周知のように、今年7月に行なわれた参院選挙において、共産党は歴史的大敗北を喫した。1998年の参院選と比べて、ほぼ半減の得票数、3分の1の獲得議席数という数字に、この敗北の規模がしっかりと示されている。これによって、95年以降に新たに獲得した陣地をほぼすべて失ったことになる。不破=志位指導部は、2000年1月の5中総において、「今日の躍進の厚みと広がり」が1970年代の躍進をも上回るものであることを得々と述べていたが、そのような「厚みと広がり」が幻想であることが明らかになった。不破=志位指導部の情勢認識が、数字の上での共産党の躍進に目がくらんだまったく皮相なものでしかなかったことが、赤裸々な形で暴露された。選挙総括をする場合には、まずもってこの現実を直視することから出発しなければならないはずである。
しかしながら、もちろんのこと、志位報告にはそのような誠意はまったく見られない。志位報告は、敗北の規模を小さく見せるために、98年参院選での獲得得票と獲得議席数と比べるのではなく、改選議席とそのときの得票数(すなわち95年参院選での獲得議席と得票数)と比べている。もちろん、自分たちのほんの1年9ヶ月前の楽観的情勢認識に対する反省もまったく見られない。
志位報告は、選挙に対する総括の最初の論点として、次のように述べている。
今回の選挙戦のように、客観的に困難な条件のもとでのたたかいでは、わが党のたたかいを総括する基本として、歴史の検証にたえ、今後の政治の展開に生きる奮闘をしたかどうかが何より重要であります。それは一九九三年に「非自民」旋風がつくられたさいに、これに正面からたちむかったわが党の奮闘が、やがて党の躍進の流れにつながったたたかいでも、全党が経験していることです。
この基本点で、わが党のたたかいは、全体として、不屈で先駆的なものでした。選挙直後の常任幹部会の声明は、わが党が、小泉政治に正面から対決して、あらゆる分野で「日本改革」の提案を訴えたことは、「こんごに生きる大きな値打ちをもつ」とのべましたが、そのことは、その後の情勢の展開でも、証明されつつあります。
1993年のときの後退と今回の敗北とを単純に同列視することはできない。もちろん重大な共通点はある。どちらにおいても、新自由主義的で大国主義的な性格をもった改革政権がもてはやされ、マスコミがこぞってそれを賛美し、それを支持しない勢力がすべて守旧派(1993年)ないし抵抗勢力(2001年)として排撃された。そうした圧倒的な圧力を受けて、革新勢力が大幅な後退を余儀なくされたという点で、たしかに、1993年総選挙のときと、2001年参院選のときとは似ている。しかし、この類似性は、客観的情勢に限ってのことである。それを迎え撃った主体の側には大きな違いがある。
1993年と違い、共産党自身が、新自由主義政党との連合政権入りを妄想し、それを一時期は最大争点にまで祭り上げた。さらに、共産党指導部はこの間、政権入りのために、安保廃棄凍結論、不審船事件での曖昧な態度、「日の丸・君が代」問題での利敵行為、自衛隊活用論、消費税減税の棚上げなどなど、次々とそれまでの基本路線を覆し、否定していった。そうした迎合的な右傾化政策を次々に打ち出した挙句の大敗北が今回の敗北である。これは、1993年当時とまったく異なる。1993年における共産党の後退は、誇りある敗北であり、まさにその後の躍進の土台となるものであった。当時われわれは、このことを深く確信し、あらゆる「政治改革」賛美論を厳しく拒否した。われわれは、共産党を右から改革しようとする勢力と精力的に論争し、共産党を擁護した。しかし、今回はまったくそういうものではない。たしかに共産党は小泉改革路線を批判し、それと対決したが、そのほんの少し前まで、その小泉路線とほとんど変わらない立場を主張していた民主党といっしょに政権に入ることを自ら提案しさえした。また、小泉路線を先取りしていた東京都の石原都政に対する「是々非々」論をぶちあげた。
このように、98年以降の共産党の立場には誇るべき原則性などまったくなく、ジグザグを繰り返しながらの現状肯定と右傾化でしかなかった。民主党や石原都政に対する共産党指導部の迎合的姿勢は、新自由主義政策に対する革新有権者の批判意識を大きく後退させ、小泉路線を受け入れる土壌をつくることに一定の貢献を果たしたのである。
以上の点をふまえるなら、1993年の例を持ち出して、今回の敗北における指導部の主体的責任をごまかすことは絶対に許されない。
志位報告は次に、反共攻撃に対する反撃が不十分であったこと、この点につき、「党の路線と歴史を明らかにした宣伝物の発行が遅れるなど、党中央にも弱点がありました」と反省の弁を述べている。
第三の論点として、志位報告は党建設の立ち遅れを取り上げ、次のように述べている。
そういうなかで、国民の気持ちにかみあって働きかけ、支持を広げる力量が、中央もふくめ全党に問われました。この点で、自分の言葉で個性豊かに党を語ることの重要性、学習を抜本的に強める重要性が、多くの地区委員長から指摘されていることを、重視してうけとめたいと思います。
以上、志位報告の提起した三つの論点について簡単に見てきたが、宣伝物の発行が遅れたことや、支持を広げる力量の不足について、多少、党中央の弱点についても触れられているとはいえ、中央としての最も重要な責任については何も触れられていない。問われるべきは何よりも、1998年以降の、野党連合政権路線(不破政権論)と右傾化路線そのものの是非であり、このような歴史的大敗北を喫したことへの指導部の基本責任である。しかし、志位報告には、そのような根本的な反省はどこにも見られない。