この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
今回の参議院選挙の結果は、文字通り革新総崩れともいうべき結果となった。社民党、共産党、新社会党は、それぞれがそれぞれに惨敗を喫し、革新陣営はかつてない史上最小の陣地を強いられることとなった。
社民党(旧社会党)と新社会党、および共産党の合計得票率(参院比例区)は89年の42%を頂点に、社会党崩壊を向かえた90年代でさえ、26%(92年)、22%(95年)、22%(98年)と、常に20%台を保ってきた。しかし今回の得票率は合計で15.2%であり、革新陣営は戦後最低水準に踏み込むこととなった。
この結果を受けて、各党指導部がどのような姿勢で総括に臨み、捲土重来を期していくことができるかという問題は、けっして容易ではないが、きわめて重大な問題である。
社民党は、選挙後に幹事会を開き、出直しの党大会を10月に前倒しで(当初は12月に予定)開催することを決め、「党の刷新、人事の刷新をわきまえて党の再起」を期し、党首選挙も併せて行なうことを決めた。8月2日の常任幹事会では、土井党首が冒頭に、「敗北を率直に認め、真摯な気持ちで人事の刷新など党の再建を期さないといけない」とし、各幹事からは「組織形態の限界が来ている」「勝手連をつくったが、党との連携が間に合わなかった」(辻元政審会長)、「どんな階層の人に支持されているのか、精査する必要がある」などの意見が批判が数多く出された。
新社会党はどうか。新社会党は前回の約92万票から約38万票にまで激減し敗北したことを受け、矢田部委員長は7月30日に声明を発表した。「基本的には新社会党の運動・組織・財政のすべての面での力量不足によるもの」であり、「懸命に奮闘した全国の党員・支持者に心からの感謝とお詫びを申し上げたい」としたうえで、「敗北の最大の外的要因」として、異常な小泉人気による自民党の急激な復調、社会的なナダレ現象のなかで戦後民主主義が掘り崩され、「私たちはそれをくいとめることができなかった」と述べた。また小政党に不利な選挙制度のもと、「前回に倍する努力を行なったが、壁を打ち破ることはできなかった」とし、とりわけ沖縄から候補を迎えてたたかった東京選挙区で惨敗したことについて、「都民に沖縄問題の重要さを理解してもらい選挙の争点にすることができなかった」として、「私たちの非力さを沖縄の人びとに心からお詫びしたい」と率直に陳謝した。
さて、共産党はどうか。共産党は、30日に常任幹部会を開き、「参議院選挙の結果について」を発表した。敗北について、「力戦奮闘しましたが、力が及ばず後退したことは、たいへん残念です」と述べ、「どんな政治的突風がふいても、それにたちむかって前進できる量・質ともに強大な党をつくることの重要性を、痛感しています」として、「選挙結果についての総括は、党内外の意見を十分にくみつくして、つぎの中央委員会総会でおこなうことにします」と結んでいる。
この常任幹部会の声明を一読してわかるのは、惨敗・大敗したことに対する指導部としての責任をいっさい認めていないこと、支持者や党員に陳謝するコメントがまったくないことである。中央は参院選後、全国に325の地区委員会と47都道府県委員会の各委員長に選挙戦について意見、感想を提出させたというが、この集まった意見の大多数は、「今後に生きる」「よく持ちこたえた」と支持する内容(3日付「共同通信」)であり、党のホームページ、電話で寄せられた党外からの意見は「1200件以上」(広報部)で、「多くは党を応援する内容」(同記事)であったと述べている。これはいったいどういうことだろうか? われわれの指導部は、自分たちの主体的な問題として選挙結果を受けとめる姿勢をもっていないばかりか、好意的な意見ばかりに耳を傾けているようにしか見えない。
もちろん、社民党のようにお詫びをしたからといって、その党がいくらかでも革新的になったり新たな前進を開始する保証など何もないし、ただのポーズに終わる可能性も十分ある。しかし、だからといって指導部が責任を負わなくてよい、ということにはけっしてならない。また、われわれは、選挙で敗北したのはすべて指導部の主体的責任であると言いたいのでもない。われわれはそのような機械的な認識を持ってはいない。しかし、本号で詳細に明らかにされているように、党指導部の責任はきわめて重大なのである。
いずれにせよ、全国で奮闘した党の支持者や党員には、党指導部としての率直なお詫びが必要ではないのか? 指導とその結果に責任をもとうとせず、自己の面子を維持することに汲々とする指導部では、次の選挙での捲土重来はとうてい不可能であろう。