雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

『朝日新聞』の「抜本的」税制改革論

 3月25日付『朝日新聞』のオピニオン欄に朝日の経済部記者(男性)による税制の抜本的改革の試案が提示されている。それは、典型的な新自由主義的改革案であり、自民党でさえも言いはばかるような恐るべき内容である。
 まずもって、同記事は、「個人の所得税は『社会の参加費』として、できるだけ多くの人が負担するのが望ましい」という、典型的なブルジョア哲学を前提に話を始めている。しかし、個人の所得税を「社会の参加費」とみなす発想こそまさに、19世紀ないし20世紀初頭の反動的遺物であり、選挙権に納税額による制限を定めた制限選挙の思想である。税金を納める者だけを社会の参加者とみなすことは、税金を支払えない者を社会から排除しようとするものであり、最も卑しむべき差別思想であり、この世で最も反動的で犯罪的な発想の一つである。20世紀半ば以降の人権思想は、税金の支払いに関わりなくすべての者に社会への参加権を認めることを最低限の出発点にしている。この朝日記者の記事はこの根本思想を真っ向から否定するものである。
 朝日記者は、この反動思想をリベラルな装いで隠蔽する。同記者は、「独身者」「夫婦共働き」「子どものいない世帯」が増えているので、「各種の所得控除を整理・縮小」することを主張している。なるほど、たしかに、この朝日記者の言うように、「サラリーマンの夫、専業主婦の妻、子ども2人」という家族モデルは今では標準ではない。それを標準とした各種の所得控除はたしかに種々の歪みをもたらしている。しかし、それらの所得控除が、日本の貧困な福祉体制を代替してきたという側面も見逃すべきではない。まずもって、子どもがいることに対する所得控除は、貧困な児童手当に対する代替物であった。それを縮小するならば、当然、それに見合って、ヨーロッパ並みの手厚い児童手当が実現されなければならない。それは、現在の水準の数倍にならなければならないだろう。しかし、小泉内閣が遂行している改革はこれと逆行するものであり、母子家庭においてさえ、その児童手当を縮小しようとしている。朝日記者はこのことについて何も言わない。さらに、専業主婦に対する所得控除は、無償の家事労働に対する社会的代価の代替物である。この朝日記者は、女性が好んで「専業主婦」を選んでいるかのように考えているようだ。現在の戦後最悪の不況のもとで、どうやって「まともな働き口」を見つけられるというのか。専業主婦控除をなくしたら、突然、女性が働き口を見つけられるというのか。それはただ、より貧困な家庭に対するさらなる打撃になるだけである。エリート・サラリーマンに関しては、たとえ専業主婦控除がなくなっても、この同じ朝日記者が想定している所得税率の引き下げによって、それを上回る十分な補償を得るだろう。こうして彼は、専業主婦を維持することができるだろう。専業主婦控除の廃止はただ、貧困家庭をよりいっそう苦しめる手段になるだけである。専業主婦控除を廃止するならば、当然、それに見合って、無料ないし低額の保育所や幼稚園や学童保育が抜本的に拡充されなければならないし、家事労働に対する賃金が国家によって支払われるべきである。しかし、小泉政権は、そうした福祉の充実とは正反対の方向を進んでいる。このことについてもこの経済部記者は何も語らない。
 朝日記者は、サラリーマンに納税者意識をもたせるために、源泉徴収を廃止して全員を確定申告制にせよと主張する。「ほとんどのサラリーマンは会社任せの源泉徴収と年末調整で納税が終わり、税金を払っている意識は薄い」。このような俗説はこれまでもしばしば聞かれたが、しかし、俗説はやはり俗説である。ほとんどのサラリーマンは、自分の給与の源泉徴収表を見れば、いかに多くの税金が取られているかを十分実感する。確定申告制度は、サラリーマンの労力を大幅に増やし、国や自治体の業務をも大幅に増やす。現在の行政改革のもとでは、公務員にとってとてつもない労働強化をもたらすだろう。さらに、確定申告制度がとくに負担になるのは、低学歴層や貧しい労働者層である。朝日記者のような特権的エリートサラリーマンのものさしですべての労働者を測ってはならない。
 この朝日記者はさらに、納税者番号制を導入して、「複雑な所得税の税率を単一にする」ことを提唱している(!)。つまり、年収が500万円の人も、年収1億円の人も、同じ税率、たとえば20%を支払うようにすればいいというわけだ。それは、低所得層にとっては大増税であり、高所得層にとっては大減税となる。レーガンやブッシュでさえ導入できなかったような超反動的税制度をこの「リベラル」な朝日記者は提唱しているのである。
 この朝日記者の反動的提唱はそれにとどまらない。同記者は、企業に関しても、考えられるあらゆる法人税制度の中で最も反動的な制度の一つである外形標準課税を提唱し、それと引き換えに法人税のさらなる引き下げを提唱する。大もうけを挙げている企業も、赤字だらけで青息吐息の零細企業に対しても、その企業規模に合わせて税金をかける外形標準課税が普遍的に導入されれば、赤字が常態化している中小零細企業はほとんどが倒産を余儀なくされることは、複数の研究調査で明らかになっている。他方で、この税制度は大企業にきわめて有利な制度なのである。
 この記者は、「利益の出ている元気な企業の税負担を軽減できれば、経済活性化の目的にもかなう」と吹聴する。経済について何も知らない人間の言いそうなセリフである。経済というものは、もうけの上げている企業だけで成り立っているわけではない。それは、収支がトントンか赤字を出しているがちゃんと企業活動を行なっている無数の企業集合体によって支えられているのである。そして、日本の企業の多くはそうである。赤字を出している企業が外形標準課税の導入で倒産することになれば、いっそう不況は悪化し、もうけを上げている企業でさえもうけを上げられなくなるだろう。
 この朝日記者の提唱はさらに消費税にも及んでいる。予想しうるとおり、この記者は、消費税の増税をいとも簡単に主張する。その根拠は、「高齢社会の財源」とやらである。消費税という税制度が、貧しい者にとってより打撃となる「逆累進課税」であることはよく知られている。だが、高齢社会の財源を消費税だけでまかなおうとすれば、税率を少なくとも15~20%程度にしなければならないことは、さまざまな研究調査によって明らかにされている。これが、単一の所得税と並んで、貧困層を打ちのめすことになるのは、欲に目がくらんだこの朝日記者とその同類以外のすべての者にとって明らかである。
 以上見たように、小泉改革を手放しで支持する『朝日新聞』の立場は、少なくとも経済政策に関するかぎり、自民党主流よりもはるかに反動的である。ここに、リベラル流の「政治改革」「構造改革」の本性がはっきりと示されている。この改革の犯罪性に比べるなら、鈴木宗男の利権政治は二流の悪にすぎない。
 共産党は、鈴木疑惑に対する追及の先頭に立ち、外務省の機密文書を公表するなど、一貫してこの問題で積極的な役割を果たしてきた。われわれはこれを高く評価する。しかし、共産党はこの間、民主党や自由党などの新自由主義政党と無批判的な共闘を進めており、それらの党に対する批判が完全に後景に退いている。野党の足並みをそろえるなどという二次的、三次的考慮によって、新自由主義改革と対決しそれに反対する世論を倦まずたゆまず喚起するという根本任務をけっしておろそかにしてはならない。

2002/3/25  (S・T編集部員)

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