参院選を振り返って(座談会)

3、自民党の躍進について

司会 次に自民党の躍進についてですが、自民党の躍進問題と共産党の敗北問題とは密接に関連しているので、本来はばらばらに論じることはできませんが、いちおう相対的に切り離して議論したいと思います。

 まず全般的な評価から言うと、小泉の異常な人気のもとで自民党が歴史的な大勝利を遂げたということは、すべての人の意見が一致するところだと思います。もう一つ重要なのは、小泉自民党が、ある種の二重取りをしたという側面があります。どういうことかというと、小泉はその遊説の中で、自民党政治をとことん変える、自民党はだめだ、などと絶叫して支持を訴えました。つまり、自民党政治を変えるために自民党に投票を、という図式を作り出したのです。他方で、伝統的な自民党支持層はやはり自民党に投じるわけですから、小泉自民党は、自民投票と反自民投票の両方を獲得するという曲芸をやってのけたということができます。こんなことは今だかつて起こったことはなく、おそらくは1回かぎりの芸当ではないでしょうか。次の総選挙では、そうは簡単には行かないだろうと思います。

 実はこの点では、今回の選挙制度の特殊性(非拘束名簿式比例代表選挙)に注目する必要があると思います。業界団体、労組などの横割大組織の候補者が多数当選したことについて、保守票の堀り起こしで自民を利したと「朝日」は書いていました。これはまったくその通りです。しかし同時に、特定郵便局長会の例をあげて、改革への抵抗要因となるという趣旨の分析もしていました。しかし、ここはもう少し掘り下げる必要があると思います。
 地方の利益誘導は、選挙区の議員によって担われる対議員の関係です。一方、これらの横割大組織の利益誘導は、特定の議員ではなく、自民党として担っていた。ところが、この選挙制度によって、特定の議員が代弁するようになったという事実は非常に大きな意味をもつと思います。
 一つは、こうした組織と自民党の関係がよりスマートなものになります。それは、政党助成金と同様で、党費立替など最近非難の的になっている従来のやり方を不要にする効果があります。
 もう一つは、従来なら、これらの組織に不利益な政策などが策定されると、これら大組織の構成員は、自民党への投票を控える(棄権する、または他党に投票する)ことができましたが、新しい選挙制度では、利益があろうがなかろうが、自分達を代表する議員の当選のために投票しなければならなくなりました。当然ながら、選挙区でも保守票を増やす結果となります。
 また、大組織の利益が実現されるかどうかは、その組織の選挙などでのがんばりやロビー活動、当選した議員の力量にかかってくることになります。当選したからといって、単純に利益が保障されるわけでもないし、自民党として保障してやる必要もないわけです。
 こうみてくると、非拘束名簿方式の本当の目的は、アメリカ型ロビー政治の導入ではないかと思えてきます。つまり、新自由主義の展開に照準をあてていたのだということです。

 Aさんの分析に賛成です。今回の非拘束名簿式は、二重の保守ばねを生んだと思います。一つは、小泉政権の成立で危機感を覚えた利益政治ばねです。もう一つは、小泉政権成立を絶好の機会と考えた新自由主義派ばねです。この二重のばねをどちらも吸収することを可能にしたのが、今回の非拘束名簿式だと思います。拘束名簿式なら、当選圏内に利益政治派がいたら、新自由主義派は投票しにくいでしょうし、逆に、利益政治派が下位にしかいなかったら、利益政治派は投票する気が起こらなかったでしょう。自民党は実にうまい制度を考え出したものです。というよりも、自民党の以前からの体質に合致している選挙制度だとも言えます。自民党は以前から、有力な個人議員の連合という性格をもっていました。だから、いろいろな分派が自民党という同じ傘の下で共存できたのです。それを可能にしたのが、衆院の中選挙区制と参院の大選挙区制です。どちらも、個人選挙で、複数議席を争います。つまり、毛色の違う議員がそれぞれ競争しあい、保守票を掘り起こしあって、ともに当選するということが可能だったのです。
 ところが、80年代に参院瀬比例代表制が導入され、次に執行部の支配権強化と社会党の追い出しという目的のために、90年代に衆院で比例代表と小選挙区の並立制を導入したことで、自民党はこれまでのような柔軟な機能性をもたなくなりました。なぜなら、拘束名簿式比例代表選挙では、執行部が決める順位がすべてであり、また小選挙区では執行部が公認する議員がすべてだからです。こうして、個人間の競争、毛色の違う個人の併存という状況をつくり出すことが困難になってしまいました。
 こうして、本来は、個々の議員に押し付けていた政治責任を、自民党執行部が、したがってまた自民党全体が引き受ける羽目になったのです。党として新自由主義に舵を切ると、利益政治派が反発するというだけでなく、選挙に不熱心になり、利益政治派の有権者が自民党からそっぽを向いて、党全体として新自由主義に反対してくれる党派、すなわち共産党に行ってしまうことになりました。かといって、自民党が利益政治派に配慮した選挙をやると(小渕、森時代)、今度は、新自由主義派がいっせいに反発し、自民党から民主党へと票が流れます。新自由主義派と利益政治派の連合という自民党の性格からして、執行部責任でどちらかに舵を切るというのは解決しようのないジレンマをもたらすわけです。こうして、自民党執行部のジグザグが生じ、新自由主義派からも利益政治派からも中途半端だという評価を受け、98年の参院選では自民党は惨敗してしまったのです。
 その点、非拘束名簿式にすれば、どの派の議員が当選するかは、それぞれの議員の努力しだいということになります。こうして、新自由主義派と利益政治派との激しいバトルが展開され、それぞれが必死になって票の掘り起こしをやり、小泉人気もあって大躍進となりました。したがって今回の自民党の大勝利は、自民党のコアの基礎票に加えて、
1、小泉人気による一般有権者票(自民党名で投票した人の相対多数派)
2、新自由主義の推進をめざした自覚的新自由主義票(舛添票など+党名票)
3、新自由主義に危機感を覚えた利益政治票(高祖票など)
がうまく合体し、ミックスすることで生じたものと思われます。

司会 なるほど。他に自民党の躍進について何かありますでしょうか。

 小泉内閣の言う「構造改革」がどういう形であれ支持された社会的背景やイデオロギー状況を分析しておく必要がありますね。この間の不況と「合理化」や「リストラ」で民間の労働者はすでに相当の「痛み」を受けているのですが、それなのになぜさらに「痛み」を伴なう「構造改革」を支持するのか?
 小泉流の「構造改革」には、小渕・森内閣から受け継いだものと、彼独自のもの(郵政事業民営化など)がありますが、この後者が民間の(とくに大企業の)労働者にけっこう受けているんですね。民間に比べて、公的部門や特殊法人などにおける「行政改革」「合理化」「リストラ」というのはなかなか進んでいないという状況に不満をもっている民間労働者は、小泉内閣が公的部門の「痛み」で「構造改革」をしてくれるというので支持する、それが大きいと思います。

司会 前回の都議選座談会でも、「構造改革」路線というのは、非常に巧みな分割統治路線だという意見が出ていましたね。

 そうです。もう一つの小渕・森内閣から準備されてきた「構造改革」の方ですが、これは90年代のアメリカの好景気を日本で再現しようというものです。90年代のアメリカの好況は、徹底した「合理化」「リストラ」と不安定雇用、長時間労働によって労働者の実質賃金を一貫して低下させてきた結果です。つまり、中下層の労働者の「痛み」であがわなれたものです。ところが、それを「IT革命」による「構造改革」で労働生産性が上がり、不況のない新しい経済(ニューエコノミー)が出現したとする議論がもてはやされました。日本もアメリカに遅れないように「IT革命」=「構造改革」をやらなければいけない、このままではアメリカどころか韓国やインドにも負けるぞ、と。このイデオロギーが、本来「痛み」を受ける労働者の警戒心を解除する役割を果たしたことは明白です。
 現在のアメリカ経済をみれば、「IT神話」とでも言いますか、このようなイデオロギーには根拠がないことは明らかで、小泉流「構造改革」の集大成とも言える「骨太の方針」でも「IT」という言葉はほとんど出てきませんが、そういう修正を加えながらも今なお根強くふりまかれています。しかも、その一端を担った者が、閣僚にまでなって進めている。こうしたイデオロギー状況によって、「構造改革」が何かすばらしいものをもたらしてくれるのではないかという漠然とした期待が広がったと言えます。

 その点ではメディアの果たした役割も大きいですね。思い切ったリストラの推進で好景気が訪れるんだという言説は、ここ1、2年に突然現われたものではなく、アメリカの好景気がはじまった数年前からしだいに有力になり、もてはやされるようになった議論です。これが、一部の新自由主義的知識人やマスコミや上層市民のみならず、国民のかなりの部分をもとらえるようになったのは、あまりにも不況が長引いているからでしょう。もうそろそろ景気は上向くだろう、もうそろそろ上向くだろう、という希望的観測をもって、政府の財政出動を見守っていた有権者も、もはやもっと思い切ったことをしなければならないと考え始めるようになりました。このときに、「思い切った改革」の左翼的オルタナティヴはありませんでした。共産党は、「一歩、一歩よくしていく」という亀の歩み路線だし、今回の選挙でも目玉は消費税減税(しかも一度は棚上げしたもの)でした。「消費税減税」が抜本的な改革にならないのは、小学生でもわかります。こうして小泉流「構造改革」がほとんど唯一のオルタナティヴになってしまったのだと思います。

司会 この人気はいつまで続くんでしょうか。小泉内閣の支持率は少しづつ下がりつつあるようですが。

 その支持率低下を過大評価するのは危険ですね。そもそも、当初の「8割」「9割」というのが異常だったんであって、小泉政権の目指す階層政治からすれば、現在の6割程度の支持で充分だし、それが本来妥当な数字なのです。また、彼らにとっての改革が成功するかどうかは、今の時点から安直に予測することはできませんが、抵抗の弱い部分に関してはかなりの程度、「改革」がなされることは間違いないでしょう。道路特定財源とか道路公団とかの抵抗の強い部分については、怪しいでしょうね。
 改革が失敗した場合は、再びマスコミや上層市民はその目を民主党や自由党などの野党の新自由主義派に向けるでしょうし、政権交代を望むようになるでしょうが、その際の最大のネックは実は、彼ら自身が積極的に推進した今の衆院の選挙制度そのものなのです。93年政変で導入された小選挙区制は、1、社会党をはじめとする革新政党叩き潰すこと(あるいは少なくとも革新政権の可能性を完全に排除すること)、2、保守的二大政党制を実現して、フレキシブルで安定した支配体制を構築すること、を2大目標にしていましたが、その目的の前半(社会党つぶし)は実現できたものの、目的の後半部分に関しては、農村部および地方都市における自民党の圧倒的強さゆえに、実現できませんでした。もし衆院で完全比例代表制を導入していれば、実は2000年総選挙のときにすでに政権交代は実現していたのです。「政権交代のある民主主義」を振りかざして小選挙区制の導入を支持した知識人やマスコミは、結局は自らの利益にさえ反する愚行を行なったのです。

司会 すると野党にチャンスはない、と?

 チャンスがあるとすれば、選挙制度を民主的なものにするか、あるいは、自民党がもう一度分裂して、新自由主義派が大挙して民主党や自由党に合流する場合でしょう。後者の場合は、護憲・革新派を排除しての政権交代にしかならないので、やはり本来の筋からすれば、選挙制度を民主化して、国民の多数の支持を得た政党ないし政党連合が政権を担当することを可能にすることです。選挙制度さえ民主的ならば、自民党を中心とする極、民主党を中心とする極に対抗する、「護憲と革新の第3極」を形成することはいちじるしく容易になるでしょう。

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