国労問題と共産党の路線転換――党中央は説明責任を果たせ

いかにして路線転換にいたったのか

 共産党の路線転換に関する資料のうち、「日本共産党の国鉄闘争再構築路線について」と題された「メモ」の冒頭にはこうある(文中の強調は筆者によるもの)。

日本共産党中央委員会は、2002年7月18日とその後の二回に分けて.国鉄闘争との関わりをもつ全国30都道府県の労働組合部長会議を開催した。そこでは2000年5月のいわゆる「四党合意」問題が表面化して以降、今日にいたる二年間の国労闘争の経過と問題点を総括的に調査、分析し、「与党三党声明」後に重大な岐路に立たされている現状認識の上に国鉄闘争を労働組合運動の原点に立った再構築していくための基本的方向について論議を行なった。そしてさまざまな議論を通して、1047名の雇用問題の解決のためには、従来の「四党合意」依存路線では解決しないとの立場を鮮明にし、党としては「労働組合運動の原点に立った路線の確立」をめざして、職場から多くの労働者とともに全力をあげて奮闘していくことを確認したとのことである。

 「メモ」からわかることは、党中央委員会は今年4月の「与党3党声明」とその後の国労臨時大会によるそれの受諾という事態を「重大な岐路に立たされている」と認識し、「4党合意」依存では解決しないと「鮮明に」理解したらしいということだ。

 まず指摘しておきたいことは、国労が「与党3党声明」によって「重大な岐路に立たされている」という認識は、とんでもない誤りだということである。国労は、何よりも「4党合意」を受諾するか否かで「重大な岐路に立たされ」たし、立たされているのである。「与党3党声明」はその延長にすぎない。それによってはじめて「重大な岐路に立たされ」たのは、他でもない共産党自身なのだ。事実経過に則して、以下にそのことを実証する。

 「4党合意」受諾を決めた第67回定期大会後、国労新三役が共産党本部を訪問した際、市川書記局長は「『4党合意』には政党としての意見はありますが、今度は相手が返事をする番です」と語った(『さざ波通信』第19号「国労新三役の共産党本部訪問」を参照)。だが、「返事」をせまられたのは4党ではなく国労であった。国労新三役の共産党本部訪問直後の4党協議で、「4党合意」受諾が国労の総意となっていないこと、「4党合意」受諾と最高裁での訴訟とが相容れないことが指摘され、4党側が国労執行部にその矛盾の解消を要請したのである。執行部はそれを了承し、訴訟取り下げの具体的な検討を始めた。これによって、「4党合意」受諾を決めた大会の国労執行部は、団結の方向を示すどころか、ますます国労闘争団に敵対していくことになる。
 翌4月、大会決定に反した訴訟取り下げが懸念されたため、国労闘争団(211名、その後も追加)が最高裁判所への訴訟参加手続きを行なう。それに対し、第68回定期大会では、反対派の要求により訴訟の取り下げは解決と同時に行なうことを決定したものの、闘う国労闘争団を「すでに国労からはなれた別組織」と規定して対立を深める。
 さらに今年1月には、闘争団・遺族283名が鉄建公団訴訟を提起したが、それは闘争団が前面に立った点、またJRとともに法的責任を負うべき政府を相手どった点で画期をなす訴訟であった。ところが、2月の第172回拡大中央委員会は、鉄建公団訴訟を起こした闘争団を統制処分するための査問委設置を決定したのである。

 こうして4月26日、国労内のごたごたをみてとった与党三党は、政治解決の前提条件を満たしていないとして期限を決めた破棄通告「3党声明」を発表する。それでもなお、「4党合意」に固執する国労中執は、5月に臨時大会を開いて、「3党声明」にそって訴訟の取り下げを再確認、次期大会で闘争団の統制処分をすることを決定した。
 翌6月の4党協議は、国労執行部に対し「3党声明」の具体的実行を迫った。JR側への要請が見送られたことや、甘利自民党副幹事長が記者会見で、国労執行部に対して反対派の除名処分を要求したことなどが反対派の怒りを呼んだ。
 さらに7月11日の国労執行部・家族から甘利副幹事長へ要請行動の際には、甘利氏の発言から「ゼロかプラスアルファ」回答(2000年夏ごろから解決金1人80万円なる噂があり、国労本部はそれをデマだと否定していた)やこの間のいきさつなど国労執行部の屈服姿勢が明るみに出たのである。
 これらの経過について「メモ」は次のように語っている。

 しかし、四党は「四党合意」受け入れを決定した国労に対して、雇用問題解決の責任を何ら果たそうとしないばかりか、最高裁訴訟の取り下げや闘い続ける闘争団への組織統制強化、処分など国労に屈服路線の実行だけを迫り続けたのである。これは国労の「四党合意」依存路線の破綻を示す以外のなにものでもない。
 こうした経過のなかで4月26日、国労に全面的屈服を迫る期限を切った自民、公明、保守の「与党三党」の声明が突き付けられた。これは政府与党としての自らの責任を投げ捨て、労働組合の団結自治に対して一方的に不法、不当な要求を持ち出して、訴訟の取り下げと闘争団員の処分の実行が「解決条件」の前提条件だとしたのである。声明の根本的弱点はここにある。

 あきれたことに、「メモ」は国労中執による「屈服路線の実行」によって、国労内の矛盾が拡大したことを不問にし、自ら加担した行為をもっぱら4党や政府のせいにするのである。「がんばれ国労闘争団」のHPに掲載されている甘利氏の発言をみれば、この間の国労の屈服路線がけっして4党の強要によるものではなく、国労執行部が進んで実行してきたことがわかる。長くなるが少し引用しておく。怒りを抜きしにしては読むことは不可能だ。

闘争団が裁判の成果を強調するのならされればいい。しかし「裁判の取り下げを前提としないとさわれない」と合意書に書いてある。そのことを大会で確認してほしいとお願いした。
国労は大会で「JRに責任はないが、裁判闘争継続」の方針を決定した。……(中略)……JRは疑心暗鬼になった。……(中略)……与党3党の中には4党合意解消の声も出た。そこで私は高嶋委員長以下執行部に「裁判闘争をおやりなさい。4党合意が満たされないのは、国労が闘う方向に向いているからだ。闘う方向でやってください。早晩裁判の結果が出るから闘って勝ちなさい」と申し上げてきた。
国労は「そんなことはありません。大会決議で裁判の取り下げを含めやる」といった。そこで私は「われわれに従っていたら執行部は、もたないだろう。裁判でやるという声を制し切れないのならやればいいだろう」と申し上げた。国労は「4党合意の前提条件をクリアーする」といった。
私のほうは「もうやめろ」と先輩らからだいぶ忠告され、与党内で、和解の糸がないから引こうとなって渕上さんに解消を伝え「結論をいついつまでに出して、結論が出ないならその声に従ってください。どちらかしかないのだから腹をくくってください」とはっきり申し上げた。そうしたら国労が「和解の方向でまとめるから」とおっしゃったのでこういうことになってきた。
国労執行部には、「決断したらこんなすばらしい案が出るというのはやめてほしい。JRが自主的にやるのだから頼むよということしかない」といっている。何千万円の解決金全員の雇用など幻想をいってはならない。ゼロかプラスアルファ。ゼロよりはいいかの選択という現実をいうべきと国労執行部には再三申し上げてきた。それがわれわれの出来る限界だ。……(中略)……ゼロよりはましだということで走りだした以上、3分の1の反対者がいては合意はない。しかも反対者が組織に残っていることはありえない。はずれてほしい。コア・メンバーにしてまわりの衣は剥がしてほしい。裁判で良いと信じている人が多いならそれに従うのが執行部ではないかとも申し上げた。国労執行部には断固反対の人の説得をお願いしている。

 こうした国労執行部の裏切り行為の数々に、国労内党員が結集する革同が加担したことは言うまでもない。今回の党の路線転換は、裏切り行為の一翼を担った共産党が、その暴露と批判の高まりによって「重大な岐路に立たされ」た結果なのである。
 最後になるが、「メモ」の中で、路線転換の取りくみについて党中央が相当の覚悟を持っていることがわかる部分がある。

路線転換の取り組みが強められていくなかで、国労内の推進派の分裂、脱落の動きが出てくるだろうし、また党からの離党といった「血」が流れることは考えられる。

 これを読んで、われわれが思い浮かべるのは、これまでの党の裏切り行為によって流れた「血」である。国鉄問題における党の裏切り行為に直面した左派党員の中には、これを契機に党を離れたものもいるのだ。「血」が流れる覚悟をうんぬんする前に、党中央は、誠実な自己批判をすべきであろう。そして、それら左派党員への復党を呼びかけるくらいの配慮はあってしかるべきではないか。

2001.9.6~8 T・T編集部員

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ