日本型リベラリズムの変質と有事立法

4、リベラル派の変質と戦後民主主義運動の分裂

 こうした戦後民主主義運動に対し、『朝日』、『毎日』などの大手メディアをはじめとするリベラル派は同伴者として存在していた。基本的には社会の中上層と資本主義の利害を代弁するこれらの大手メディアやリベラル派はなぜ、社会主義、共産主義勢力を中心とする戦後民主主義運動の同伴者として存在していたのだろうか。それは、やはり戦後日本における独特の保守支配による。戦前の天皇制支配と侵略戦争の苦い思い出と、それに抗することができなかったという政治的コンプレクスとは、「戦前的なもの」に対するリベラル派の鋭い感受性を養った。そして、すでに述べたように、戦前の支配勢力がアメリカ占領下で換骨奪胎され再編成されて成立した戦後保守勢力は、絶えず戦前的なものをちらつかせ、リベラル派の神経を逆なでした。リベラル派は、自立した独自の政治勢力を形成することができなかったために、戦後民主主義運動に部分的に合流するか寄生するしかなかった。彼らはいささかも、社会主義革命を望んでいなかったが、「国家からの自由」を基本理念としていた戦後民主主義運動が保守政権の行きすぎた国家管理や国家統制に対する平衡錘になると考えたのである。
 リベラル派が憲法9条に見せた同情的姿勢もまた、そのリベラル的本質といささかも矛盾するものではなかった。彼らはけっして本気で憲法9条を実現する気などなかったが、戦後保守政権の支配のもとでは、憲法9条が存在することは、自分たちの制御範囲を越えて保守政権が暴走することに対する重大な歯止めになると考えていたのである。
 内部に複雑な諸要素を抱えた戦後民主主義運動、および、それとの矛盾を孕みながらも同伴者として存在していたリベラル派、こうした麗しい共生関係は、戦前の思い出が遠い過去になっていくにつれて、また、60~70年代に成立した企業社会的統合が戦後民主主義運動の労働運動的土台を切り崩すにつれて、さらにまた高度経済成長を経て日本社会が「豊かな社会」に移行し、経済的に帝国主義の特徴を帯びるにつれて、しだいにほころびてくる。リベラル派は急速に戦後民主主義運動から距離をとるようになり、やがては、その非現実主義をなじりはじめた。とりわけ、攻撃の矛先を向けられたのは、社会党の非武装中立の理念である。「豊かな社会」のもとで富と教養をたっぷりたくわえた「都市中上層」は、しだいに自信を強め、戦前型軍国主義の復活を恐れる理由がしだいになくなっていったのである。
 これと同時並行的に生じたのは、戦後民主主義運動そのものの分裂だった。戦後民主主義運動の根強いリベラリズム的傾向は、日本の帝国主義化と社会の階層分化にともなってしだいに自立的なものとなり、1989~90年のソ連東欧の崩壊と湾岸戦争を決定的契機として、その一部(とりわけ知識人)は1990年代に完全に社会主義的ないし社会民主主義的傾向と手を切って、ネオ・リベラル派として分離した。政治学の分野では後房雄や高橋彦博や平和基本法派がそれにあたるし、経済学の分野では、建前上は社会主義論を維持しているが、その実態は新自由主義の尖兵でしかない大西広の一派がその代表である。
 戦後民主主義運動の分裂とリベラル派の変質がはっきりとした姿をとって表れたのが、1993年の「政治改革」騒動である。かつては小選挙区制反対の先頭に立っていた『朝日』や『毎日』が、逆に小選挙区制の導入こそ政治改革であるというキャンペーンをはり、日本の政治的帝国主義化の遅れを取り戻すうえで重要な役割を果たした。その後、この傾向はひどくなることはあっても、緩和することはなかった。リベラル派は「社会リベラリズム」の段階を事実上飛び越して直接に「ネオ・リベラル派」となったのである。彼らは、日本が一貫して官僚統制国家であったかのように現実を偽り、官僚からの自由、国家からの自由の名のもとに、市場の自由な発展と社会的・経済的強者の自由を擁護した。また、現実に起きている市民社会内の人権侵害に対する法的規制にも敵対的・消極的姿勢を見せ、社会的・経済的強者による人権侵害の自由を擁護した。
 こうした傾向の到達点として、今日の有事法制肯定論がある。今ではリベラル派は、有事法制の制定そのものを認めつつ、その細かい中身の点で国民の権利を制限しすぎないよう注文をつけるだけにとどまっている。彼らは、人権擁護法案などに対してはメディア規制だと猛反発しながら、有事法制に対しては寛容である。先に引用した社説の中で、『毎日』は、「世界有数の軍事力を持ちながら有事法制がなく、そうした下で国民の権利を守る法制もない状態は、法治国家としてふさわしくない。その意味では『今から50年前に出来ていないとおかしい。当然やるべきことをしていなかった』という中谷元・防衛庁長官の発言に一定の説得力はある」と述べているが、このセリフほど、この50年間におけるリベラル派の変質をはっきりと物語るものはない。50年前にできて当然のものがなぜ、その50年前にできなかったのか? なぜ、30年前にできなかったのか? なぜ10年前にさえできなかったのか? その間、リベラル派メディアは何をしていたのか? この50年間のうちに、リベラル派は、憲法9条に体現されているような高度な平和主義に共感を寄せる理由を失ったのだ。
 誤解のないように言っておくが、これは、彼らが「リベラル派」でなくなったということではない。そうではない。彼らは、本来リベラリズムに反する憲法9条的平和主義をようやくにして完全に清算するに至っただけである。つまり、その本来の姿に帰ったのである。日本型リベラリズムの「日本的特殊性」が消失し、本来のリベラリズム(それは現代社会ではネオ・リベラリズムと大きく重なる)に戻ったのである。

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