の選挙制度は民主主義の理念からしてまったく許しがたいものである。だが、それにもかかわらず、この選挙制度導入の一つの建前的理由とされた「個人の顔が見える選挙」という論点は、それ自体として一定の意味を持っている。拘束名簿式比例代表選挙は、得票率と議席占有率がほぼ完全に一致するという意味で、きわめて民主的な選挙制度だが、それ自体の固有の問題性もはらんでいる。
 第一に、この選挙制度は、政党執行部の権限を著しく強化する。1993年の小選挙区制導入論議のさいに、小選挙区制の問題点として、それが政党執行部の権限を強めるということが左派の論者から指摘されたが、これと同じ機能は拘束名簿式比例代表選挙にもあてはまる。いやむしろ、小選挙区制よりも執行部の権限は強くなる。なぜなら、個人人気の強い政治家なら、小選挙区制でも勝利する可能性はあるが、拘束名簿式比例代表選挙なら、そもそも名簿に登載されなければ絶対に当選できないし、また登載されても、ずっと下位に登載されれば、やはり当選の可能性はない。
 第二に、下位で当選した議員がほとんど有権者によって意識されないことである。つまり、各議員の顔がまったく見えなくなる可能性があることである。実際、中選挙区制の時代には、それぞれの当選者が厳しい中選挙区制を勝ち抜いた百戦錬磨のつわものであり、個性が非常に強かったが、比例代表選挙になってからは、政党の党員でも、自分の党の下位で当選した議員のことはよく知らないという現象が起きている。
 比例代表選挙の民主主義的性格を保持しつつ、上で挙げたような欠陥をある程度克服する方法はないのだろうか? われわれは、あくまでも一つの試案として、個人票の横流しをともなわない非拘束名簿式比例代表選挙を議論の俎上に載せたい。具体的に説明するとこうである。この「非拘束名簿式比例代表制」は、現在の参院選の制度と同じく、名簿登載者の間に順位をつけない。誰が当選するかは、それぞれの個人が獲得した得票にもとづく。各有権者はそれぞれ2票を持ち、1票を政党に、もう1票を各名簿に登載された個人に投票する。しかし、この個人票はあくまでも、比例名簿の中での順位を決定するだけであり、各政党への議席配分はあくまでも政党の獲得した得票にもとづくものとする。こうすれば、個人票の横流しによる政党議席の水ぶくれという現象は起きなくてすむ。有名人あさりも起きないだろう。むしろ、有名人あさりは後退するだろう。なぜなら、政党の議席数は増えないのに、有名人だけが上位で当選することになってしまい、その政党の本来の指導的政治家が当選圏外からはずれる可能性があるからである。
 以上のような選挙制度にすれば、比例代表選挙の民主主義的性格を失わず、政党間の争いを中心としつつ、なお「個人の顔見える」選挙にもなるのではないか。
 さらに、この選挙制度の目玉は、各有権者が2票を持つ点にある。1票を政党に投票し、もう1票を個人に投票するのだが、これは別に同じ政党の個人に投票する必要はない。たとえば、政党としては共産党に投票しつつ、個人票としては、たとえば社民党の市民派候補者に投票するということも可能になる。これによって各有権者は、どの政党に多くの議席をとってほしいかと、どの個人が当選してほしいかを、それぞれ選択できるようになる。政党の魅力と個人の魅力とは必ずしも一致しない。有権者が2票持つことで、それぞれの好みにもとづいて投票することができる。また、同じ政党の個人に投票する場合でも、その党の中の官僚的人物を拒否することができるし、あるいは、その党の中の女性候補者などを押し出すことも可能になる。
 以上のような選挙制度を一つの試案として提示したい。読者の忌憚のない意見をいただければ幸いである。

2001/7/2  (S・T編集部員)

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