9月27日付『日本経済新聞』の社説は「『まさかの友こそ真の友』だとすれば…」という表題で、今回のテロ事件ようなまさかのときこそ、日本はアメリカの同盟国として米軍の報復戦争に対する後方支援を受け持つべきだ、さもなくば、「言葉だけで行動が伴わぬ判断を日本がすれば、それこそが孤立化の道につながる。テロリストに甘い国と誤解され、テロの標的にされやすくなる危険さえある」と結論づけている。これは、まったく意図的に問題をすりかえ、読者を誤導するものである。
まず第1に、「テロに厳しい」ことと、報復戦争を行なうこと、あるいは米軍の報復戦争に自衛隊が後方支援を与えることとは、まったく次元の異なることである。たとえば、えひめ丸事件の際、この事件をどんなに厳しく糾弾する人々や団体であっても、アメリカに報復せよとは言わなかった。アメリカの他の民間船を報復として沈没させよとか、事故を起こした潜水艦を爆撃せよ、とは主張しなかった。犯罪に対し厳しい姿勢で挑むことと、その犯罪とは直接に関係しない他の市民に報復することとは、まったく別の事柄である。こんなことは、小学生にでも分かる真理である。報復は問題を解決しないどころか、さらなる報復を正当化し、いっそう悲惨な悪循環をもたらすだけである。
第2に、「テロリストに甘い国と誤解され、テロの標的にされやすくなる危険さえある」と言うが、では、テロの標的にされたアメリカは、テロリストに甘い国だったのか? もう一つのテロ標的国家であるイスラエルは、テロリストに甘い国だったのか? 世界のほとんどの国は国際テロの標的にされていないが、それらの国は、アメリカやイスラエルよりもテロに厳しい国なのか? もちろん、そんなことは誰も主張しえないだろう。日経の社説を書いている御用記者でさえ、そうは言えないだろう。アメリカは、テロリストに甘いどころか、98年の米大使館爆破事件では、その報復としてスーダンとアフガニスタンに百発もの巡航ミサイルを打ち込んだ国である。イスラエルも、テロが起こるたびに、パレスチナに爆弾を落とし、軍隊を侵攻させ、市民を虐殺している。だが、それにもかかわらず、イスラエルは絶えずテロの標的になり、アメリカは今回、民間人によるテロとしては最大級のテロの標的となった。まだ甘かったからか? いや違う。反対である。テロに対する闘いを、他の市民に対する報復にすりかえ、軍事的攻撃をしたからこそ、さらなるテロの標的になったのである。日本がそこから引き出すべき教訓は明確である。テロに対する戦いと称して、米軍の報復戦争を支持し、その戦争に自衛隊を差し出し、後方支援として直接に報復戦争に加担することこそ、まさに「テロの標的にされやすくなる危険」をもたらすものである。
小泉政権は、今回の支持表明と自衛隊の派遣によって、そして新法成立をもくろみ、それによって自衛隊の後方支援を担わせることによって、日本に住む1億数千万人の住民をテロの標的にされる危険性にさらしつつある。その一方で、無差別テロが政府要人を殺すことはほとんどない。反動的政策の真の責任者が命を落とすことはめったにない。今回のテロ事件でさえ、ブッシュやパウエルをはじめ、アメリカの中東政策に責任を負うすべての人々はかすり傷一つ負わなかった。政権担当者たちはそのことをよく心得ている。彼らが安直に報復を口にし、それを実行することができるのは、結局、そのことで命の危険にさらされるのは、自分の身を守るすべをもたない一般市民だけだからである。
同じことは、テロリストの側にも言える。テロリストの指導者たちは重武装し、ボディガードに守られ、山の奥深くに掘った要塞の中でわが身の安全を保っている。彼らは自分たちの安全を確保した上で、他国の一般市民にテロリズムを行使しただけでなく、アフガニスタンの一般市民――ただでさえ、20年におよぶ戦争と内戦によって疲弊し、タリバーン独裁政権の蛮行と悪業によって苦しめられ、あらゆるライフラインが切断され、日々、死の危険性にさらされている市民――をも報復の危険にさらしている。このテロリスト指導者たちは、ブッシュやパウエルと同じく、徹頭徹尾卑劣で、反動的な悪党である。
われわれ一般市民が、アフガニスタンの一般市民と自分たち自身の安全を保つ方法は一つしかない。今回の報復戦争をやめさせること、それへの加担を日本政府にやめさせることである。報復戦争反対、日本の戦争協力反対の声を、職場、学園、街頭、インターネットのすみずみに広げよう! 今すぐできることを、どんなにささやかなことでもいいから、ただちに始めよう!(S・T編集部員)