雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―2>政府のIT戦略に対する闘いを開始しよう

 読者の澄空氏の投稿で、IT政策へ目を向けようという趣旨の問題提起があった。この問題提起を受けて、日本共産党のIT政策を検証したいと思う。

  「構造改革」と「IT革命」の肯定的イメージ
 4月26日に成立した小泉内閣は、「痛み」を伴なう「構造改革」を訴え、世論の巨大な支持を集めた。7月29日投票の参院選でも、「自民党を変える、日本を変える」とうたって与党を大勝利に導いた。支持率は発足当初から低下傾向が見られるが、今なお高い支持率を維持している。
 「痛み」を伴なう「構造改革」、「日本を変える」――これらのフレーズがなぜこうも巨大な支持を得たのか? これはもっぱら小泉氏の個人的人気によるものなのか?  実はこれらのフレーズは、森内閣が制定したある国家戦略とだぶっている。その国家戦略とは、昨年11月27日に「IT戦略会議」によって取りまとめられた「IT基本戦略」であり、今年1月22日にIT国家戦略として策定された「e-Japan戦略」である。後者は「IT革命の歴史的意義」として、次のように述べている。

(1)IT革命と知識創発型社会への移行
 コンピュータや通信技術の急速な発展とともに世界規模で進行するIT革命は、18世紀に英国で始まった産業革命に匹敵する歴史的大転換を社会にもたらそうとしている。産業革命では、蒸気機関の発明を発端とする動力技術の進歩が世界を農業社会から工業社会に移行させ、個人、企業、国家の社会経済活動のあり方を一変させた。これに対して、インターネットを中心とするITの進歩は、情報流通の費用と時間を劇的に低下させ、密度の高い情報のやり取りを容易にすることにより、人と人との関係、人と組織との関係、人と社会との関係を一変させる。この結果、世界は知識の相互連鎖的な進化により高度な付加価値が生み出される知識創発型社会に急速に移行していくと考えられる。
 (2)新しい国家基盤の必要性
 我が国は、明治維新を機に農業社会から工業社会への移行を始め、第二次世界大戦の終戦を機に規格大量生産型の工業社会を急速に発展させることに成功した。その結果、維新以来100年余りの短い期間で、西欧社会に対する経済発展の遅れを取り戻し、米国に次ぐ経済大国に成長した。この経済発展の恩恵は広く国民に行き渡り、国民生活の豊かさが飛躍的に向上した。この成功の要因は、我が国が工業社会にふさわしい社会基盤の整備を素早く的確に実現できたことにあるといえるであろう。
 我が国が引き続き経済的に繁栄し、国民全体の更に豊かな生活を実現するためには、情報と知識が付加価値の源泉となる新しい社会にふさわしい法制度や情報通信インフラなどの国家基盤を早急に確立する必要がある。しかしながら、革命の常として、工業社会から知識創発型社会への変化は不連続であり、その過程では将来の繁栄を実現するための痛みにも耐えなければならない。我々国民一人一人は、明治維新、終戦といった過去の時代への幕引きがない中で、自ら素早く社会構造の大変革を実行することが求められているといえる。(強調は引用者)

 これを読めば、「構造改革」とは、もともと小渕・森内閣から進められているITをめぐる国家戦略のことであり、「IT革命」のことだというのがわかる。
 では、この「e-Japan戦略」とはどんな国家戦略なのか? 森内閣が作った国民向けの解説ページ「総理と学ぼう!やさしいIT講座」は、次のように説明する。

 平成12年(2000年)11月、有識者からなるIT戦略会議は「IT基本戦略」を取りまとめ、これに基づき、平成13年1月にIT国家戦略として「e-Japan戦略」を策定しました。その中で、日本は「5年以内(平成17年まで)に世界最先端のIT国家となることを目指す」とうたっています。
 そう、ITは単なる技術のことだけにとどまるものではありません。日本という国家そのもののあり方も変えてしまうほどの大変革なのです。

 「5年以内に世界最先端のIT国家」をめざす「大変革」なのだという。では、どのように変わるのか? 続きには次のように書かれている。

 21世紀の日本は、学校も役所も会社も病院も図書館も、みんな新しいIT社会にあった形に変わっていくのです。学校ではインターネットを活用した授業が始まり、インターネットによる役所への届け出などが可能になり、また、会社では電子商取引が広く行われるようになって、銀行の預金の出し入れもインターネットが使われるようになっていきます。大人も子どもも、お年寄りや体の不自由な人も、どんな人でも平等に情報が得られ、自らも世界中の人に向けて自由に情報が発信できる社会になります。

 これのいったいどこが「大変革」なのかと思うが、「5年以内に」という限定がついていればその程度かもしれない。しかし、こうした疑問への答えも最初から用意されている。

「革命なんていっちゃって、ちょっとオーバーじゃない?」と思っているあなた!認識不足ですよ!ITは18世紀にイギリスで始まった産業革命を上回るほどの歴史的大変革をもたらすといわれているのです。

 なにやらよくわからないが、「IT革命」によって「産業革命を上回るほどの歴史的大変革」がもたらされるというイメージがふりまかれていることだけは、はっきりしている。しかも「5年以内」! また、具体的に説明されている変革のイメージもバラ色で描かれたものばかりである。「失われた10年」と言われるほど景気の長期低迷にあえぐ日本において、このように描かれる「大変革」が好意的に受け止められるのはごく当然であろう。どうも、小泉内閣の高い支持率は、彼の個人人気だけではなく、「IT革命」が描く未来の肯定的イメージによって支えられているのではないかと思われるのである。

  共産党までがIT神話に取り込まれている
 次に、この「IT革命」に関して、日本共産党はどのように見ているのか? われわれは、党大会時には、自衛隊「活用」論や自衛隊「段階解消」論、規約の改悪などに目を向けがちであったが、改めて読んでみると、他にも首をかしげざるをえない記述が目に付く。ITの項目もその一つだ。
 「第22回党大会決議」の「第三章 『日本改革』の提案――二十一世紀の未来はここにこそある」は次のように述べている。

――IT(情報技術)……二十一世紀を前にして、コンピューターをはじめとした情報通信技術の発展は、人類の文化・技術の発展のなかでも、画期的な一段階を開きつつある。とくにインターネットの発展と普及は、世界中のコンピューター同士の通信を可能にし、すでに国民の二割以上がこれを利用し、多様な情報を入手し、発信する、新しいコミュニケーションの手段となっている。

 このように、日本共産党までもが、その最高方針において、ITの発展を「人類の文化・技術の発展のなかでも、画期的な一段階」とまで持ち上げている。その上で、党の方針としては、次のように言う。

 ITの展開は、現在まだ発展の途上にあり、政治がこれに対応するには、いま政府がやっているような、「IT革命」の看板を従来型の公共事業の推進策に使ったり、景気対策の手段にするといった目先の対応ではなく、新しい技術を社会全体が有効に活用できるようにするための本格的な方策をとることが重要である。なかでも、新技術を国民の共有財産とし、その成果を国民すべてが受けられるようにする方策や、ITを利用した新たな犯罪を防止する対策、ITのもたらす否定的諸問題への対応などは、当面とくに重視する必要がある。

 まず、たとえば党大会に先立つ7月に「IT戦略会議」が発足しているにもかかわらず、政府の動きに警戒することもなく、政府が「『IT革命』の看板を従来型の公共事業の推進策に使ったり、景気対策の手段にするといった目先の対応」しか取っていないとみなしている。さらに、この誤った基本認識に基づいて、「目先の対応」しか取っていない政府に対して、「新しい技術を社会全体が有効に活用できるようにする」という基本的立場を対置することを党の方針としている。
 実際、昨年11月に成立した「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)」について、党の国会議員団は、この決議に基づいて対応している。法案自体には反対したので評価できるが、しかしその反対理由は、

  1. 「基本法として最も重要な民主主義の立場が欠落している」
  2. 「高度情報通信ネットワークへのアクセスを国民の権利とし、それを国が保障するという明確な理念及びその理念を具体化していく基本方針、重点計画がない」
  3. 「個人情報保護及び消費者保護の徹底を国の責務として施策を推進するという点で不十分である」
というものであった。おそらく、大会決議が多少なりとも有効であったのはここまでである。それ以降、政府が国家戦略として策定し、「新しい技術を社会全体が有効に活用できるようにする」ために次々と具体化していったため、もはやこの方針は誰が見ても通用しなくなったと言えるのではないか。むしろ、私の考えでは、初めから破たんしていた。
 「新しい技術を社会全体が有効に活用」という党の基本的立場は、おそらくアメリカで問題とされている「デジタルデバイド」の解消を念頭においているのだろうが、それはクルマ社会が交通事故対策を必要とするように、そもそもITを推進する以上は欠かせない対策ではないのか。それゆえ、政府の政策も多方面からの対応を検討しているのである。もちろん、IT関連企業の経営者が大部分を占める「IT戦略会議」が提出する構想や施策に対して、それらが不十分だという批判はありうるし、しなければならない。それは否定しないが、クルマ社会推進の立場ではけっして交通事故が激減することがないのと同じように、IT「活用」の立場ではデジタルデバイドの解消も期待できない。共産党に求められるのは、ITを「活用」する政策よりもむしろ、たとえITを使わなくても社会的に不利益をこうむることのないような社会を保障する政策の立案であり、政府が進める施策に対する民主的監視ではないのか。
 バーチャルの世界は、しょせんアナログ世界(実世界)の反映であって、「デジタルデバイド」が生じるとすれば、それは実世界の階級社会・階層社会といった経済格差や人種差別などの不平等を反映したものである。ITの推進とそれに伴なう「デジタルデバイド」の解消のために巨額の税金を注ぎ込む前に、こうした「アナログデバイド」を解消するために優先すべきことがいくらでもあるはずだ。

  「IT革命」は革命なのか?
 そもそもITの発展は、本当に「人類の文化・技術の発展のなかでも、画期的な一段階」であったり、「産業革命を上回る大変革」であったりするのだろうか?
 答えは、断じて否である。
 現在の「IT革命」ブームは、かつての「ニューメディア」ブームや「マルチメディア」ブームと似たようなものである。それらのブームのときにも、新たな技術で生活が一変すると言われた。それらのブームから10年、20年と経過してきた今、どのように生活が一変したと言うのか? しかも今度は、「5年以内に」「大変革」と言うから開いた口がふさがらない。
 今回のブームが、それ以前のブームと異なるのは、「IT革命」がより広く消費者をとらえたインターネットを主たる舞台にしている点だけである。改めて言うまでもないが、現代資本主義は、それ特有の歪みを伴いながらも、絶えまない文化・技術の発展をその特徴としている。身の回りの電化製品や通信手段、交通機関、どれを取っても資本主義のもとでの大きな技術発展によってもたらされたものばかりである。インターネットよりもはるかに広範囲に利用されている技術はごまんとある。こうした技術発展は、一般に「技術革新」と呼ばれ、産業革命に匹敵する「革命」という言葉が使われることはない。もちろん、「革命」と言いたければそう言ってもよいし、「人類の文化・技術の発展のなかでも、画期的な一段階」と言いたければそう言ってもよいが、そのかわり現代資本主義を連続革命の歴史として描きなおす必要があろう。
 「IT革命」で想定されている技術もこれまでの技術革新と何ら変わるところはない。それは各種の労働現場で「OA化」や「オンライン化」と言われるものの延長線上に位置するもので、現在、産業や公的部門における応用が徐々に拡大しているというのが実体であろう。それとコミュニケーション手段の応用とは分けて考えなければならない。
 また、IT産業が巨大な市場を開くと考えるのは幻想だろう。情報産業が吸収する雇用量は非常にわずかであるにもかかわらず(これが、鉄鋼や石油化学などの重厚長大型産業や、自動車産業などの大規模な加工組み立て産業との基本的相違である)、それは基本的に雇用排出効果を生み出す技術でもあるからだ。もちろん、ITのインフラ整備には多少の投資が必要だろうが、日本中に道路や鉄道を張り巡らすのと比べればけた違いに小さい規模にすぎない。しかも、情報産業の特徴は、フレキシブルな不安定雇用をより適合的な雇用形態とする点にある。それはまさにコア部分のごく少数のエリート労働者を除けば、雇用者の大多数を使い捨ての不安定雇用にするだろう。したがって、所得の二極分化をいっそうはなはだしくする。90年代におけるアメリカの好景気は、このような雇用の不安定化と所得の二極分化を激しく進行させる中で生じたものである。
 このように、ITは、これまでの技術革新と同様に、現代資本主義を前提するかぎりは、「リストラ」や「行政改革」の名のもとで大いに利用されるだろう。「IT革命」が万人の生活を改善したり民主主義をもたらす可能性があるかのように考えるのは幻想以外の何ものでもなかろう。
 澄空氏の投稿でも指摘されているが、ITは「行政改革」と「リストラ」の手段としての利用が目論まれ、着々と実施されている。わが党は、大会決議を見直し、IT政策の抜本的再検討によって、政府のIT戦略に対するたたかいを開始すべきだ。

2001/8/4 (T・T編集部員)

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