不破講演の民族主義的本質――岩本兼雄氏の投稿への反論

4、従属について

 次に岩本氏は、不破氏の従属認識に対するわれわれの批判を俎上に載せている。この問題を正しく理解するために、まずもって不破演説の該当部分を再度引用しておこう。不破氏は、旧植民地諸国の戦後の独立と日本の戦後史を対照させて、次のように述べている。

 しかも世界はどういう時代かといえば、民族の自決権、主権・独立が支配的な流れとなり、かつては植民地、従属国とよばれてきた諸民族のほとんどが政治的独立をかちとり、国際政治の重要な勢力となってきた時代であります。
 そのときに、1億2000万の人口と、世界で有数の経済力をもつ日本が、半世紀をこえる長きにわたって、事実上の従属国の状態に甘んじているということは、私は、世界史の中でもきわめて異常なことだといいたいのであります。

 この演説部分は、2つの異なった事柄を意図的にいっしょくたに並べることで、読者をミスリードしている。一つは、旧植民地・半植民地諸国が戦後、植民地の地位を脱して正式に独立国になったという事実であり、もう一つは、これらの諸国が戦後の長い歴史の中で国際政治の重要な勢力となってきた(まさに岩本氏の言うような非同盟諸国運動などを念頭に置いているのだろう)という事実である。この二つは歴史的時期が異なり、その意味もまったく異なる。しかしながら、不破氏はこの両事実を一つの文章でひっくるめて、「政治的独立をかちとり、国際政治の重要な勢力となってきた」と表現しているのである。われわれの批判は、一つ目の事実に即して行なった批判である。どうやら岩本氏は二つめの事実に即して反論しているようである。だが、それは、この文章の意味を捉えそこなったものである。このような混同が起こるのも、不破氏の表現そのものに欠陥があったからである。
 一つ目の事実に即して考えるなら、「政治的独立」というのは、狭い意味での政治的独立、すなわち、植民地という法的地位から脱して形式的に独立国になるということを意味している(岩本氏の解釈とは違って、ここで不破氏が念頭に置いているのは、実質的に政治的独立をかちとったということではない)。この場合、公式には独立国になっていても、実際には「新植民地主義」や従属学派の言う「従属」規定にあるように、政治的にも経済的にも完全に独立した状態にはまったくない。これらの国々は、「傀儡」政権と断定できるような露骨な従属状態から、より温和で間接的な従属形態にいたるまでの、無数の従属状態にあった。不破演説は、この意味での「独立」のこともひっくるめて先に引用した発言を行ない、日本の特殊な異常さを強調しているのである。われわれが「事実のとんでもない単純化」だとしたのは、まさにこの文脈にもとづいている。
 だが、岩本氏がおそらくは念頭に置いているであろう二つ目の事実に即しても、不破氏の発言が合格水準になるわけではない。なぜなら、それでもやはり、不破氏の発言は、他の旧植民地諸国ないし後進諸国の「独立度」を過大評価するとともに、日本の「従属度」を過大評価しているからである。まず前者の点について、岩本氏の反論に即してもう少し詳しく見てみよう。
 岩本氏は、「非同盟諸国の流れがあり、あるいはまた、フィリピンが10年ほど前になるか、米軍のフィリピンからの撤退を実施したことが想起されよう。世界中の諸国からいかに嘲笑されようと、アメリカの尻につくほか能のない異常な日本外交の現状ひとつみても、そういえるのではあるまいか?」と述べて、不破氏の認識を正当化している。この発言はせいぜいのところ、「日本の外交(支配層の政策)の従属度の相対的強さ」について語っているだけで、他の国々が実質的な意味で「政治的に独立」しているのに、日本が従属国のままであるということの証明には何らならない。ところで、岩本氏の認識では、フィリピンは、あるいはフィリピンの支配層はアメリカの支配層から実質的な意味でも政治的に独立しているのか?
 また岩本氏は、続けて「この点は事実認識の問題であり、不破氏の民族主義的偏見でもなんでもない。古くて新しい日本の従属問題の、例の自立・従属論争以来の問題の一部である」と述べているが、残念ながらそうではない。「例の自立・従属論争」では、日本のような発達した資本主義国が旧植民地諸国や第3世界の後進国のような「従属国」であるということがありうるのか、という枠組みでなされたものであり、旧植民地国や後進国も含めてほとんどの国(「ほとんど」に含まれない国はいったいどこ?)が実質的な意味でも政治的に独立しているのに、日本だけが従属国であるというようなことは成り立ちうるのか、という枠組みでなされたわけではないからである。
 われわれの主張はそれほど複雑なものではない。われわれは、日本の支配層がその政策において対米追従的であること、日本に存在する米軍とその制度的枠組みである安保条約が、日本の進歩的変革にとって死活に関わる重大な制約になっていることを何ら否定していない(『さざ波通信』の過去の号を参照)。しかし、このような意味での「従属」は、他の国(とりわけ後進国)にもきわめて広範囲に確認することができる。もちろんその程度はさまざまである。また一時的に左翼政権ができたり、開発独裁的な民族主義政権ができるときには、その政策の振り子は一時的に「反米」や「独自性」に振れることはある。しかし、アメリカ帝国主義が「世界の憲兵」であるとする党綱領の精神にもとづくなら、日本以外のほとんどの国が実質的な意味でも「政治的独立をかちとった」などと評価するのはナンセンスのきわみである。もし本当にそうなら、ただ日本だけしか従属させることのできないアメリカ帝国主義など、もはや恐れるに足りないことになるだろう。
 次に日本の従属の過大評価についてだが、日本の支配層は、軍事・外交政策においてその主たる判断をアメリカ支配層に委ねつつ、国内の支配・統合の仕方に関しては相対的にかなりの自立性を確保した。両者は相互に前提しあっている。国内の経済・政治に関しても深い対米従属にあった他の後進諸国や「アメリカの裏庭」諸国と違って、日本支配層のこの相対的に自立した独自の支配・統合のおかげで、日本の支配層は戦後50年以上その支配を維持することができたのである(日本独自の統合のあり方については、『さざ波通信』1号、2号のインタビューおよび『さざ波通信』4号、5号のインタビューを参照)。
 また、戦後の日本市場において、石油部門をのぞいては、アメリカの多国籍企業はヨーロッパ諸国の場合と比べてさえ圧倒的に低いシェアしか占めていなかった(参照、井村喜代子『現代日本経済論』、有斐閣)。また日本国家も日本企業も国内市場を保護することに大いに力を割いた。経済の主要部分がアメリカの多国籍企業の手に握られていた後進諸国と違い、日本は経済的にもかなりの相対的自立性を維持していたのである。
 他の後進諸国では、そのあまりに深い対米従属性ゆえに、その反動として、しばしば左翼政権ができたり、民族主義的開発独裁政権ができたりしたのに対し、日本では伝統的保守政党が――ごく短い幕間を除いて――戦後一貫して政権を維持しつづけることができたが、それはまさに、日本の政治的・経済的支配層が国内の支配と統合の仕方に関しては国内の特殊な諸条件にそれなりに合致した自分たちのやり方を通すことができたからである。日本生まれの独占大企業群による主要経済部門の安定的支配、企業社会的統合を土台とする積極的な成長主義政策と中度の福祉国家政策、高度成長から取り残されがちな周辺部分(農村および都市小ブルジョアジー)に対する土建型公共事業を中心とした利益政治的統合、憲法体制と戦後民主主義運動に一定適応した「平和主義」政策(もちろん対米協力を前提にしたそれ)、等々。こうした独自の支配・統合システムは、単なる従属国では不可能であった政治的・経済的安定を日本支配層に保証したのである。不破氏が悲憤慷慨している日本の「従属性」の長期的性格なるものは、実際には日本の政治的および経済的支配層の相対的「自立性」のたまものなのである。
 以上のような複雑な問題はもちろん、この小論だけで十分論じ尽くせるものではない。いずれにせよ、日本の戦後史を「対米従属」で一色に染め上げることほど誤ったものはない。そのような立場はただ共産党員の意識を曇らせ、日本の変革の道をますます困難にするだけであろう。

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