司会 では次に、共産党の大惨敗の原因について議論しましょう。最初に数字だけを紹介しておきますと、トピックスにもあるように、まず得票数は98年参院選の約820万票(比例)から、430万票へと約400万票減らし、得票率(比例)は14・6%から7・9%へと7ポイント減らし、議席数は15から5へと10議席も減らしました。
次にこれを、95年参院選の得票数、率、議席数と比べますと、95年のときがそれぞれ、約390万票(比例)、9・5%(比例)、8議席ですから、得票数だけは、投票率の高さもあって(95年参院選は史上最悪の低投票率でした)95年を上回っていますが、それ以外はすべて95年参院選をも大きく下回っています。
もう一つ、これを92年の参院選と比べるとどうなるかというと、まだ低迷時代であった92年の参院選において、共産党は得票数で約350万票、得票率で7・9%、議席数で6議席です。つまり、得票数だけは、投票率との関係で今回の方が多いですが、得票率は何と92年とまったく同じ、議席数は1議席減っているんです。どういうことかというと、90年代後半に増やした分を、今回、一気にすべてなくしたということになります。95年の参院選こそが、90年代後半における共産党の躍進の出発点となった選挙なわけですが、98年参院選を頂点に、それ以降の不破=志位指導部の3年間で、増加分をすべてなくして、社会党がまだ健在であった1992年の水準にまで落ちてしまったということです。
ちなみに、1992年に社会党がどれだけとっていたかと言いますと、得票数で約800万票(比例)、得票率で17・8%(比例)、議席数で選挙区とあわせて22議席です。92年の社共票は合わせて約1150万票、得票率約26%だったわけですが、今回は、社共新社会全部合わせて、約830万票、得票率で約15%、議席数で8議席となっています。得票数でまるまる300万票減らしたわけです。
今回の社共新社会合わせて830万票ということは、前回の参院選における共産党の単独票とほぼ変わらない水準だということになります。
B 今回の共産党惨敗の第一の原因が小泉人気であったことは間違いありません。これは、与党以外のすべての野党が大きく後退したことによって示されています。しかしそれだけに原因を解消することはできないでしょう。共産党の減少傾向は、2000年の総選挙のときにすでに現われています。2000年総選挙のときは、最も不人気であった森首相のもとで行なわれた選挙で、共産党以外のすべての野党が得票数・率ともに大きく前進させました。それに対して共産党は、すでに98年参院選と比べて得票数で約150万票、率で3・4ポイントも減らしていました。今回、総選挙時よりもさらに得票数で240万票、率で3・3ポイント減らしました。つまり、98年参院選から減った390万票は、森首相時代にすでに減っていた150万票と、小泉首相時代になって減った240万票とに分けられるのではないでしょうか?
そのことを裏づけるデータがもう一つあります。野党はどの党も98年参院選に比べて減らしていますが、その減少の度合には明らかに違いがあることです。まず、民主党ですが、民主党は、1220万票から約900万票へと320万票減らしました。これは、前回比74%という割合です。次に自由党ですが、自由党は520万票から420万票へと100万票減らしました。これは前回比81%の得票です。社民党は、437万票から363万票へと約60万票弱減らしました。これは前回比83%です。つまり、特殊事情のある新社会党を別にすれば、いずれの野党も、今回はだいたい前回比70~80%という得票に落ち着いています。その中でも民主党が比較的減少の度合が多いのは、やはり政策が小泉自民党とバッティングしたために、独自性を出すことができなかったからでしょう。ところが共産党は、820万票から433万票へと390万票も減らしています。これは前回比わずか53%です。民主党よりも20ポイントも多く減っています。
A なるほど。しかし、森首相時代に150万票を減らしていたとして、仮にそれを差し引いても、前回比で65%程度にしかなりませんね。
この選挙で忘れてはならないことは、党大会後、志位委員長のもとでの初めての本格的な国政選挙だったということです。有権者は、この間「柔軟路線」を党大会で追認し、志位委員長がその「柔軟路線」の顔となったことを忘れてはいません。今回の選挙で小泉内閣に対する対決姿勢をみせたものの、それに懐疑的な革新票の一部が「柔軟路線」への批判として棄権したことは十分に考えられると思います。
司会 98年参院選と比べると、共産党がいちばん小泉人気のあおりを食ったように見えます。しかし、『さざ波通信』では、一貫して小泉人気のあおりをいちばん食うのは民主党だと言ってきました。その点はどうなのでしょう。
B 98年参院選と比べるからそうなるのです。2000年総選挙と比べると、民主党は1500万票から900万票へと600万票も減らしています。民主党は、2000年総選挙で、98年参院選時よりも300万票近く票を伸ばしましたが、この得票増はおおむね都市部の保守無党派層(新自由主義志向)から来ていると思われます。この保守無党派票が今回は、98年参院選から増えた分のみならず、98年参院選での得票の一部をも巻き込んで自民党(および諸派――白川新党など)に逃げたと思います。
司会 今回の選挙では、共産党のみならず、革新全体が大幅に後退しました。共産党の票はどこに行ったのでしょうか? 社民党も新社会党も後退しているのですから、行った先は自民党か棄権ぐらいしか考えられません。
A 都議選のあとで、「JCPウォッチ!」の「こんびーふ」氏が「革新の総崩れ」と評していたのには違和感がありましたが、この選挙ではまったくその通りです。革新票は棄権に回ったのではないでしょうか。「朝日」の調査では、無党派の投票は、前回および総選挙に比べて、5~6ポイントも下回っています。投票率は前回よりやや低い程度ですから、これまで棄権だった保守層が新しい選挙制度によって掘り起こされ、逆に共産党などに入っていた無党派票が棄権にまわったと言えるのではないでしょうか。
B 98年参院選で共産党に投じた人で今回自民党に入れた人たちも多少いると思いますけど、それも先に述べた3つのカテゴリーに分かれると思います。共産党に期待した人たちにも「なんとなく共産党が一番まし」と思う人は、小泉人気に煽られて自民党に転じたでしょうし、自民党の古い利益政治体質を何とかしてほしい、公共事業中心を何とかしてほしいと思って共産党に投じた人は、小泉改革に期待して自民党に向かったでしょうし、新自由主義政策はいやだという人々は、むしろ自民党の中の利益政治派に入れることで「今そこにある危機」を回避しようとした、ということでしょう。
A そうかもしれませんね。ただ、それは共産党支持票だけじゃなくて、他の野党の支持票についても言えますね。「読売」の調査では、どの野党も等しく自民党に食われてましたから。
B もう一つ、これはあまり重要な要素ではないと思いますが、民主党が選挙の途中から、なにゆえか、改革に伴う「痛み」に対するアンチを言い始めたことも多少影響しているかもしれません。本来は、民主党は、自民党を右から乗り越えることを使命としているはずなのに、小泉にすっかりお株を奪われたために、選挙の途中から、「痛み」論をクローズアップするようになりました。さらに、比例区の目玉として立候補した大橋巨泉なんかも、小泉改革は弱者に痛みを強いるみたいなことを強調するようになりました。その点で、「痛み」反発票が分散したかもしれません。
司会 「自民党の躍進」のところで検討した今回の選挙制度の特殊性に関してはどうでしょうか?
B 政党名一本でやった共産党は、この制度を十分に生かすことができませんでした。執行部の支配が絶対的であるイデオロギー政党にとっては、候補者間の競争や、個性の違いを押し出すことがまったくできないので、非拘束名簿式はいわば、個人名票+政党名票という枠から個人名票をまるまる引いた得票しかえられません。この要素を理解した公明党が、徹底した区割りで個人名選挙をやったのは、戦術として非常に賢いと思いますが、これも結局は現状維持以上のことはできないでしょう。公明党はいわば永遠に現状維持を死守する党として存在しつづけるでしょう。それはともかく、全部が政党名票の選挙なら、どの党にとっても条件は同じですが、個人名票を可能にする今回の選挙は、個性のない候補者しかいない党や、有名人のいない小政党は非常に不利に働きます。社民党が比較的得票減が少ないのは、それなりに候補者に個性があったからでしょう(田嶋陽子とか、沖縄の元知事とか)。
したがって、この制度の特殊性を生かすには、どうしたって候補者の個性の押し出しや、多少のニュアンスの違いを許容できなければなりません。しかし、上意下達の官僚政党たる共産党にはそのようなことは不可能でしょうから、いつまでたっても、個人名票分を
まるまる引いた得票しかえられないか、あるいは、公明党式に区割りで個人名選挙を徹底する(つまり、昔の大選挙区制時代とまったく同じ選挙をする)かのどちらかでしょう。どちらも採用しなかった共産党は、選挙技術という面でもその創意工夫のなさが問われると思います。
A Bさんの言う通りですね。党員投稿欄の吉井ゆきさんの投稿でも言われていましたが、比例区の候補者のうち選挙公報に載っていたのは9名だけでした。他の候補者は名前さえ載っていなかった。あの選挙公報は全国統一だったのでしょう。候補者の個性の押し出しという点では、たとえば地方自治体の議員には、個人票をたくさんもっている人がいますから、そういうところから個性の押し出しをどのようにやっているのか、特色のあるホームページをもっているとか、議会報告がおもしろいとか、具体的に研究する必要があるでしょうね。
余談になりますが、私の支部では、比例区には政党名を書くように支持拡大するという方針への反対意見が多かったです。方針に逆らうわけにはいきませんから、「比例区は共産党と書いてください」と支持拡大しましたが、私自身は個人名で投票しましたし、他の党員もそうだったと思いますよ。
C あと、今回の比例区の特殊性、非拘束名簿式による比例票への影響はどのくらいあったのでしょう? たとえば、沖縄県内では知名度の高い大田昌秀氏に票が集中し社民党は沖縄県内では自民党の12万票を上まわる16万票を獲得した一方で、共産党は4万2千票を減らし、2万7千票しか獲得できませんでした。このような現象は、非拘束名簿式が導入されなければ考えられないことです。
今回、98年参院選と比較したときに、共産党の比例区での得票減は390万票減で、選挙区での得票減340万票よりも落ち込み具合がヨリ大きかったのは、非拘束名簿式の導入とそのもとで各党が採用した戦術がもたらした結果としてみることができるかもしれません。マイナスの効果としては、票数で言えば約50万票(比例区のヨリ落ち込んだ票数)というところでしょうか。
司会 各候補者についてはどうでしょうか。
C 私は、選挙公報にその名前も載っていない比例区候補者の演説を聞く機会があったんですが、若いのに、まったく個性のない演説しかできないのには驚きました。ただ話ができればいいというだけでは、候補者を招いて演説会をする意味がありません。常任の地区委員なり都道府県委員なりが話をすればことたりるわけですから。
B それは個人的問題というよりも、党全体の体質の問題でしょうね。共産党においては、個人候補者は共産党への投票を訴える生きた宣伝媒体ぐらいにしか考えられていません。しかし、いくら共産党に投票するとしても、実際に議員になり、議会で活動するのは、生身の具体的な個人なのです。その個人がどういう人間か、どういう信条を持ち、どういう生きざまを経てきたのか、具体的に何をするつもりなのか、何をしたいのか、等々のことを押し出すことなく、共産党に入れてくれというのは、やはりこれは有権者を馬鹿にした行動であるように思います。その点では皮肉なことですが、今回の非拘束名簿式によって、共産党が他の政党とは逆に、以前にもまして個人の押し出しが弱くなったように思われます。
司会 といいますと?
B 拘束名簿式ですと、上位にどういう候補者がいるのかということが、自分の党に入れてもらう上で重要な要素でしたので、けっこう共産党も、上位候補者の魅力を訴えていました。しかし、今回、個人の要素と政党の要素とが非拘束式によって切り離されたおかげで、共産党は、ほとんどもっぱら共産党だけを押し出すようになりました。共産党は、候補者のうち誰の当選を優先させるかという観点がゼロで、いわば、実際に誰が当選するかは出たとこ勝負にまかせるという感じでした。おかげで、重要な現職議員が落選しています。共産党の歴史上、ある意味で最も個人の要素が軽視された選挙だったのではないでしょうか。
司会 では次に共産党のメディア戦略という点ではどうだったのでしょうか? 法定ビラの内容や幹部のテレビ出演とその発言、また今回テレビCMが作られました。CMについては都議選座談会でも触れられていましたが、他に何かあれば。
A 私はもともとテレビをみる時間が短いので、幹部が出演する番組はほとんどみてませんし、テレビCMも見なかったですが、不評だったみたいですね。法定ビラはまずまずだったと思いますが、インターネットというメディアの利用も含めて、もっと工夫が必要だったんじゃないですか。
私は小泉メールマガジンを読んでますが、それと、申し込んだ覚えはないんですが、「ウイークリー自民」というメールマガジンも送られてきています。選挙のあいだも、「選挙期間中につき内容に制限があります」というただし書きがついて、しっかり送られてきました。
共産党も、「eアカハタ」とでも名付けてメールマガジンを発行するとか、若者向けにキャッチとメールマガジンのアドレスだけ書いた小型ビラをつくるとか、若い党員にアイデアを募ればいくらでも出てくると思いますね。それから、確か、大阪の選挙区で落選した山下氏は民青時代に政治漫才をやってましたよね。そういう才能をもっと生かせればいいのではないかと思いますが。
C 山下氏はもともと官僚タイプの人間ではなかったんですが、議員になってからは、残念なことに、すっかり堅いイメージになってしまいましたね。田中真紀子ほどでなくても、もう少し個性の幅を許せる組織にならないと、コアの基礎票を1回りも2回りも越えて支持を拡大するのは困難になるでしょうね。
司会 投稿やJCPWでも話題になっていた委員長の公選制という提案についてはどうでしょうか。
B 検討の余地のある意見だと思います。『さざ波通信』では以前、委員長公選制には反対の旨を表明したことがありますが、再検討の余地があるかもしれません。いずれにせよ、党内民主主義の抜本的な拡大なしには、新しい層を惹きつけることはできないでしょう。