不破講演「レーニンと市場経済」によせて

ソ連流計画経済の失敗と市場経済の利用

 資本主義は欧米の産業革命からおよそ200年の歴史がある。この間、資本主義がもたらした最大の災厄である世界恐慌、2つの世界大戦があり、さらにソ連の誕生、資本主義国における労働運動などで、資本主義はさまざまな事態に直面して変貌を遂げ、その経済理論も発展してきた。
 不破氏は「社会主義を目ざす国々」と形容し、トロツキーは「(ソ連を)資本主義と社会主義の中間にある」と形容したが、表現はともあれ、このような国々が社会主義への接近を現実のものとしていくためには、ソ連で行なわれた計画経済なるものを全面的、歴史的に総括し、現在進行している中国、ベトナムなどでの経験を分析し、その理論を豊かにしていくことが不可欠であろう。
 たとえば、ソ連において、計画経済の背景には次のような考え方が存在した。
 「かりに価値・価格表示を行う場合でも、価格それ自体はあくまで国家が「計画的に」決定するとの思考と実践があった。つまり、価格が市場における競争を通じて決定されるのは資本主義の場合であり、社会主義になれば無政府的競争がなくなるとともに価格も計画的に決定するのが当然であるとの観念である。ここには、まだ社会主義が達成されていないこと、その間は市場関係を維持・利用し、ある程度それにも制約されるということ、このことに対する徹底的な無理解が露呈している。第二次大戦後、そこに何ほどかの反省が加えられることはあったが、計画と市場とはあいいれぬ存在であるとの思いこみは最後まで残った」。(『ソ連史概説』p.106、上島武著、窓社)
 前掲書著者は、ソ連計画経済の不首尾の根源的事情について「3つの排除」を指摘している。以下はその要約である。
 ①専門家の排除
 イデオロギー優先。科学性の欠如。
 ②生産者(企業・労働者)の排除
 生産現場の実情を要求を真に把握しうる現場労働者が排除され、労働者もまた計画の主人公となろうとする意識の喪失。
 ③市場の排除
 国家計画にまで算入する必要のないチョッキのボタンなどの生産さえも中央が決定。あらゆる経済決定を国家が行なう。計画対象の見直し、市場の作用に委ねる領域を拡張した方がはるかに中央計画の実効性を高めることができるのに、これが不可能となった。
 これらの指摘は、研究者の試論とはいえ貴重な研究であり示唆に富む。
 マルクス主義の創設者たちは社会主義経済建設について具体的にはほとんど何も語っていないのであるが、教条にとらわれない現実的革命家であったレーニンはネップを採用したものの、ソ連ではレーニン没後まもなくネップの路線を放棄し、創設者たちがわずかに語っている原理的な教条にすがって「社会主義経済建設」を進めたのである。今日的視点からすれば、ソ連流計画経済は「間違いだらけの計画経済」であったわけである。計画を策定するための技術的諸条件にも乏しい中で、中央集権的に計画を立て、何から何までを包摂し、計画の内容を市場でテストし、計画を練りなおすこともなかった。したがって、ソ連流計画経済を計画経済のひな形として考えることは間違いの出発点になる。

 だが、市場経済を導入しつつある中国やベトナムにおける計画経済は、ソ連70年の失敗の教訓から学んだものとなっているのだろうか。  「商品流通を基盤とした労働生産性の向上は同時に不平等の増大を意味する」というトロツキーの警告は、ソ連においては基本的には市場経済を取り入れることはなかったので、社会的不平等は「ブルジョアジーの形成」という形ではなく、「指導層の富裕」という形態で発現した。
 現代の中国などでは、部分的、地域的とはいえ、すでに広く市場経済が浸透し、外国資本導入が進行し、さらにWTO加盟など積極的に資本主義世界への仲間入りをしつつある。この結果、特権階級の形成と同時に人口比では少数であるが、かなりの数の資産家、小規模ブルジョアジーが形成され、その一方で中国革命の担い手であった「貧しい労働者、農民」がいっそう貧困化する事態が進行し、大都市ではホームレス、物乞いさえもがみられるという。
 社会主義を目ざす勢力が国家権力を獲得したにしても、かなりの長期にわたって市場経済を排除することはできず、矛盾した契機を内包しながら歩まなければならない期間が相当長期にわたって続く。この期間においては、社会主義への歩みを続けることも、またその逆に、成長したブルジョアジーや特権階層によって「社会主義を目ざす国家権力」が崩壊させられたり、変質したりする危険性も常に存在する。加えて、国際的な環境としては帝国主義による世界支配が存在するのであり、これがどの方向に作用するかは自明であろう。

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