最後に岩本氏はわれわれの引用が不正確でアンフェアだと「悲憤慷慨」している。不破氏は、独立の課題が「21世紀の日本がなしとげるべき最大の国民的課題の一つだ」と言っているのに、『さざ波通信』は「21世紀の日本がなしとげるべき最大の国民的課題」だと引用している、これはおかしいと述べている。たしかに、この点でのわれわれの論には不十分で不正確な点があった。だがそれによってここでの全体としての論旨がいささかでも損なわれただろうか。
岩本氏自身、この批判の直後にわざわざ、「仮に不破氏の演説を独立一本にしぼりあげるのならば、しぼりあげる論拠を明示しなければなるまい。たとえば、演説全体の論旨を紹介したうえで、その論旨からすれば不破氏がいう『最大の課題の一つ』とは実際には唯一の最大の課題と解釈するほかないのだというように」とつけ加えている。われわれの論文を「支離滅裂」「滅茶苦茶」と罵倒しているわりは、なんとも尻すぼみの展開である。
不破氏の演説全体の論旨にもとづくなら、不破氏の立場が独立のみを最大の課題に絞った立場であるはずがないと言ってこそ、岩本氏の批判は説得力を持つはずである。だが、岩本氏はそう言うことができなかった。なぜなら、まさにこの演説全体の論旨にもとづくなら、「の一つ」などという言葉が単なるレトリックにすぎず、実際には、日本の独立こそ、これに並び立つものがない「21世紀の日本がなしとげるべき最大の国民的課題」であると不破氏が考えている(あるいは党員にそう考えさせたがっている)と解釈しないわけにはいかないからである。そして、われわれの批判論文は、まさに不破演説の全体の論旨がそのような民族主義的精神に貫かれていることを繰り返し語っているのである。
さらに言えば、事柄の性質からして、「真の独立」ないし、不破講演の言い方を借りれば「主権国家としての日本の地位を全面的に回復すること」という課題のみを語ることは許されないのである。岩本氏は、この講演では綱領の言う二つの課題のうち一つだけを語ったにすぎないと言って弁護するかもしれないが、そうはいかないのである。「真の独立」ないし「主権国家としての日本の地位の全面的回復」なる「民族民主主義的課題」は、日本のような発達した資本主義国かつ帝国主義国である国においては、それ自体としては何ら進歩的ではないからである。
「真の独立」なるものは(われわれは「独立」という民族主義的な課題設定の仕方自体に批判的であるが)、日本における独占資本の支配の転覆と労働者人民の政府の樹立という文脈においてのみ進歩的意味を持つ。なぜなら、日本における支配関係が現状のままでの「真の独立」とは、論理的に、日本が「自立した帝国主義国」になることを意味するからである。それは、石原慎太郎がめざす「日本のかたち」である。それが現状に比して何ら「よりまし」でないことは、まともなすべての左翼にとって常識であろう。