3中総の批判的検討
 ――敗北の教訓は本当に汲みとられたか

3、「たたかいの組織者」となるための根本条件

 今回の3中総において非常に特徴的なのは、共産党自身による大衆運動の重要性が前面に押し出されていることである。たとえば、志位報告は次のように述べている。

 国民がみぞうの暮らしの危機にさらされているもとで、この危機にたいして、国民的たたかいをもってこたえることが必要であります。
 雇用と労働の擁護、社会保障の充実、中小企業への支援、消費税減税・廃止、教育の民主的改革、日本農業の再建、公的住宅・奨学金の拡充など、あらゆる分野で、国民的なたたかいをもってこたえようではないか、ということを、訴えたいのであります。狂牛病問題での、安全対策と被害補償をもとめる運動も緊急課題であります。
 わが党が、平和の分野とともに、国民生活のあらゆる分野で、国民の利益をまもる“たたかいの組織者”としての役割を発揮することが、いまほどもとめられているときはありません。

 不破議長の発言も、この点をとりわけ強調している。

 また、国民生活の上ではいろいろな問題がありますけれども、医療制度の改悪の企ては、国民のほとんどすべての階層の生活・医療・健康を直撃する攻撃で、前例のない広範囲で過酷な、生活破壊的なものです。これも、自公保による国会の絶対多数があれば国民の抵抗をそれほど考えないでもやれるだろう、そういう思惑で彼らは強行しようとしています。
 政府や大企業の陣営が、労働者や国民を犠牲にするどんな無謀な攻撃も平気で強行できる、これは明日の日本の社会のために、どうしても打開する必要がある現状であり、文字どおり二十一世紀の日本社会が直面する最大の問題の一つがここにあるといっても、私は言い過ぎではないと思います。
 幹部会の報告が、経済生活の部面で、党が「たたかいの組織者」として役割を果たす問題を提起した根本には、そういう大きな社会認識と今後の展望があるということをよくとらえてほしいと思います。

 これは、この数年間あまりなかった押し出しであり、この変化をわれわれは基本的に支持する。それは、まさに『さざ波通信』がその開設以来強調してきた点である。
 しかしながら、このような前向きの変化にもかかわらず、なお重大な問題が残っていることを言わなければならない。
 まず第一に、この数年間における不破=志位指導部のもとでの共産党自身の認識や指導や行動がどうであったのかに関する誠実な総括や反省がまったくなされていないことである。不破議長は、今回の発言の中で、無法なリストラや福祉削減に対する日本の国民各層の反撃がきわめて弱いという特徴があり、これがヨーロッパ諸国と比べていちじるしい対照をなしていることを指摘している。それはまったくそのとおりだが、しかし、そのような傾向を作り出す上で、共産党自身に何の責任もないのだろうか?
 国鉄問題における国労指導部の屈服に果たした共産党指導部の役割は、記憶に新しいところである。自ら国民的大運動にするべき課題をつぶし、闘う労働者を機動隊と警察官を数百人動員して排除する側に立ちながら、日本における労働者の反撃は弱いと嘆くのは、許しがたい偽善である。また、「日の丸・君が代」問題では、政府自民党の側の「日の丸・君が代」法制化の呼び水となるような国旗・国歌法制化論を打ち出して、日本の大衆運動に大打撃を与えたことも、われわれは忘れていない。
 さらに共産党指導部は、選挙で躍進を続けていたとき、職場闘争を含む下からの大衆運動よりも選挙闘争の方に露骨に重点を置く方針をとっていたことも、われわれは忘れていない。たとえば、『さざ波通信』第12号の雑録「選挙への還元をはかる不破指導部」で指摘したように、2000年3月31日に東京で行なわれた「全都・党と後援会総決起集会」において、不破氏は次のように得々と述べていた。

 ある地区委員長の方がいうのですよ。”経営での活動がなかなかたいへんなのだ。要求がいっぱいあるから要求でたたかおうといっても、なかなか立ちあがってくれない。しかしそういう人たちに選挙で共産党を支持してくれというと、支持はしてくれる”と。
 私はその話を聞いて、実はそこに一番大事な問題があると思いました。
 というのは、今日の経営の実情をみますと、会社がおかれている状況や、組合の動きからみても、要求をもって職場で立ちあがって、そこで闘争の見通しをひらくということには、なかなかむずかしい問題があります
 しかし、いまの世の中の特徴は、さきほど雇用問題の話をしましたが、政治を変えることがこれだけ全国的な問題になっている、その政治を変えてこそ大経営の雇用の問題でも中小企業の問題でも解決の見通しがひらける、そこまでみんなの身近な問題と政治とのつながりがはっきりしてきているときです。
 一方では、職場でも共産党員を差別するこれまでの体制が、一連の裁判で負け、現実にも崩れてゆく条件がありますから、その面では活動の条件が広がっています。だからいま、”要求ではたたかいに立ちあがってもらえないが、共産党支持ならやってくれる”というところに、活動のうえで一つの要となる点があります。
 共産党支持を思いきって広げ、労働者の要求もエネルギーも、そこへまとめて政治を変える力にするならば、それが労働者がいま職場にもっている力を、日本の政治を変える力として大いに発揮する道になります。そこに自信をもって活動してほしいということを、今日は一言、そういう悩みにこたえる問題としていいたいと思っているのです。(拍手)
 ”経済闘争をやって、そのなかで自覚が高まり、政治闘争へ発展する”という図式がよくあるのですけれども、世の中はそういう図式どおりには動かないのですね。政治の問題で矛盾が鋭くあるときには、そこにあらゆる力が集中して、そのことが経済を変える力にもなる瞬間ということがあるもので、今はまさに、そういう瞬間だということをよくわきまえて活動したいと思います。

 このように、選挙の躍進がいつまでも続くという幻想にふけっていたときの不破氏は、職場での要求闘争をやるよりも、選挙での共産党支持を広げることを重視し、「労働者の要求もエネルギーも、そこ[共産党の支持拡大]へまとめて政治を変える力にする」ことを訴えていた。不破氏よ、まさかこのときの発言を忘れたのではあるまい。今回の3中総で、下からの大衆運動を重視する路線に切り替えたならば、これまでの選挙中心主義、要求闘争軽視に対する自らの姿勢をきっぱり自己批判し、党員の範としたらどうか。
 第二に、共産党が「たたかいの組織者」となるうえで重大な障害となっている、共産党自身の官僚的・国民主義的・漸進主義的体質がまったく不問にされていることである。共産党は、40万人近い党員をかかえながら、この間、さまざまな重要問題において、その力量に見合った運動を何一つ組織していない。イタリアの共産主義再建党は、その党員数からすれば日本の3分の1以下であるが、アフガニスタンへの米軍の空爆に対する反対集会で、他の組織とも協力しつつ、25万人を動員することに成功した。また、ジェノバ・サミットに対する国際的包囲闘争においても、共産主義再建党は、青年党員を中心に、最も中心的な役割を果たした。このような戦闘性は、日本の共産党にはまったく見られない。日本で行なわれた沖縄サミットで、日本共産党は何ら戦闘的な行動を組織しなかった。今回のアフガニスタン爆撃に対しても、共産党の出足はきわめて遅く、比較的小規模の集会をいくつかしただけで終わっている。これは、日本の世論の受動性だけに還元できるものではない。客観的条件は、主体の側の取り組みと相互作用しながら形成されるからである。
 共産党は伝統的に、下からの戦闘的行動に不信の視線を向けつづけてきた。それはこの組織の根本的な体質と化している。戦闘的行動が他党派によって行われる場合はもちろん、共産党員自身が自主的に戦闘的行動に立ち上がったときでさえ、それらの党員は党組織から何の援助も受けられなかっただけでなく、しばしば露骨な妨害と抑圧をこうむってきた。1970年代における新日和見主義事件は、大衆運動に積極的に取り組もうとする戦闘的青年党員を党から一掃するための、指導部による目的意識的な弾圧事件であった。このようなことの繰り返しが、結局は、共産党の戦闘性、とりわけ青年党員の戦闘性を著しく弱め、日本の革新世論の受動性の一要因になっているのである。
 もちろんわれわれは、それだけに問題を還元するものではない。企業社会的秩序の数十年間における支配、日本の帝国主義化による国民意識の変容、「社会主義の崩壊」による現状肯定意識の席巻、などなどが基本的要因として存在することについては、われわれ自身がこれまでの『さざ波通信』の中で繰り返し指摘してきたところである。だが、そうした「客観的」要因と並んで、共産党自身の主体的な責任もまた厳しく問われなければならないのである。
 したがって、たとえ将来、日本における政治情勢に大きな変化が生じ、国民の中の重要な部分が左傾化し、各地で下からの戦闘的行動が起こったとしても、共産党が現在の体質、現在の指導部のままであるかぎり、共産党は、そうした戦闘的行動に対する妨害物として登場することになるだろう。そして、共産党に代わる新たな政治組織が登場しないならば(新左翼諸党派の悲惨な現状を見るならば、その可能性はきわめて大きいと言わなければならない)、客観的情勢の左傾化は何ら実を結ぶことなく、再び幻滅と敗北の泥沼に落ち込んでしまうことになるだろう。
 そのような最悪の事態を回避するためにも、この反動期においてこそ、共産党の抜本的な改革が達成されなければならないのである。

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